扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
◇◇◇
手際よく買い物を進めていくニルに、凛子はぴったりと付き添う。
「んじゃ、おっちゃん、これ預かり所の三十一番馬車まで宜しくな」
買い出しを始めて三件目になる香辛料店を出ると、人通りは凛子たちがクァルツへ到着したときより多くなっていた。
高い位置へあがろうとしている太陽を、遮るような雲も無い快晴。
気温も今朝、家を出た時よりだいぶあがっている気がする。様々なスパイスが混ざり合った匂いから開放され、凛子はほっとして息を吐いた。ついでにコートのボタンを二つほど外す。冷気が心地良い。
「後は、小麦粉かな」
呟きながら歩き出した少年は、だが、ぴたりと足を止める。
小さな背中にぶつかりそうになって、凛子も慌ててそれに倣った。ニルが凝視している露天からは甘い香りが漂ってくる。刺激臭を存分に嗅いだ後である事も手伝って、そこに並んでいる蜂蜜色の焼き菓子は、より魅力的に見える。
ぐぅと鳴ってしまったお腹を押さえると、振り返った少年が、うんうんと頷いた。
「おばちゃん二個……四個ちょうだい!」
「はいよ」
焼き菓子は、乾いた大振りの一枚葉にそれぞれ包まれていた。
ニルに手渡された焼き菓子はまだ、ほんのりとした暖かさを保っている。そろそろ昼時という事も手伝って、凛子はそれに迷う事無く口に運んだ。予想を裏切らない素朴な風味。
「オイシイ!」
感想を口にすると、少年は得意げに胸を張り「よし。じゃあ次行こう」と、凛子の袖をひっぱる。
クァルツ市街のほぼ中央に位置する場所にはちょっとした広場がある。緩やかに弧を描く石畳と緑の区画が交互に並び、平生は憩いの場の役割を果たしていた。しかし休日である今日、その緑の絨毯部分に露天が所狭しと店を並べ、石畳を歩く人の数は尋常ではない。
威勢の良い呼び込み。店主と客のやり取り。雰囲気を楽しんでいるのか、買い物をする様子も無く、店を冷やかしていく者。客層は様々だ。
目抜き通りの人波も驚かされたが、いったいどこからこんなに人が集まってきているのだろう、と凛子は半ば感心したように辺りを観察する。すれ違う人に道を譲ろうとして、凛子と同じ方向に体を避けた婦人とたたらを踏み合い、微笑を交わす。喧騒の入り混じる区画は、心のうちに懐かしい感覚を呼び起こした。
こういう場所を一日に一度は歩いていたのだ。――朝の駅構内。
凛子が自分より、頭一つ分小さな少年の背中を見失ったのに気がついたのは、色鮮やかな果実が並んでいる露天につかまっている時だった。暖色系の色合いに混ざる、毒々しい青色をした果実。いったいどんな味がするのだろうとしげしげ眺めていると、店主が凛子に向かって話しかけてくる。
「いクラ?」と、試しに店主に尋ねて見ると、矢継ぎ早に言葉を続けられ、言葉に詰まる。ニルにひっついて買い出しをしていたとは云え、一人で買い物できる程の会話能力が無い。
少年に助けを求めようと、周囲を見回して、瞬間、ニルとはぐれたのだと理解した。店主に謝るよう愛想笑いを返し、凛子はニルの姿を探す。暫くの間その場に佇んでいたのだが、人の流れに押されてしまった。
手際よく買い物を進めていくニルに、凛子はぴったりと付き添う。
「んじゃ、おっちゃん、これ預かり所の三十一番馬車まで宜しくな」
買い出しを始めて三件目になる香辛料店を出ると、人通りは凛子たちがクァルツへ到着したときより多くなっていた。
高い位置へあがろうとしている太陽を、遮るような雲も無い快晴。
気温も今朝、家を出た時よりだいぶあがっている気がする。様々なスパイスが混ざり合った匂いから開放され、凛子はほっとして息を吐いた。ついでにコートのボタンを二つほど外す。冷気が心地良い。
「後は、小麦粉かな」
呟きながら歩き出した少年は、だが、ぴたりと足を止める。
小さな背中にぶつかりそうになって、凛子も慌ててそれに倣った。ニルが凝視している露天からは甘い香りが漂ってくる。刺激臭を存分に嗅いだ後である事も手伝って、そこに並んでいる蜂蜜色の焼き菓子は、より魅力的に見える。
ぐぅと鳴ってしまったお腹を押さえると、振り返った少年が、うんうんと頷いた。
「おばちゃん二個……四個ちょうだい!」
「はいよ」
焼き菓子は、乾いた大振りの一枚葉にそれぞれ包まれていた。
ニルに手渡された焼き菓子はまだ、ほんのりとした暖かさを保っている。そろそろ昼時という事も手伝って、凛子はそれに迷う事無く口に運んだ。予想を裏切らない素朴な風味。
「オイシイ!」
感想を口にすると、少年は得意げに胸を張り「よし。じゃあ次行こう」と、凛子の袖をひっぱる。
クァルツ市街のほぼ中央に位置する場所にはちょっとした広場がある。緩やかに弧を描く石畳と緑の区画が交互に並び、平生は憩いの場の役割を果たしていた。しかし休日である今日、その緑の絨毯部分に露天が所狭しと店を並べ、石畳を歩く人の数は尋常ではない。
威勢の良い呼び込み。店主と客のやり取り。雰囲気を楽しんでいるのか、買い物をする様子も無く、店を冷やかしていく者。客層は様々だ。
目抜き通りの人波も驚かされたが、いったいどこからこんなに人が集まってきているのだろう、と凛子は半ば感心したように辺りを観察する。すれ違う人に道を譲ろうとして、凛子と同じ方向に体を避けた婦人とたたらを踏み合い、微笑を交わす。喧騒の入り混じる区画は、心のうちに懐かしい感覚を呼び起こした。
こういう場所を一日に一度は歩いていたのだ。――朝の駅構内。
凛子が自分より、頭一つ分小さな少年の背中を見失ったのに気がついたのは、色鮮やかな果実が並んでいる露天につかまっている時だった。暖色系の色合いに混ざる、毒々しい青色をした果実。いったいどんな味がするのだろうとしげしげ眺めていると、店主が凛子に向かって話しかけてくる。
「いクラ?」と、試しに店主に尋ねて見ると、矢継ぎ早に言葉を続けられ、言葉に詰まる。ニルにひっついて買い出しをしていたとは云え、一人で買い物できる程の会話能力が無い。
少年に助けを求めようと、周囲を見回して、瞬間、ニルとはぐれたのだと理解した。店主に謝るよう愛想笑いを返し、凛子はニルの姿を探す。暫くの間その場に佇んでいたのだが、人の流れに押されてしまった。