2Kの君~終電帰りの限界OL、自室のドアを開けたら異世界騎士の部屋と繋がっていました
「結局さ、ボディランゲージだけでコミュニケーションを成立させるのって、難しいよね。最低限の欲求の表現とかだったらどうにか通じるけど『何かを飲みたい』の『何か』を事細かく説明する為には言語って大切なんだよ。

 そりゃー私はお酒ならなんでも好きだけど、お風呂上りの一杯はしゅわしゅわーぷはぁっ! って視覚と味覚にくわえて感覚で楽しみたいんだー。って、わっかんないかなあ、エイゼル。いやこの状況でそんな注文つけるの贅沢? 贅沢だよねー。うんうん判ってる。判ってるんだけど、ぐあーー。ストレス溜まる」

 くだを巻いているのは、凛子である。

 アルコール度数の高いライカ酒は、通常、一度表面に火を点けてアルコール分を少し飛ばしてから飲む。それも小指ほどの高さしかない盃に一杯の量をちびちびと時間をかけて飲む。エイゼル自身、酒には強い方であるが、風呂上り、血流の良い状態で一気に胃に流し込んだら、卒倒してしまうような気がする。

 身を清め、部屋へと戻ってきた凛子は窓際に設えられた酒席にエイゼルが着いていることに、片眉を跳ね上げたが特に何も言わず、そのまま歩み寄ると小ぶりな盃を手にした。

 二層になっている液体は、下部分が琥珀色、上部分は乳白色。遠くから細目で見ればビールに見えなくも無い。ほとんど一口で飲んでしまい、その味に非常にがっかりした顔をした凛子が、そのままよろよろ席に着くと、エイゼルが慌てたように何かを言う。凛子は力なく首を横に振り、返事代わりに盃を差し出す。

「モット」

「え、え?」

「ノミマス、コレ、クダサい、ライカ」

 という会話を数度繰り返し、冒頭に戻る。
 流石の凛子も、ライカ酒を七杯程飲んで、そこそこ酔っ払ったらしい。
 といか、実際には顔色も変わらぬまま。酔っぱらった気分に成りたかったのだ。

 開け放たれた窓から、室内へと流れ込む風は、火照った肌に心地よい。
 盃を卓にこつりとあてて置く。

 夜に支配された世界は、窓向こうを闇色に染め上げているが、隔離結界の中にいた時に見た暗い色とは、まったく異なっている。暫くの間指先で杯を突付いて凛子が、自信無さそうに、溜息を吐いた。

「私、帰れるんだよね……ここでお世話になっていたら……さっきの話ってそういう事でしょ」

 エイゼルは何も答えない。凛子の話す言葉の意味が判らないから、ただ、酒席に付き合っているだけだ。凛子は視線を青錆の髪に遣り、やや乱された卓上に遣り、また窓向こうに遣る。

「なーんか、いろんな人の好意受けちゃったな。リラさんとかロサさんとかニルとか。まあエイゼルも少しは」

 名前を呼ばれ、エイゼルは目を瞠る。
 しかし凛子はどこか遠いところを見るような表情で、窓向こうから視線を外さない。

「ディルもあのらすとーりゃさんも、悪党一味とかじゃなくて、いい人なんだよね、たぶん」

 この世界で、誰も理解されることのない言語による独白。
 そこに誰かがいても、本音を言えてしまうのは、居心地が悪い。
 大の大人がこんなに感情を露わにして、ぶつぶつ呟いている姿は、格好がつかないだろう。
 
 凛子は苦笑をもらし「オヤスミ、ネル」とこちらの言葉で告げ、席を立つ。

 何か言いたげな視線が追ってくるが、そのまま寝台に潜り込む。上掛けを頭の上まで引っ張り上げてしまった娘に、エイゼルは一瞬だけ躊躇したのち、娘の頭辺りにぽんと手を置き、部屋を後にした。

◇◇◇

 王都ガーラントにある大聖堂では、朝の儀礼、宵の儀礼に創生神への祈りが捧げられる。
 アゼリアス聖教会の総本山にあたるこの大聖堂では一年を通して、その儀礼が一日足りとも欠ける日は無い。

 春告、夏告、秋告、冬告と一年の終わりと始まりを告げる特別な儀礼は、時の聖王を迎えて行われる大きな行事で、平生ならば、粛々とした雰囲気のなか佇んでいる大聖堂に、僅かな喧騒を齎す。

 リアス聖教会は、基本的に一日中その門戸を開いている。街中に在る教会のみならず、大聖堂もまた然り。だが、王宮の北西に位置する大聖堂は、王都からもやや距離があり、人の訪れは特別な儀礼時を除くと、聖地を巡礼する者達を数に加えてもさほど多くは無い。

 ゼリアス山の山肌にしがみ付くような位置にある大聖堂への道は険しい階段を何百も登らなければならず、騎獣の類も、転送魔術も使用不可とされているからだ。変化を嫌う者達にとっては、安住の終の棲家ともいえよう。

 石段の両側に設置された灯火は等間隔に配され、夜の道を照らす。それらの灯火が一斉に点火され、山の頂に向かって伸びる曲線が浮かび上がる瞬間は、特別に美しいと言うが、ミアリエルは見たことが無かった。何故ならば、新しい季節の訪れを告げる大祭時くらいしか、まだ内宮より外に出たことが無い。

 祝祭週間の始まりの点火式を見る為には奥宮ではなく、せめて外門まで行かなければならない。
 兄王子達の昔語りのように、市井の者に身を窶して王都を忍び歩きたいと、常々思っているのだが、未だ嘗て一度として、その企みが成功した試しが無かった。

 だから例え、祝祭週間で賑わう王都を横に、紗で覆い隠された輿に担がれ、大聖堂への階段を登っているという、なんとも微妙な状況でも、心が躍らないわけがない。背後を振り返ると、だんだんと小さくなる家並みに頬を紅潮させる。つい紗をよけて顔を出すと、歓声をもって迎えられた。

 春告げの誉れは、大司祭の采配の下、聖王によって神への御礼がなされる。儀礼への参加は強制されるものでも、制限されるものでもなく、大聖堂へ向かう石段には民衆の姿も多い。

「ミアリエル様、そのように身を乗り出しておりますと転げ落ちますよ」

 護衛の近衛騎士に窘められ、しぶしぶと姿勢を正す。

「そんなに運動神経悪くないわ。こんな輿に担がれなくたって、この石段も駆け上がる自信あるもの」

「無謀な試みを企てないか見張っていてくれ。と右将軍様から言い付かっておりますゆえ」

「まあ、近衛はいつから聖王騎士団の配下になったのかしら」

「近衛騎士団も聖王騎士団も、おなじく聖王を戴いております」

「……こじゅうと」

「何か?」

 さらりと笑みで返され、ミアリエルは黙り込んだ。

 誰も彼もが、自分を子供扱いする。奥深く守られているのではなく、閉じ込められているような気分だ。あれをするなこれをするな。姫君らしくない。優秀な兄王子達と比べると、確かに自分はおまけのようなものだろう。

 亡くなった妃達の後に王の妻となった女の子供。
 たいした身分でもなく、しかも未亡人だった母。
 口さがない者が、母を妖女と隠れて呼んでいるのも知っている。
 実の息子を捨て、自らの欲に走った女。そんな女の娘だから、表に出さず秘匿しているのだ。
 自らをそう貶めて、ミアリエルは首を横に振った。

 そうではない。恐らく、自分はこのうえなく愛され、大切にされている。すくなくとも血の繋がりのある家族達からは。父王とも母妃とも兄王子達とも、そう頻繁に会うことは叶わないが、彼女の知る貴族の子女のように、ミアリエルは乳母の手によって育てられたわけではない。

 母妃が自らの手で自分を育てた。父王に抱かれ眠り、兄王子達に両手を引かれ歩くようになった。

 彼らと顔を会わす機会が減ったのはいつからだろうか。
 考え込むよう、ミアリエルは頬に手をあてる。

 生まれたときから、一番上の兄は皇太子で、二番目の兄は聖王騎士、三番目の兄は聖王庁の聖官だった。奥宮に住まう皇太子と内宮に住まうシェイルは兎も角として、聖官であるディエルに会うためには大聖堂に行かなければならない。

 聖官達は見習いから大司祭まで、大聖堂内で蟄居している。
 けれど、奥宮の庭園で笑いあった記憶にディエルの姿がある。

リズ(皇太孫)が生まれて……ラエル兄様達は北殿から西殿へ移られたのよね……シェル兄様が内宮に移られたのがその後で、ディル兄様が大司祭になられたのも……」

 同じ年。

 輿が揺れる。
 ミアリエルは慌てて吊り紐を両手で掴む。
 冗談ではなく輿から転がり落ちてしまいそうだった。

 到着を告げる護衛騎士の声。大聖堂の前広場に到着したようだった。

 アンジェの花の香り。期待と興奮の入り混じった、けれどもささやかな喧騒。創生神を讃える歌。ここから大聖堂の入り口へと続く階段は、たとえ王族でも歩いて登らなければならない。

 雲散してしまった思考にミアリエルは翡翠の瞳を瞬かせる。
 それから瞳を閉じ、再び開く。

 紗からゆっくりと姿を現した彼女は、毅然と顔を上げ口元には笑みを湛えた。視界の端にシェイルの姿が見える。奥宮の庭園ならば、飛びついている。だが、今はそうすべきではない。シェイルに手を取られ、彼女は静々と大聖堂へと足を進め始めた。神から春の訪れが告げられる夜が始まる。

 だが、もう一人の籠の鳥は、その夜の意味など知る由も無く、真白い夢の中をたゆたっていた。

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