2Kの君~終電帰りの限界OL、自室のドアを開けたら異世界騎士の部屋と繋がっていました
宵宮明けて。
寝不足気味な顔をしている者が多い外宮を、すいすい歩いている黒き賢者もまた、その足取りと反比例するよう、顔に疲労を張り付かせていた。
聖域で起こった大騒動の後始末に奔走され、半刻も横になっていない。
執務室をあけると、案の定、どんよりとした空気に包まれており、ラストゥーリャの疲労は一段と増した。
いつも華やいだ印象を無駄に振りまいている大司祭は、珍しくも生真面目な顔つきで腕を組み、窓辺でこちらに背を向けている右将軍は深い懊悩を背負っているようにも見える。
先日、自分の下僕的立ち位置へ任命した管理官だけは、相変わらず隅っこの方で居た堪れなそうに立っていた。
「お待たせいたしました」
彼が席に着くと同時に、溜息がシェイルから落とされた。
「報告を」
「……まず、ミアリエル様による庫院への破壊行為ですが、事故として処理されることになりました。中庭を散歩していたミアリエル様が……傷ついた鳥を発見し治癒を施そうとしたけれど、術の調整に失敗し力を暴走させた、と――」
シェイルが体を反転させ視線だけで続きを促す。
ラストゥーリャは手元の書類を捲る。
「よって教会から執政庁へ、建物修繕費などの請求はなされません。あくまでも事故なので」
「軍からの報告書もそれに習おう。……ミアリエルは?」
「ふてくされ――大変悲しんで、反省しておられますよ。大司祭猊下への誠意に答えるべく、今も休み無く筆を動かされております」
「なるほど。甘いな」
「大事にすると……迷い鳥――に対する処置が面倒になりますし――」
◇◇◇
凛子は室内を暫くの間うろうろとし、結局寝台へ腰をおろした。
昨晩から、殆ど眠れていない。横になってみたものの神経が昂っているのか、眠りに付くことが出来なかった。
輿らしき物に押し込まれ、この部屋へ移されたのは明け方近くだ。
それ以来誰とも顔を合わせていない。
体内時計で恐らく昼過ぎ。高い位置に太陽があり、照明がなくとも室内は十分に明るい。寝台の直ぐ横にある小ぶりな机に、皿に盛り付けられた果実と水差し、籠に丸パンが置かれてある。腹が空いたら勝手に食べろという事なのだろうが、なんとなく胸がいっぱいだった。
ぼんやりと外を眺める。視界はわりと開けていて、眼下に見える濠の後ろに乳白色の壁が聳えている。壁の向こうの家並は、ずっと先まで続いていた。左に視線を転じると横に広い壮麗な建物。
――まるで城のようだ。
ただし、凛子のいる部屋は実用重視といった感じで、装飾らしい装飾は無い。
家具も寝台と机に椅子が一脚。それから机の横にある、上へ押し上げるタイプの衣装箱が一つ。室内の探検はすぐに終ってしまう。
――あれは、彼、だった。
たぶん……。と付け加えてしまうのは、実はいまいち自分の記憶に自信が無くなったからだ。あんな声をしていた……と思う。あんな顔をしていた……と思う。
けれど
「若々しさが足りないっていうか……ねえ?」
誰に問うわけでもないのに、語尾がややあがる。
「いやおじさんって言いたいんじゃなくて、明らかに十八歳では無いよねえ?」
――もっと上。自分よりかもう少し上。
こちらに来てから理解を超えた出来事に遭遇しすぎている。
凛子は少しの間うんうん唸って、諦めた。
コツン、と遠慮がちに扉が叩かれる。
また少しだけうとうとしていたようだ。
もう一度ノックの音が響き「リィン、いい?」とエイゼルの声が届いた。
「どーぞー」
顔を覗かせたエイゼルは、なにやら言いながら室内へ入ってくる。
凛子はだらりと寝そべったままだ。
「お腹空いてない?」
どうやら差し入れらしく、エイゼルが抱えている籠からはいい匂いが漂ってくる。椅子を引き寄せ座った彼は、机の上に置かれてあるものに手が付けられていないのを見ると、困ったように凛子に「具合悪い?」と問う。
「ぐわーい?」
「大丈夫?」
「ダイジョウブ」
「こっちは着替えね。着替え」
もうひとつの包みがチェストの上に置かれる。
「半刻後迎えに来るから、軽く食べて着替えておいて」
去り際にぽんと頭に手を乗せられ、凛子は途方に暮れた。
「食べて。って言っていたよね……。あと着替え?」
早口で言われても殆ど理解できない。
籠の中を覗いて、ピロシキに似た揚げパンを一口だけ齧って、もうひとつの包みを解く。
見覚えのあるものが出てきて勢い良く手に取る。いつも持ち歩いていた化粧ポーチだ。その下に月白色をした柔らかな布地。広げてみると、胸の下を絞るタイプの衣装だった。そして工芸品のような刺繍が施された布靴。
食べるのもそこそこに、早速着替える。可愛いものは大好きだ。ちゃんとした下着を身に着けていないのが残念だが、レースリボンを絞ると胸の辺りに大目のドレープが取られ、あまり気にならない。ひさしぶりにきちんとした格好をすると、気合が入るような気がする。
ポーチから取り出したコンパクトを覗き込み、何日も基礎化粧で手入れしていなかった事を思い出す。しかし以前に比べれば規則正しい生活をした所為か、肌の調子はむしろ良い方に思える。
再び迎えにきたエイゼルもまた、いつもよりきっちりとした格好をしていた。
通じているのか? と内心で思いつつも、凛子はエイゼルを褒め称える。似たような事を恐らくエイゼルも言っているのだろう。演技がかった様子で、左腕をこちらに向かって差し出すので、凛子もつんと胸を逸らしながらそこに右手を添えた。
途端、二人は顔を見合わせ噴出す。
なぜか双方ともに笑いのツボが刺激されたようだった。
肩を揺らしながら、連れ立って歩き始める。こんな格好をしてどこに行くのだろうか。と、興味深げに視界を探っていた凛子だったが、ある意味で予想を裏切られ、肩をがくりと落とす。
部屋を出て最初にエイゼルが案内してくれたのはお手洗いで、次に案内してくれたのは浴室だった。
「ここは外宮の学術庁が集まっている塔群」
壁に沿って建物をぐるりと回っているらしい階段を上がりながらエイゼルが説明する。凛子には九割以上理解できていない。窓から見えるのは、先ほどの部屋から見えた景色と反対側の光景らしい。楕円形の広場に整然と並べられた石畳が、モザイク模様を造りあげているのが見える。その周りをぐるりと囲むように背の高さが違う塔が立ち並び、広場に向かって入り口を開けていた。
ゆったりとした足取りで、七階ほど階段をあがった場所が、目的地だったらしい。
踊り場の先に両開きの扉がある。
誰何を問う声の後、漆黒を纏う人が姿を現す。
大きな執務机を中央に、両側に書架が並ぶ室内の様相は、最初の街で訪れた教会の一室に似ていた。
「その娘を中央に」
凛子は机の前に置かれてあるものを捕らえ、反射的に嫌な顔をした。
紋様の彫りこまれた扉が、床に置かれてある。
きちんとした格好をしたのだから、何か特別な事が行われるのかと予測していたのが、また例の妙な儀式が行われるらしい。雰囲気的に自分に言っているんだろうなと、凛子が自ら進み出て扉の上に立つと、それで良いといった顔で賢者が頷く。
「やあ遅くなった」
いつ現れたのか。
ディエルに左腕を取られる。
そうしてもう一人に、右腕を。
寝不足気味な顔をしている者が多い外宮を、すいすい歩いている黒き賢者もまた、その足取りと反比例するよう、顔に疲労を張り付かせていた。
聖域で起こった大騒動の後始末に奔走され、半刻も横になっていない。
執務室をあけると、案の定、どんよりとした空気に包まれており、ラストゥーリャの疲労は一段と増した。
いつも華やいだ印象を無駄に振りまいている大司祭は、珍しくも生真面目な顔つきで腕を組み、窓辺でこちらに背を向けている右将軍は深い懊悩を背負っているようにも見える。
先日、自分の下僕的立ち位置へ任命した管理官だけは、相変わらず隅っこの方で居た堪れなそうに立っていた。
「お待たせいたしました」
彼が席に着くと同時に、溜息がシェイルから落とされた。
「報告を」
「……まず、ミアリエル様による庫院への破壊行為ですが、事故として処理されることになりました。中庭を散歩していたミアリエル様が……傷ついた鳥を発見し治癒を施そうとしたけれど、術の調整に失敗し力を暴走させた、と――」
シェイルが体を反転させ視線だけで続きを促す。
ラストゥーリャは手元の書類を捲る。
「よって教会から執政庁へ、建物修繕費などの請求はなされません。あくまでも事故なので」
「軍からの報告書もそれに習おう。……ミアリエルは?」
「ふてくされ――大変悲しんで、反省しておられますよ。大司祭猊下への誠意に答えるべく、今も休み無く筆を動かされております」
「なるほど。甘いな」
「大事にすると……迷い鳥――に対する処置が面倒になりますし――」
◇◇◇
凛子は室内を暫くの間うろうろとし、結局寝台へ腰をおろした。
昨晩から、殆ど眠れていない。横になってみたものの神経が昂っているのか、眠りに付くことが出来なかった。
輿らしき物に押し込まれ、この部屋へ移されたのは明け方近くだ。
それ以来誰とも顔を合わせていない。
体内時計で恐らく昼過ぎ。高い位置に太陽があり、照明がなくとも室内は十分に明るい。寝台の直ぐ横にある小ぶりな机に、皿に盛り付けられた果実と水差し、籠に丸パンが置かれてある。腹が空いたら勝手に食べろという事なのだろうが、なんとなく胸がいっぱいだった。
ぼんやりと外を眺める。視界はわりと開けていて、眼下に見える濠の後ろに乳白色の壁が聳えている。壁の向こうの家並は、ずっと先まで続いていた。左に視線を転じると横に広い壮麗な建物。
――まるで城のようだ。
ただし、凛子のいる部屋は実用重視といった感じで、装飾らしい装飾は無い。
家具も寝台と机に椅子が一脚。それから机の横にある、上へ押し上げるタイプの衣装箱が一つ。室内の探検はすぐに終ってしまう。
――あれは、彼、だった。
たぶん……。と付け加えてしまうのは、実はいまいち自分の記憶に自信が無くなったからだ。あんな声をしていた……と思う。あんな顔をしていた……と思う。
けれど
「若々しさが足りないっていうか……ねえ?」
誰に問うわけでもないのに、語尾がややあがる。
「いやおじさんって言いたいんじゃなくて、明らかに十八歳では無いよねえ?」
――もっと上。自分よりかもう少し上。
こちらに来てから理解を超えた出来事に遭遇しすぎている。
凛子は少しの間うんうん唸って、諦めた。
コツン、と遠慮がちに扉が叩かれる。
また少しだけうとうとしていたようだ。
もう一度ノックの音が響き「リィン、いい?」とエイゼルの声が届いた。
「どーぞー」
顔を覗かせたエイゼルは、なにやら言いながら室内へ入ってくる。
凛子はだらりと寝そべったままだ。
「お腹空いてない?」
どうやら差し入れらしく、エイゼルが抱えている籠からはいい匂いが漂ってくる。椅子を引き寄せ座った彼は、机の上に置かれてあるものに手が付けられていないのを見ると、困ったように凛子に「具合悪い?」と問う。
「ぐわーい?」
「大丈夫?」
「ダイジョウブ」
「こっちは着替えね。着替え」
もうひとつの包みがチェストの上に置かれる。
「半刻後迎えに来るから、軽く食べて着替えておいて」
去り際にぽんと頭に手を乗せられ、凛子は途方に暮れた。
「食べて。って言っていたよね……。あと着替え?」
早口で言われても殆ど理解できない。
籠の中を覗いて、ピロシキに似た揚げパンを一口だけ齧って、もうひとつの包みを解く。
見覚えのあるものが出てきて勢い良く手に取る。いつも持ち歩いていた化粧ポーチだ。その下に月白色をした柔らかな布地。広げてみると、胸の下を絞るタイプの衣装だった。そして工芸品のような刺繍が施された布靴。
食べるのもそこそこに、早速着替える。可愛いものは大好きだ。ちゃんとした下着を身に着けていないのが残念だが、レースリボンを絞ると胸の辺りに大目のドレープが取られ、あまり気にならない。ひさしぶりにきちんとした格好をすると、気合が入るような気がする。
ポーチから取り出したコンパクトを覗き込み、何日も基礎化粧で手入れしていなかった事を思い出す。しかし以前に比べれば規則正しい生活をした所為か、肌の調子はむしろ良い方に思える。
再び迎えにきたエイゼルもまた、いつもよりきっちりとした格好をしていた。
通じているのか? と内心で思いつつも、凛子はエイゼルを褒め称える。似たような事を恐らくエイゼルも言っているのだろう。演技がかった様子で、左腕をこちらに向かって差し出すので、凛子もつんと胸を逸らしながらそこに右手を添えた。
途端、二人は顔を見合わせ噴出す。
なぜか双方ともに笑いのツボが刺激されたようだった。
肩を揺らしながら、連れ立って歩き始める。こんな格好をしてどこに行くのだろうか。と、興味深げに視界を探っていた凛子だったが、ある意味で予想を裏切られ、肩をがくりと落とす。
部屋を出て最初にエイゼルが案内してくれたのはお手洗いで、次に案内してくれたのは浴室だった。
「ここは外宮の学術庁が集まっている塔群」
壁に沿って建物をぐるりと回っているらしい階段を上がりながらエイゼルが説明する。凛子には九割以上理解できていない。窓から見えるのは、先ほどの部屋から見えた景色と反対側の光景らしい。楕円形の広場に整然と並べられた石畳が、モザイク模様を造りあげているのが見える。その周りをぐるりと囲むように背の高さが違う塔が立ち並び、広場に向かって入り口を開けていた。
ゆったりとした足取りで、七階ほど階段をあがった場所が、目的地だったらしい。
踊り場の先に両開きの扉がある。
誰何を問う声の後、漆黒を纏う人が姿を現す。
大きな執務机を中央に、両側に書架が並ぶ室内の様相は、最初の街で訪れた教会の一室に似ていた。
「その娘を中央に」
凛子は机の前に置かれてあるものを捕らえ、反射的に嫌な顔をした。
紋様の彫りこまれた扉が、床に置かれてある。
きちんとした格好をしたのだから、何か特別な事が行われるのかと予測していたのが、また例の妙な儀式が行われるらしい。雰囲気的に自分に言っているんだろうなと、凛子が自ら進み出て扉の上に立つと、それで良いといった顔で賢者が頷く。
「やあ遅くなった」
いつ現れたのか。
ディエルに左腕を取られる。
そうしてもう一人に、右腕を。