扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
◇◇◇

「今日はクァルツの街まで行くよ。クァルツからガーラントまでは、馬車で一日」

 凛子がここ一週間ほど居候させてもらっているのは、学術都市クァルツの東に広がる酪農地帯にある、とある家。

「バシャ、ガーラント? いく?」

 理解できたのは、エイゼルが言っていたガーラントの単語と、ここで覚えた馬車や行く。

「今日行くのはクァルツって所だよ。うちの義娘も一昨年から、あそこにある学舎に通ってるんだ」

「クァルツ? いく?」

「そうだよ。ニルが帰ってきたら、出かけよう。もう一杯お茶を淹れてくれるかい?」

 男の声に、凛子は目を瞬かせた後「ハい、オチャ、いレル」と答え立ち上がった。

 細かい模様が掘り込まれている石台の上に薬缶を置く。
 台に設置されてある板の手前には窪みがあり、そこに瑪瑙のような石を嵌めこむと、板は熱を持ったように熱くなる。恐らくこれも魔術というものなのだろう。

 凛子はほのかに温まった薬缶にそっと手を近づけ感嘆する。

 一時はどうなる事やらと思っていたのだが、白い犬とベレーの群れに誘われてたどり着いた先は、酪農家のようだった。どことなく祖父を思い起こさせる老人――ロサと、少年――ニルの二人暮し。言葉も通じない自分を置いてくれ、あまつさえ一部屋を提供してくれた。

 アゼリアスの治安がどれほどの物かは判らないのだが、最初に辿りついたリラの店にしても、あの街にしてもそれほど危険そうな雰囲気は無かった。平和な国――なのだろうか。といっても凛子の知るこの世界は、聞きかじった知識と、自分が見たものだけだ。

 ……エイゼルの例もあるのだから、そう簡単に心を預けない方が良いとは思う。
 なにせ、結果的に、荷物を奪われ身一つで放り出された。

 凛子の財産といえば、身に付けていた衣類と、コートのポケットに入れていたスマートフォンのみ。どうせ役に立たないのだから、今は電源を落としている。最後に見た日付は土曜日だった。とっくに週明け。すっぽかした打ち合わせはどうなってしまったのだろうと、今更ながらに思い出し青褪める。

 二連休どころの話ではなかった。連続した無駄欠勤から家族に連絡が行っている事は間違いない。ゴミ部屋はいつもの事……だけれど、何らかの事件に巻き込まれて、失踪。なんて。都会ではよくありそうな構図ができあがる。

 ただ、どうする事も出来ない。
 ここは、自分の知るあの世界ではないのだ。
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