2Kの君~終電帰りの限界OL、自室のドアを開けたら異世界騎士の部屋と繋がっていました
濃い緑の影にひらり、と若苗色のドレスが揺れる。
樹立がかさり、とかそけき音を立てた。
少女は息を潜めて先を見つめる。
青錆色をした髪の男は確かな足取りで奥へ奥へと歩を進める。
「……間違いないわ」
こくりと喉を鳴らした主に、エマウも不安げに言葉を漏らす。
「ミアリエル様……皆さまが心配されますからもう戻りましょう」
先ほどから何度も告げているのだが、主は頑として譲らない。
愛人云々の話は大変興味深いのだが、この場において好奇心を優先させるのは女官としての矜持が許さない。どうにか主を説得しようと先ほどから試みているものの、王女は翡翠色の瞳をきらきらさせ熱っぽく語ったかと思うと、瞳を潤ませながら迷子の犬のように見上げてきたり……と、つまり、あの手この手を使っては精神的にエマウを攻撃する。
エマウは聖域のこんな奥にまで来たことはない。
年に五度ほどある大祭時に、主の供として大聖堂を訪れたくらいで、足を踏み入れた場などせいぜい大聖堂の奥にある控えの広間と中庭の隅にある御不浄くらいである。
庫院の建物は山肌を背に静かに建っていた。
入口は両開きの扉が一つ。その横には夜を照らす松明と、聖官の姿も見える。
こんな静かな場所で先ほど主が言っていた「蜂の巣をつついて」真相究明に挑もうものなら、大騒ぎになるに決まっている。
リアス教会はいかなるものにも門戸が開かれているが、大聖堂の聖官は男性が殆どだという。
ドレス姿のミアリエルや女官姿のエマウが庫院の周りをうろうろしているのが見つかったら、それこそ誰かを忍んできたと思われてしまう。
何やら頭痛までしてきたが、それでも彼女はおのが主を最後まで止めようと努力していた。と、彼女の名誉の為にも言っておこう。
青錆色をした髪の男は、誰にも咎めだてされずに、建物の奥へと入っていった。
「エマウ見て。鳥が歩いてるのよ。青い鳥。あなた見たことある?」
脳内で幾つもの言い訳を並べ立てていたエマウは、主の言葉に「今更」と思う。
さながら隠語のように「青い鳥」と呼ばわれた青錆色の髪をした男を追ってきたのだ。
「あの人の事じゃないわ。そこ」
つ、と指で示された先を見やると、庭樹の影を青味がかった鳥が片翼を広げたまま、よちよちと進んでいる。
「鳥……ですわね……」
「鴨とかじゃないのよ。しかも今は夜よ! 鳥って夜目が効くの? それとも飛ぼうと思ったけど良く見えなかったから歩くことにしたのかしら」
言いながら今度は鳥を追うように茂みの方へ向かい始める主の背を見て、エマウは慌てて我に返る。
「ミアリエル様っ!」
「ほら……私たちにこっちに来てって言っているみたいじゃない?」
クゥ、と青い鳥は小さな声で鳴く。
ミアリエルがまたふらりと一歩そちらへ寄ると、鳥はまるで頷くかのような仕草を見せ、よちよちと歩き始める。
「呼んでいるのよ。なにか困った事があるんだわ、きっと」
少女の好奇心は次から次へと移る。
主人の供でご不浄に行った筈の自分が、いつまでたっても帰ってこないことに、そろそろ誰かが気がついてもおかしくない頃だ。内心で溜息を吐き、彼女は樹立の影をいく主の背を見失わないように追いかけた。
一羽の青い鳥を追いかけて進んだ先には、もう一羽の青い鳥が片翼を広げたまま佇んでいた。
合流した二羽が揃って歩き始める。そしてまたもう一羽。そしてさらに。増え続ける歩く鳥はいったい今何羽いるのだろう。
歩く鳥の一団をミアリエルと女官は追う。
やがて少しだけ開けた場所に出る。樹立の中でも一際太い幹をした樹を囲むように、歩く鳥たちはその歩みを止めた。
「立派な樹……何かあるの?」
ミアリエルはそっと樹の幹に手をあて、見上げる。
何かを期待するように、ある鳥がまたクゥと鳴く。またある鳥は広げた片翼を奮わせる。
見れば、樹の上方にある枝にも鳥が留まっている。一羽だけではない、ミアリエルとエマウの両手を合わせた以上の数。
「ここって、あなたたちの、寝る場所?」
鳥達はミアリエルの声になんの反応も示さない。
「ちがうの? うーん困ったわね。エマウあなた鳥語はわかる?」
そんな魔術があるのだろうか。
期待するようにこちらを伺っている鳥達の目に、エマウはなんとなく居心地が悪い気がして「わかりません」と言いながら後ずさる。
「そうよね……」
しばし思案していたミアリエルだったが、何かを思いついたように目の前にある樹の肌へ両手をあてる。
静かに注がれる魔力。かさかさと葉擦れの音をさせ、枝が腕をおろす。人が腰掛けるのに手ごろな幅を持っているそれに、ミアリエルはきれいな微笑を零すと、エマウの腕を引き、躊躇無くそれに跨った。鳥達がそれに続く。
次の瞬間ぐぃんと枝が持ち上がり、ミアリエルはあわてて体を安定させるようしがみ付いた。背後にいるエマウは声にならない叫び声をあげたようだ。お目付け役を出し抜けた事に、いくばくかの爽快さを味わう。これは彼女にとって、いつもの遊びだった。
「姫……さま……、私、高い場所が……」
「そんなに高くないわよ、だってほらせいぜい二階程度の高さよ」
ミアリエルの正面に窓がある。
庫院の一室だろう。
一羽の鳥が、ミアリエルの膝に飛び乗り、ドレスの布地を啄ばんだかと思うと窓の方へ体を向ける。室内の照明は落とされている。が、開けはなれた窓枠には、パン屑らしきものが並べられてある。またもう一羽の鳥が、つんつんとミアリエルを突付く。
「お前達あれが欲しかったの?」
ミアリエルは声をあげて笑い出したかった。
鳥達に誘われるというのも初めての経験だったし、彼等の目的(と言ってもいいのかは不明だが)がパン屑を欲することだなんて。
あまりにも馬鹿げていて、予想外だが、自分の冒険譚らしいといえばらしい。
「少し待ってね」
枝から窓まではミアリエルの体分離れている。
「樹さん手伝ってくれるかしら」
優しい力を幹へと伝えると、腕を伸ばすよう枝がしなる。
そして、あと窓まであと僅かという場所で伸びた枝がぴたりと止まる。
嬉々とした様子で枝をちょんちょん渡った鳥が、何かに邪魔され、ぼたりと地上へ落ちた。
「なにこれ…………結界……?」
ミアリエルは、流れる力に目を凝らす。
奥宮を保護しているものに似ているようだった。
――――許諾無き者は入る事叶わず。
試しに、髪飾りを投げつけてみると、見えない壁に弾かれ落ちる。
鳥達がクゥクゥ急かすように騒ぎ始め、ミアリエルは困ったように眉を下げる。瞬間、背後でエマウが息を飲んだ。
「ミアリエル、様っ」
女官の指差す先、開け放たれた窓の向こう。
闇色の中、闇色を纏った一人の女が、ぽかんとした表情でこちらを見ていた。
奇妙な沈黙が降りる。
「こんばんは良い夜ですわね」
ミアリエルの声に、室内に居た女はぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「……コンバンハ……ダレ……」
「聖官の方? 女性がいらっしゃるなんて珍しいですわね……ええと、お願いがあるんです。そこの、パン屑をいただけないかしら? この子達のために」
「パン……?」
「ええ、パン屑」
枝先の鳥がばさりと両翼を広げる。
黒髪の女は一瞬驚いたように鳥を凝視し、それでもどこか納得のいったような表情で小さく頷くと、パン屑を寄せ集め、片手をミアリエルに向け差し出し、ぴたりと動きを止める。女の手を目指してぴょんと飛び上がった鳥が、また、ぼたりと地上へ落ちた。
女は困惑したようにじっとこちらを見つめ返す。
ミアリエルは眉を寄せる。
再度腕を伸ばそうとした女の動きは、すべて見えぬ壁に遮られる。
「デキナい」
幼子のような発音で女が言った。
「なんてこと……」
ぐるぐると思考を巡らせていたミアリエルがぽつりと呟いた。
――――許諾無き者は入る事叶わず。
そして――許可無き者の出る事を禁ず。
奥宮内のミアリエルが生活する範囲を守護する結界と、同様の物がこの庫院に施されているのだ。
誰かを護る。否、閉じ込める為の結界。
――籠の鳥。
途端に心の内を逆流するかのような感覚。怒り。
「先ほどの質問にお答えします。わたくしはミアリエル。ええ、ええ、あなたの同志ですわっ!」
樹立がかさり、とかそけき音を立てた。
少女は息を潜めて先を見つめる。
青錆色をした髪の男は確かな足取りで奥へ奥へと歩を進める。
「……間違いないわ」
こくりと喉を鳴らした主に、エマウも不安げに言葉を漏らす。
「ミアリエル様……皆さまが心配されますからもう戻りましょう」
先ほどから何度も告げているのだが、主は頑として譲らない。
愛人云々の話は大変興味深いのだが、この場において好奇心を優先させるのは女官としての矜持が許さない。どうにか主を説得しようと先ほどから試みているものの、王女は翡翠色の瞳をきらきらさせ熱っぽく語ったかと思うと、瞳を潤ませながら迷子の犬のように見上げてきたり……と、つまり、あの手この手を使っては精神的にエマウを攻撃する。
エマウは聖域のこんな奥にまで来たことはない。
年に五度ほどある大祭時に、主の供として大聖堂を訪れたくらいで、足を踏み入れた場などせいぜい大聖堂の奥にある控えの広間と中庭の隅にある御不浄くらいである。
庫院の建物は山肌を背に静かに建っていた。
入口は両開きの扉が一つ。その横には夜を照らす松明と、聖官の姿も見える。
こんな静かな場所で先ほど主が言っていた「蜂の巣をつついて」真相究明に挑もうものなら、大騒ぎになるに決まっている。
リアス教会はいかなるものにも門戸が開かれているが、大聖堂の聖官は男性が殆どだという。
ドレス姿のミアリエルや女官姿のエマウが庫院の周りをうろうろしているのが見つかったら、それこそ誰かを忍んできたと思われてしまう。
何やら頭痛までしてきたが、それでも彼女はおのが主を最後まで止めようと努力していた。と、彼女の名誉の為にも言っておこう。
青錆色をした髪の男は、誰にも咎めだてされずに、建物の奥へと入っていった。
「エマウ見て。鳥が歩いてるのよ。青い鳥。あなた見たことある?」
脳内で幾つもの言い訳を並べ立てていたエマウは、主の言葉に「今更」と思う。
さながら隠語のように「青い鳥」と呼ばわれた青錆色の髪をした男を追ってきたのだ。
「あの人の事じゃないわ。そこ」
つ、と指で示された先を見やると、庭樹の影を青味がかった鳥が片翼を広げたまま、よちよちと進んでいる。
「鳥……ですわね……」
「鴨とかじゃないのよ。しかも今は夜よ! 鳥って夜目が効くの? それとも飛ぼうと思ったけど良く見えなかったから歩くことにしたのかしら」
言いながら今度は鳥を追うように茂みの方へ向かい始める主の背を見て、エマウは慌てて我に返る。
「ミアリエル様っ!」
「ほら……私たちにこっちに来てって言っているみたいじゃない?」
クゥ、と青い鳥は小さな声で鳴く。
ミアリエルがまたふらりと一歩そちらへ寄ると、鳥はまるで頷くかのような仕草を見せ、よちよちと歩き始める。
「呼んでいるのよ。なにか困った事があるんだわ、きっと」
少女の好奇心は次から次へと移る。
主人の供でご不浄に行った筈の自分が、いつまでたっても帰ってこないことに、そろそろ誰かが気がついてもおかしくない頃だ。内心で溜息を吐き、彼女は樹立の影をいく主の背を見失わないように追いかけた。
一羽の青い鳥を追いかけて進んだ先には、もう一羽の青い鳥が片翼を広げたまま佇んでいた。
合流した二羽が揃って歩き始める。そしてまたもう一羽。そしてさらに。増え続ける歩く鳥はいったい今何羽いるのだろう。
歩く鳥の一団をミアリエルと女官は追う。
やがて少しだけ開けた場所に出る。樹立の中でも一際太い幹をした樹を囲むように、歩く鳥たちはその歩みを止めた。
「立派な樹……何かあるの?」
ミアリエルはそっと樹の幹に手をあて、見上げる。
何かを期待するように、ある鳥がまたクゥと鳴く。またある鳥は広げた片翼を奮わせる。
見れば、樹の上方にある枝にも鳥が留まっている。一羽だけではない、ミアリエルとエマウの両手を合わせた以上の数。
「ここって、あなたたちの、寝る場所?」
鳥達はミアリエルの声になんの反応も示さない。
「ちがうの? うーん困ったわね。エマウあなた鳥語はわかる?」
そんな魔術があるのだろうか。
期待するようにこちらを伺っている鳥達の目に、エマウはなんとなく居心地が悪い気がして「わかりません」と言いながら後ずさる。
「そうよね……」
しばし思案していたミアリエルだったが、何かを思いついたように目の前にある樹の肌へ両手をあてる。
静かに注がれる魔力。かさかさと葉擦れの音をさせ、枝が腕をおろす。人が腰掛けるのに手ごろな幅を持っているそれに、ミアリエルはきれいな微笑を零すと、エマウの腕を引き、躊躇無くそれに跨った。鳥達がそれに続く。
次の瞬間ぐぃんと枝が持ち上がり、ミアリエルはあわてて体を安定させるようしがみ付いた。背後にいるエマウは声にならない叫び声をあげたようだ。お目付け役を出し抜けた事に、いくばくかの爽快さを味わう。これは彼女にとって、いつもの遊びだった。
「姫……さま……、私、高い場所が……」
「そんなに高くないわよ、だってほらせいぜい二階程度の高さよ」
ミアリエルの正面に窓がある。
庫院の一室だろう。
一羽の鳥が、ミアリエルの膝に飛び乗り、ドレスの布地を啄ばんだかと思うと窓の方へ体を向ける。室内の照明は落とされている。が、開けはなれた窓枠には、パン屑らしきものが並べられてある。またもう一羽の鳥が、つんつんとミアリエルを突付く。
「お前達あれが欲しかったの?」
ミアリエルは声をあげて笑い出したかった。
鳥達に誘われるというのも初めての経験だったし、彼等の目的(と言ってもいいのかは不明だが)がパン屑を欲することだなんて。
あまりにも馬鹿げていて、予想外だが、自分の冒険譚らしいといえばらしい。
「少し待ってね」
枝から窓まではミアリエルの体分離れている。
「樹さん手伝ってくれるかしら」
優しい力を幹へと伝えると、腕を伸ばすよう枝がしなる。
そして、あと窓まであと僅かという場所で伸びた枝がぴたりと止まる。
嬉々とした様子で枝をちょんちょん渡った鳥が、何かに邪魔され、ぼたりと地上へ落ちた。
「なにこれ…………結界……?」
ミアリエルは、流れる力に目を凝らす。
奥宮を保護しているものに似ているようだった。
――――許諾無き者は入る事叶わず。
試しに、髪飾りを投げつけてみると、見えない壁に弾かれ落ちる。
鳥達がクゥクゥ急かすように騒ぎ始め、ミアリエルは困ったように眉を下げる。瞬間、背後でエマウが息を飲んだ。
「ミアリエル、様っ」
女官の指差す先、開け放たれた窓の向こう。
闇色の中、闇色を纏った一人の女が、ぽかんとした表情でこちらを見ていた。
奇妙な沈黙が降りる。
「こんばんは良い夜ですわね」
ミアリエルの声に、室内に居た女はぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「……コンバンハ……ダレ……」
「聖官の方? 女性がいらっしゃるなんて珍しいですわね……ええと、お願いがあるんです。そこの、パン屑をいただけないかしら? この子達のために」
「パン……?」
「ええ、パン屑」
枝先の鳥がばさりと両翼を広げる。
黒髪の女は一瞬驚いたように鳥を凝視し、それでもどこか納得のいったような表情で小さく頷くと、パン屑を寄せ集め、片手をミアリエルに向け差し出し、ぴたりと動きを止める。女の手を目指してぴょんと飛び上がった鳥が、また、ぼたりと地上へ落ちた。
女は困惑したようにじっとこちらを見つめ返す。
ミアリエルは眉を寄せる。
再度腕を伸ばそうとした女の動きは、すべて見えぬ壁に遮られる。
「デキナい」
幼子のような発音で女が言った。
「なんてこと……」
ぐるぐると思考を巡らせていたミアリエルがぽつりと呟いた。
――――許諾無き者は入る事叶わず。
そして――許可無き者の出る事を禁ず。
奥宮内のミアリエルが生活する範囲を守護する結界と、同様の物がこの庫院に施されているのだ。
誰かを護る。否、閉じ込める為の結界。
――籠の鳥。
途端に心の内を逆流するかのような感覚。怒り。
「先ほどの質問にお答えします。わたくしはミアリエル。ええ、ええ、あなたの同志ですわっ!」