2Kの君~終電帰りの限界OL、自室のドアを開けたら異世界騎士の部屋と繋がっていました
大聖堂の控え広間で談笑していたディエルは、弾かれたように立ち上がった。
己が織り上げた術への干渉。
「いまのは」
自然を満たす力が乱れた。
「ええ」
小さく頷いたディエルは「ああ、でも」と押し戻すようにシェイルの肩に手を置き、続ける。
「シェイルはどうぞここに居てください。ミアリエルが私の結界に力をぶつけたようです。――たぶん問題ありません。ええ全く」
「おい、どこが問題ないんだ」
「――ちょっと様子を見てきます。あの娘は力の制御が下手ですからね。何かの拍子にうっかり力を解放させてしまったんでしょう。仕方の無い娘です」
珍しく気まずそうな表情を浮かべ、ディエルがそそくさと部屋を出て行く。
肩を押さえつける力の思いがけない強さに、内心首を捻る。
「……五人ほど付いて来い。残りは分かれて中と外の警護にあたれ」
暴発に近い形で爆発した力の残滓からは、ディエルが言ったとおり危険な物は感じられない。
が、万が一という事もある。
あの娘はなにをやらかしたのだ。とひとりごち、シェイルは大司祭を追う。
そして庫院に駆けつけたシェイルは、呆れ果てた惨状に思わず溜息を吐いた。
植物に蹂躙しつくされ半壊となっている建物。
不自然なほど伸びきった庫院周りの木立――一部は建物一階の壁に突き刺さり、屋根まで抜けていた。
時を少し遡る。
非情に珍しい事に、恐らくほんの少しだけ酔っ払って寝入ってしまっていた凛子は、不意に喉の渇きを覚え目を覚ました。
頭の奥がじんわりとしびれているような気がする。
室内は暗く、だが照明の点け方を知らなかった彼女は手探りで水差しを求め、窓辺に寄った。
確か卓の上に目当ての物はある筈。
ぼんやりとした記憶を辿りながら、薄闇に手を伸ばしかけた時、押し殺したような声を聞いた気がして顔をあげた。
可愛らしい少女が闇夜に浮かんでいる。
胡乱な頭のまま目を凝らすと、少女は浮かんでいるのではなく、樹の枝にまたがっているのだった。その後ろにももう一人、自分よりかは若そうな女性が必死な形相で枝にしがみ付いている。そして彼女達をとりまくたくさんの青い鳥。ファンタジックであり異様な光景だった。
淡茶の柔らかな巻き髪に翡翠色の瞳。
若苗色のドレスは捲くれ上がり、しっかりと樹の太い枝に巻きついている。そんな体制で少女はにっこりと微笑んだ。
短いやりとりの中で理解できたのは、この少女はどうやら鳥にパン屑を与えたくて、樹に登ったという事。なぜ、どうして、という疑問が駆け巡るが、凛子は意思疎通を楽にはかれるほど、こちらの言葉を知らない。少女の願いに応えるべく、桟に並べたパン屑を渡そうとしたのだが、見えない壁にぶち当たりどうしてもそれを渡すことが出来なかった。
そして――少女が何事かを叫んだ。
呆然とする凛子の目の前で、少女の登っていた樹がめきめきと音を立てながら体を膨らませていく。こちらに向かって伸びてくる枝は見えない壁に遮られ、不自然な方向に曲がっていく。あっという間に視界は緑と茶色で隠され、どしんという衝撃と共に凛子はすっころんだ。派手に何かが壊れる音が、暗闇に響く。
「リィン! 大丈夫っ!」
飛び込んできたエイゼルに抱き起こされる。
凄い力でがくがくと体を揺すられ、凛子は口元を手で覆った。
「ぎもぢわる……あんまり揺すらないで……」
「魔力にあてられたかっ!」
「頭に響く……大声やめて……」
日本語で苦しそうにうめく凛子に、エイゼルは一層必死の形相になりぺたぺたと額や頬に手を当てる。無理やりに立ち上がらされ、凛子の体は重力をうまく捕らえきれずに、ぐらりと傾いた。
冷静な状況でいられる訳が無い。起き抜けで、喉もまだ潤せないまま、樹上の少女と対峙していたかと思ったら、樹の枝が膨らみ、何かの衝撃で転び、エイゼルにがくがく揺さぶられる。
夢の続きなのか、はたまた現実に起きている出来事なのか。こちらに来てから訳のわからない事だらけだ。挙句の果て、エイゼルに荷物のように担ぎ上げられ、ぎゃあぎゃあ喚いた。
◇◇◇
「自分が何をしたか理解しているんですか?」
ミアリエルは、猫の子の様に首根っこを掴まれぶら下げられていた。
「甘やかしすぎましたかねえ」
「わ、わたくし何も悪いことしていないわ。庫院を損壊させた事は認めますっ! でも!」
「でも。じゃありません。自覚が足りなさ過ぎる」
貴女は王族。民の見本でしょう。
大司祭は笑みを湛えるが、瞳の奥は笑っていない。
ぼろっと、大粒の涙が零れ落ち、ミアリエルの頬を濡らす。
「お兄様――大司祭様がっ、あんな……ふしだら!」
「何ですいきなり」
騎士を引き連れ姿を現したシェイルを視界の端に捕らえ、ディエルは苦虫を潰したような表情を浮かべ、ミアリエルをぽいっとそちらに投げる。
「この悪戯娘を広間へ。報告は後にしましょう。これでは今夜寝る場所が無くなってしまう」
「お前達は片付けを手伝え」
部下に指示を出すシェイルに、ディエルが腕を振る。
「大丈夫です。人手は足りていますし、聖域の問題は聖域で片します」
「そういうわけにはいかん。これを引き起こしたのはミアリエルなんだろう。何故こんな騒ぎを」
呆れ果てた声の調子に、反省しつつも、ミアリエルは言い訳を紡ぐ。
「だって……助けたかったんですもの。閉じ込められてるの……」
「――人聞きが悪いね。大切な客人を預かっているだけだよ。さ、もう広間にお帰り。お仕置きは明日だ」
「お、お仕置きなんて受けないわよ! 嫌がらせとしか言い様が無い守護結界から」
「ミリィ!」
ディエルが鋭い声を飛ばす。
ミアリエルが身を竦ませる。
喉をひくつかせ、しがみ付いてくるミアリエルを抱き上げ、シェイルは天を仰いだ。
刹那、木霊するヒステリックな女の叫び声。
「揺すらないでって言ってるでしょ! 下ろせーーーー!!」
庫院の一階の殆どが樹に侵食されていた。
二階通路の中央辺りまで腕を伸ばしていた枝はそのまま見えない壁に沿って天井へ突き抜けている。通路の中央でエイゼルは凛子を抱き上げたまま立ちすくんでいた。
今、二重結界が圧倒的な力でねじ切られた。その方向を見るのが恐ろしい位の、威圧感。
かつ、と足音が響く。かつ、かつ。
抱えあげられてばたばたしていた凛子を浚う誰かの腕。
大切そうに、抱き込まれる。
精緻な刺繍がされた、藍色をした儀礼服が目に映る。
視界の端で揺れる色はいつか見たような。
「リィン」
低めの掠れた声を、知っている。
「リィン」
その声を、知っている。
だから、名前を呼ぼうとして顔をあげ、
「え……?」
そこにある記憶とは違う顔の男に、首を傾げた。
己が織り上げた術への干渉。
「いまのは」
自然を満たす力が乱れた。
「ええ」
小さく頷いたディエルは「ああ、でも」と押し戻すようにシェイルの肩に手を置き、続ける。
「シェイルはどうぞここに居てください。ミアリエルが私の結界に力をぶつけたようです。――たぶん問題ありません。ええ全く」
「おい、どこが問題ないんだ」
「――ちょっと様子を見てきます。あの娘は力の制御が下手ですからね。何かの拍子にうっかり力を解放させてしまったんでしょう。仕方の無い娘です」
珍しく気まずそうな表情を浮かべ、ディエルがそそくさと部屋を出て行く。
肩を押さえつける力の思いがけない強さに、内心首を捻る。
「……五人ほど付いて来い。残りは分かれて中と外の警護にあたれ」
暴発に近い形で爆発した力の残滓からは、ディエルが言ったとおり危険な物は感じられない。
が、万が一という事もある。
あの娘はなにをやらかしたのだ。とひとりごち、シェイルは大司祭を追う。
そして庫院に駆けつけたシェイルは、呆れ果てた惨状に思わず溜息を吐いた。
植物に蹂躙しつくされ半壊となっている建物。
不自然なほど伸びきった庫院周りの木立――一部は建物一階の壁に突き刺さり、屋根まで抜けていた。
時を少し遡る。
非情に珍しい事に、恐らくほんの少しだけ酔っ払って寝入ってしまっていた凛子は、不意に喉の渇きを覚え目を覚ました。
頭の奥がじんわりとしびれているような気がする。
室内は暗く、だが照明の点け方を知らなかった彼女は手探りで水差しを求め、窓辺に寄った。
確か卓の上に目当ての物はある筈。
ぼんやりとした記憶を辿りながら、薄闇に手を伸ばしかけた時、押し殺したような声を聞いた気がして顔をあげた。
可愛らしい少女が闇夜に浮かんでいる。
胡乱な頭のまま目を凝らすと、少女は浮かんでいるのではなく、樹の枝にまたがっているのだった。その後ろにももう一人、自分よりかは若そうな女性が必死な形相で枝にしがみ付いている。そして彼女達をとりまくたくさんの青い鳥。ファンタジックであり異様な光景だった。
淡茶の柔らかな巻き髪に翡翠色の瞳。
若苗色のドレスは捲くれ上がり、しっかりと樹の太い枝に巻きついている。そんな体制で少女はにっこりと微笑んだ。
短いやりとりの中で理解できたのは、この少女はどうやら鳥にパン屑を与えたくて、樹に登ったという事。なぜ、どうして、という疑問が駆け巡るが、凛子は意思疎通を楽にはかれるほど、こちらの言葉を知らない。少女の願いに応えるべく、桟に並べたパン屑を渡そうとしたのだが、見えない壁にぶち当たりどうしてもそれを渡すことが出来なかった。
そして――少女が何事かを叫んだ。
呆然とする凛子の目の前で、少女の登っていた樹がめきめきと音を立てながら体を膨らませていく。こちらに向かって伸びてくる枝は見えない壁に遮られ、不自然な方向に曲がっていく。あっという間に視界は緑と茶色で隠され、どしんという衝撃と共に凛子はすっころんだ。派手に何かが壊れる音が、暗闇に響く。
「リィン! 大丈夫っ!」
飛び込んできたエイゼルに抱き起こされる。
凄い力でがくがくと体を揺すられ、凛子は口元を手で覆った。
「ぎもぢわる……あんまり揺すらないで……」
「魔力にあてられたかっ!」
「頭に響く……大声やめて……」
日本語で苦しそうにうめく凛子に、エイゼルは一層必死の形相になりぺたぺたと額や頬に手を当てる。無理やりに立ち上がらされ、凛子の体は重力をうまく捕らえきれずに、ぐらりと傾いた。
冷静な状況でいられる訳が無い。起き抜けで、喉もまだ潤せないまま、樹上の少女と対峙していたかと思ったら、樹の枝が膨らみ、何かの衝撃で転び、エイゼルにがくがく揺さぶられる。
夢の続きなのか、はたまた現実に起きている出来事なのか。こちらに来てから訳のわからない事だらけだ。挙句の果て、エイゼルに荷物のように担ぎ上げられ、ぎゃあぎゃあ喚いた。
◇◇◇
「自分が何をしたか理解しているんですか?」
ミアリエルは、猫の子の様に首根っこを掴まれぶら下げられていた。
「甘やかしすぎましたかねえ」
「わ、わたくし何も悪いことしていないわ。庫院を損壊させた事は認めますっ! でも!」
「でも。じゃありません。自覚が足りなさ過ぎる」
貴女は王族。民の見本でしょう。
大司祭は笑みを湛えるが、瞳の奥は笑っていない。
ぼろっと、大粒の涙が零れ落ち、ミアリエルの頬を濡らす。
「お兄様――大司祭様がっ、あんな……ふしだら!」
「何ですいきなり」
騎士を引き連れ姿を現したシェイルを視界の端に捕らえ、ディエルは苦虫を潰したような表情を浮かべ、ミアリエルをぽいっとそちらに投げる。
「この悪戯娘を広間へ。報告は後にしましょう。これでは今夜寝る場所が無くなってしまう」
「お前達は片付けを手伝え」
部下に指示を出すシェイルに、ディエルが腕を振る。
「大丈夫です。人手は足りていますし、聖域の問題は聖域で片します」
「そういうわけにはいかん。これを引き起こしたのはミアリエルなんだろう。何故こんな騒ぎを」
呆れ果てた声の調子に、反省しつつも、ミアリエルは言い訳を紡ぐ。
「だって……助けたかったんですもの。閉じ込められてるの……」
「――人聞きが悪いね。大切な客人を預かっているだけだよ。さ、もう広間にお帰り。お仕置きは明日だ」
「お、お仕置きなんて受けないわよ! 嫌がらせとしか言い様が無い守護結界から」
「ミリィ!」
ディエルが鋭い声を飛ばす。
ミアリエルが身を竦ませる。
喉をひくつかせ、しがみ付いてくるミアリエルを抱き上げ、シェイルは天を仰いだ。
刹那、木霊するヒステリックな女の叫び声。
「揺すらないでって言ってるでしょ! 下ろせーーーー!!」
庫院の一階の殆どが樹に侵食されていた。
二階通路の中央辺りまで腕を伸ばしていた枝はそのまま見えない壁に沿って天井へ突き抜けている。通路の中央でエイゼルは凛子を抱き上げたまま立ちすくんでいた。
今、二重結界が圧倒的な力でねじ切られた。その方向を見るのが恐ろしい位の、威圧感。
かつ、と足音が響く。かつ、かつ。
抱えあげられてばたばたしていた凛子を浚う誰かの腕。
大切そうに、抱き込まれる。
精緻な刺繍がされた、藍色をした儀礼服が目に映る。
視界の端で揺れる色はいつか見たような。
「リィン」
低めの掠れた声を、知っている。
「リィン」
その声を、知っている。
だから、名前を呼ぼうとして顔をあげ、
「え……?」
そこにある記憶とは違う顔の男に、首を傾げた。