2Kの君~終電帰りの限界OL、自室のドアを開けたら異世界騎士の部屋と繋がっていました
祭壇の前で、威風堂々たる面持ちの男が膝を落とした。
その横で、白を重ねた司祭服を身に纏っていた青年が聖句を唱えはじめる。
高い位置に並ぶ聖火の揺らめき。
ちらりと背後を振り返ると、興奮を隠せない沢山の瞳がこちらを見ている。
自分を見ているわけではない、祭壇の王と大司祭の一挙手一投足を皆が、見守っているのだ。
小脇をつつかれ、ミアリエルはあわてて正面を見すえる。
一段高い場所に位置している祭壇前では、父王が大司祭である兄と並んで頭を垂れている。
朗々と続く祈りの文言は長く、眠気を誘う。
本来ならば寝所に入っている刻限であるが、華宵本祭の宵宮は始まったばかりだ。
もぞりと体を動かすと、自分をつついた手が、背中に回される。長時間立ちっぱなしという事もあり、足が痛い。ミアリエルは背中をささえるシェイルの手に、有り難く体重を預けることにした。
これ以上は我慢が出来ない。こっそり靴を脱いでしまおうかと逡巡し始めた頃、祈りの言葉が余韻を残し締め括られた。
民を代表しリアス神に頭を垂れていた王が静かに立ち上がる。
隣に控えていた大司祭が続き、王へ五色で彩られた器を差し出す。
王の手によって供物台へと設えられた器に、左右から歩み出てきた聖官たちによって、穀物や果実の種が、ひとつずつ落とされていく。
春を告げる祝いは、豊穣の祈りでもある。
芽吹き始めた新しい生命が、無事に根付きますよう。
厳かなる鐘が鳴る。大聖堂の鐘の音を合図に、小神殿の澄んだ鐘の音が響く。
王宮の鐘楼が風を揺らす。街中にある教会の鐘が続く。そして、国中の至る所に設置されている、穀物で結い上げられた松明が、聖火から分けられた火種で点火され、炎が夜空を焦がす。
興奮に沸き立つ歓声。
今年も、春が告げられたのだ。
◇◇◇
ミアリエルは欠伸を噛み殺した。
もう少し起きていたい。お祭騒ぎとなっているであろう夜の街を今年こそは見てみたい。昨年までは王宮へ戻る頃には、輿の中で眠ってしまっていた。だから、今年こそは。
明日、華宵本祭の最終日、王宮で行われる大舞踏会に、ミアリエルは主催者側の一人として正式に出ることになっていた。賓客ではなく、客を持て成す社交の場へ。それはつまり、成人に向けた一歩を進むということだ。
兄達に言わせれば「まだ早い」の一言だろうが、自分のサロンで行われる茶会とは規模が違う公的な場で、ゲストを出迎えるのだ。
気合を入れ直すよう、清涼感のある少し苦い茶を飲み干す。
大聖堂のさらに奥にある広間に、やんごとなき身分の者とそれに仕える人間が集っていた。にも関わらず、場はかなり砕けた雰囲気だ。
それもその筈、この場にいるのは王族と彼らに仕える者のみ。
奥宮の一室であるかのような気安い空気である。
ミアリエルがお付の女官にお茶のおかわりを注文すると「そのくらいにしておきなさいませ」と窘められた。
「御不浄が近くなってしまいますよ」
はっきりとした言に、ミアリエルはお腹に手を当てる。言われてみるとちょっと……
「行っておきたいかも……?」
大聖堂から王宮まで戻るのには、かなりの時間がかかる。下手すると日付を越してしまうかもしれない。
女官は苦笑しつつミアリエルの手を取る。
「一人で行けるわよ」
「そういう訳にはいきませぬ」
立ち上がり、中央の方をちらりと見遣ると、歓談している輪から笑い声があがった。
ミアリエルは自分が笑われた訳でもないのに、なんとなく気まずい思いをしながら広間を後にする。
滑らかに続く床石に踵を落とすたび、音が響き回廊に沈み消える。
広間からさらに奥まった場所にある中庭を横切り、小さな建物へ向かう。
空は漆黒ではなく、国中を照らしている松明からの炎に、わずかばかり染められているような色をしていた。街の浮かれた空気が、静かな聖域にまで届いているような感覚。
無事用を足して、手水鉢で手を清めると、女官が柔らかい布を手渡してくれる。
庭の木立向こうにあるであろう街が見えないだろうかと、ついつい背伸びをしてしまう。
少しばかり歩いたことによって、眠気が吹き飛んだようだ。夜風にのる花の香りに、ミアリエルはうっとりと目を細める。
春なのだ。
夜の散歩――しかも奥宮ではない場所を歩いている。
広間へと戻る道すがら「エマウは誰かに花冠を渡すの?」なんとなく高揚する心のまま、ふと思い浮かんだ事を口にすると、女官は声を詰まらせたようだ。
「なぜですか?」
「へぇー、居るんだそういう人? だあれ? やっぱり騎士さま?」
「居りません」
きっぱりとした口調とは裏腹に、目元が僅かに赤い。
「それとも文官系かしら。エマウの水色の瞳にはねえ――」
思案するように唇に人差し指を当てる。視界の端で何かが動いた気がした。
目を凝らすと、青錆色の髪が木陰に見える。
「そうね、あんな髪色だったらとっても似合うかも」
「何を仰ってるんですか!」
示した方向へ行こうとする、ミアリエルをエマウが制する。
「折角だから名前をお聞きしましょうよ。って……あの方……」
小首を傾げる姿は、無垢にも見える。
しかしその中身がだいぶ変わった思考をしているのを、彼女の身近に居る者達は知っている。
「……聖官じゃないわ。帯剣していたもの」
「今宵は護衛の方も多くこちらにお越しですからね」
「でも、それなら騎士さまの格好をしているのではなくて? とってもとってもとってもとっても怪しいわ」
この奥には、聖官達が蟄居している庫院がある筈だ。
いつだったか、兄に見せてもらったその場所の配置を思い出しながら、ミアリエルはいくつかの疑問符を思い浮かべる。
それから悪巧みを思いついたような表情を隠すように、唇をきゅっと引き結んだ。
「やっぱりお名前をお聞きしてこなくちゃ」
今にも駆け出しそうなミアリエルに、女官は、とんでもないと首を横に振る。
「戻って護衛騎士の方々に知らせましょう」
「だめよ! そんな大騒ぎをしちゃ。蜂は藪からつついて出すものよ。私は真相を知りたいの」
胡散臭い人間が出入りしているとなると、女子供の手に負える問題ではない。
しかし主の言は、なんとなく支離滅裂である。
続けて、耳打ちされるように告げられた言葉に、エマウは目を白黒させた。
「愛人かもしれないの」
――青い鳥を、白き聖者と黒き賢者が飼いならしているんですって。
その横で、白を重ねた司祭服を身に纏っていた青年が聖句を唱えはじめる。
高い位置に並ぶ聖火の揺らめき。
ちらりと背後を振り返ると、興奮を隠せない沢山の瞳がこちらを見ている。
自分を見ているわけではない、祭壇の王と大司祭の一挙手一投足を皆が、見守っているのだ。
小脇をつつかれ、ミアリエルはあわてて正面を見すえる。
一段高い場所に位置している祭壇前では、父王が大司祭である兄と並んで頭を垂れている。
朗々と続く祈りの文言は長く、眠気を誘う。
本来ならば寝所に入っている刻限であるが、華宵本祭の宵宮は始まったばかりだ。
もぞりと体を動かすと、自分をつついた手が、背中に回される。長時間立ちっぱなしという事もあり、足が痛い。ミアリエルは背中をささえるシェイルの手に、有り難く体重を預けることにした。
これ以上は我慢が出来ない。こっそり靴を脱いでしまおうかと逡巡し始めた頃、祈りの言葉が余韻を残し締め括られた。
民を代表しリアス神に頭を垂れていた王が静かに立ち上がる。
隣に控えていた大司祭が続き、王へ五色で彩られた器を差し出す。
王の手によって供物台へと設えられた器に、左右から歩み出てきた聖官たちによって、穀物や果実の種が、ひとつずつ落とされていく。
春を告げる祝いは、豊穣の祈りでもある。
芽吹き始めた新しい生命が、無事に根付きますよう。
厳かなる鐘が鳴る。大聖堂の鐘の音を合図に、小神殿の澄んだ鐘の音が響く。
王宮の鐘楼が風を揺らす。街中にある教会の鐘が続く。そして、国中の至る所に設置されている、穀物で結い上げられた松明が、聖火から分けられた火種で点火され、炎が夜空を焦がす。
興奮に沸き立つ歓声。
今年も、春が告げられたのだ。
◇◇◇
ミアリエルは欠伸を噛み殺した。
もう少し起きていたい。お祭騒ぎとなっているであろう夜の街を今年こそは見てみたい。昨年までは王宮へ戻る頃には、輿の中で眠ってしまっていた。だから、今年こそは。
明日、華宵本祭の最終日、王宮で行われる大舞踏会に、ミアリエルは主催者側の一人として正式に出ることになっていた。賓客ではなく、客を持て成す社交の場へ。それはつまり、成人に向けた一歩を進むということだ。
兄達に言わせれば「まだ早い」の一言だろうが、自分のサロンで行われる茶会とは規模が違う公的な場で、ゲストを出迎えるのだ。
気合を入れ直すよう、清涼感のある少し苦い茶を飲み干す。
大聖堂のさらに奥にある広間に、やんごとなき身分の者とそれに仕える人間が集っていた。にも関わらず、場はかなり砕けた雰囲気だ。
それもその筈、この場にいるのは王族と彼らに仕える者のみ。
奥宮の一室であるかのような気安い空気である。
ミアリエルがお付の女官にお茶のおかわりを注文すると「そのくらいにしておきなさいませ」と窘められた。
「御不浄が近くなってしまいますよ」
はっきりとした言に、ミアリエルはお腹に手を当てる。言われてみるとちょっと……
「行っておきたいかも……?」
大聖堂から王宮まで戻るのには、かなりの時間がかかる。下手すると日付を越してしまうかもしれない。
女官は苦笑しつつミアリエルの手を取る。
「一人で行けるわよ」
「そういう訳にはいきませぬ」
立ち上がり、中央の方をちらりと見遣ると、歓談している輪から笑い声があがった。
ミアリエルは自分が笑われた訳でもないのに、なんとなく気まずい思いをしながら広間を後にする。
滑らかに続く床石に踵を落とすたび、音が響き回廊に沈み消える。
広間からさらに奥まった場所にある中庭を横切り、小さな建物へ向かう。
空は漆黒ではなく、国中を照らしている松明からの炎に、わずかばかり染められているような色をしていた。街の浮かれた空気が、静かな聖域にまで届いているような感覚。
無事用を足して、手水鉢で手を清めると、女官が柔らかい布を手渡してくれる。
庭の木立向こうにあるであろう街が見えないだろうかと、ついつい背伸びをしてしまう。
少しばかり歩いたことによって、眠気が吹き飛んだようだ。夜風にのる花の香りに、ミアリエルはうっとりと目を細める。
春なのだ。
夜の散歩――しかも奥宮ではない場所を歩いている。
広間へと戻る道すがら「エマウは誰かに花冠を渡すの?」なんとなく高揚する心のまま、ふと思い浮かんだ事を口にすると、女官は声を詰まらせたようだ。
「なぜですか?」
「へぇー、居るんだそういう人? だあれ? やっぱり騎士さま?」
「居りません」
きっぱりとした口調とは裏腹に、目元が僅かに赤い。
「それとも文官系かしら。エマウの水色の瞳にはねえ――」
思案するように唇に人差し指を当てる。視界の端で何かが動いた気がした。
目を凝らすと、青錆色の髪が木陰に見える。
「そうね、あんな髪色だったらとっても似合うかも」
「何を仰ってるんですか!」
示した方向へ行こうとする、ミアリエルをエマウが制する。
「折角だから名前をお聞きしましょうよ。って……あの方……」
小首を傾げる姿は、無垢にも見える。
しかしその中身がだいぶ変わった思考をしているのを、彼女の身近に居る者達は知っている。
「……聖官じゃないわ。帯剣していたもの」
「今宵は護衛の方も多くこちらにお越しですからね」
「でも、それなら騎士さまの格好をしているのではなくて? とってもとってもとってもとっても怪しいわ」
この奥には、聖官達が蟄居している庫院がある筈だ。
いつだったか、兄に見せてもらったその場所の配置を思い出しながら、ミアリエルはいくつかの疑問符を思い浮かべる。
それから悪巧みを思いついたような表情を隠すように、唇をきゅっと引き結んだ。
「やっぱりお名前をお聞きしてこなくちゃ」
今にも駆け出しそうなミアリエルに、女官は、とんでもないと首を横に振る。
「戻って護衛騎士の方々に知らせましょう」
「だめよ! そんな大騒ぎをしちゃ。蜂は藪からつついて出すものよ。私は真相を知りたいの」
胡散臭い人間が出入りしているとなると、女子供の手に負える問題ではない。
しかし主の言は、なんとなく支離滅裂である。
続けて、耳打ちされるように告げられた言葉に、エマウは目を白黒させた。
「愛人かもしれないの」
――青い鳥を、白き聖者と黒き賢者が飼いならしているんですって。