扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
◇◇◇
その日の晩も、シェイルは自室に戻らず、軍本部の執務室に備え付けられている資料庫の奥の長椅子に横になっていた。
浅い眠りを見ていた気がする。ふと覚醒した彼は、世界がまだ朝を迎えていない事を知る。
どこか下劣で、怠惰な夢を見ていた。
そのまま眠り続けていたい。そう思わせる様な。
腕を伸ばし酒瓶を手に取るも、雫の一滴さえ残っていない。
このところ頻繁に彼を苛んでいる奥深い頭痛に、眉根を寄せ、額に手をあてる。
その痛みは、確かな理由を持っているわけでもない。
ただ、誰かに頭の内側から掻き回されているような、そんな不快感。
喉が渇く。水を求め、手探りで書類棚にぶつかる。
反射的に積み上げられた書類が道具類が床に崩れ落ちた。
拾おうとした指先が、ふと止まる。
透明の細長い、筒状の筆記具。
凛子が使っていた物と酷似している。
――どこかで、見た。
――誰かの声で、聞いた。
――大切な何かだった気がする。
脳裏に、一瞬。
黒髪を揺らす女の、笑った顔が過ぎる。
カミ―ヤ。
いや、違う。
その後ろに、もうひとり――光を反射する濃紺の瞳。
白い指。酒瓶を渡して笑った、女の影。
「あれは誰だ……」
声が震えた。
拳を握る。
その名を口に出そうとすると――頭蓋の内側に、焼け付くような激痛が走る。
「っ……!!」
膝が崩れ落ちた。
喉の奥で短い呻きが漏れる。
床に手を突くと、冷たさが伝わる。
思い出してはならない。
そんな、外側から叩きつけられるような拒絶感。
じり、と視界の隅で月影が揺れる。
「……リ……」
言おうとした名前は、霧散した。
代わりに、耳元で囁きがした。
『あなたは全部忘れていいのよ』
女の声がする。背筋が凍るほど、甘い。
シェイルは勢いよく跳ね起き窓を全開にした。
夜の冷気が、一気に流れ込む。
「……成程、忘れていたのは俺か」
低く呟いた声が、闇に沈む。
激痛はまだ頭蓋を締め付けている。
それでも、彼は目を逸らさなかった。
あの稀有な空間で、自分を呼んだ声。
確かに、自分はその手を取った。
いや、護ったのは――彼女の方だった。
なのに。
その存在を、己の意志で消し去ったように記憶が欠落していた。
……俺の中から消したのは、誰だ。
答えは、もうわかっている。
柔らかく笑うように見えて、決して手を離さない毒。
拳を握る。
掌には血が滲んでいた。
「残念ながら、俺は……これ以上お前たちの掌で踊らされない」
そう言い聞かせるように立ち上がる。
嘗て自分が使用していた、凛子の部屋にあったボールペン。
この世界においては未だ開発されていない、細長い筒型の筆記具を懐にしまった。
これは確かな証だ。
自分はそれを――知っている。
彼女が標的にされた理由が想像つく。
恐らく、他の誰でもなく、自分が原因で。
窓の外に視線を向ける。まだ夜は明けない。
それでも、遠く――戦火の匂いが風に混じっている。
「戦が始まるな」
この国の、そして彼自身の運命を揺るがす戦が。
軍衣を羽織り、剣を手に取る。
迷いの一片すら置き去りにするように。
「――リィンは譲れない」
その決意だけを胸に。
彼は夜の闇へと踏み出した。
今度こそ彼女を、手放さない。
その日の晩も、シェイルは自室に戻らず、軍本部の執務室に備え付けられている資料庫の奥の長椅子に横になっていた。
浅い眠りを見ていた気がする。ふと覚醒した彼は、世界がまだ朝を迎えていない事を知る。
どこか下劣で、怠惰な夢を見ていた。
そのまま眠り続けていたい。そう思わせる様な。
腕を伸ばし酒瓶を手に取るも、雫の一滴さえ残っていない。
このところ頻繁に彼を苛んでいる奥深い頭痛に、眉根を寄せ、額に手をあてる。
その痛みは、確かな理由を持っているわけでもない。
ただ、誰かに頭の内側から掻き回されているような、そんな不快感。
喉が渇く。水を求め、手探りで書類棚にぶつかる。
反射的に積み上げられた書類が道具類が床に崩れ落ちた。
拾おうとした指先が、ふと止まる。
透明の細長い、筒状の筆記具。
凛子が使っていた物と酷似している。
――どこかで、見た。
――誰かの声で、聞いた。
――大切な何かだった気がする。
脳裏に、一瞬。
黒髪を揺らす女の、笑った顔が過ぎる。
カミ―ヤ。
いや、違う。
その後ろに、もうひとり――光を反射する濃紺の瞳。
白い指。酒瓶を渡して笑った、女の影。
「あれは誰だ……」
声が震えた。
拳を握る。
その名を口に出そうとすると――頭蓋の内側に、焼け付くような激痛が走る。
「っ……!!」
膝が崩れ落ちた。
喉の奥で短い呻きが漏れる。
床に手を突くと、冷たさが伝わる。
思い出してはならない。
そんな、外側から叩きつけられるような拒絶感。
じり、と視界の隅で月影が揺れる。
「……リ……」
言おうとした名前は、霧散した。
代わりに、耳元で囁きがした。
『あなたは全部忘れていいのよ』
女の声がする。背筋が凍るほど、甘い。
シェイルは勢いよく跳ね起き窓を全開にした。
夜の冷気が、一気に流れ込む。
「……成程、忘れていたのは俺か」
低く呟いた声が、闇に沈む。
激痛はまだ頭蓋を締め付けている。
それでも、彼は目を逸らさなかった。
あの稀有な空間で、自分を呼んだ声。
確かに、自分はその手を取った。
いや、護ったのは――彼女の方だった。
なのに。
その存在を、己の意志で消し去ったように記憶が欠落していた。
……俺の中から消したのは、誰だ。
答えは、もうわかっている。
柔らかく笑うように見えて、決して手を離さない毒。
拳を握る。
掌には血が滲んでいた。
「残念ながら、俺は……これ以上お前たちの掌で踊らされない」
そう言い聞かせるように立ち上がる。
嘗て自分が使用していた、凛子の部屋にあったボールペン。
この世界においては未だ開発されていない、細長い筒型の筆記具を懐にしまった。
これは確かな証だ。
自分はそれを――知っている。
彼女が標的にされた理由が想像つく。
恐らく、他の誰でもなく、自分が原因で。
窓の外に視線を向ける。まだ夜は明けない。
それでも、遠く――戦火の匂いが風に混じっている。
「戦が始まるな」
この国の、そして彼自身の運命を揺るがす戦が。
軍衣を羽織り、剣を手に取る。
迷いの一片すら置き去りにするように。
「――リィンは譲れない」
その決意だけを胸に。
彼は夜の闇へと踏み出した。
今度こそ彼女を、手放さない。