2Kの君~終電帰りの限界OL、自室のドアを開けたら異世界騎士の部屋と繋がっていました
礼状を送りたいのだ。という娘に、ラストゥーリャは紙とペンを用意した。
「私こっちの言葉書けないから、トゥーリャさん代筆して下さい」
用意された物を押し戻す凛子に、エイゼルは顔を引きつらせる。
「俺が代筆する! から」
「勝手に文章付け足さないでね」
と、凛子は真顔でいい、リラとロサ老人、ニル宛のお礼を組み立てはじめた。
『エイゼルに騙され、見知らぬ場所に飛ばされた』というくだりは、当のエイゼルによって『転送門の事故により』と意訳されたが、凛子は気づかないだろう。
執務室の雰囲気は随分変わった。凛子が加わる前までは、どうしても密談の匂いの方が濃かった。自分の机の横で、額をつき合わせるように紙を覗き込んでいる凛子とエイゼルは、気楽そうに会話している。集会所ではないのだが。ラストゥーリャは内心で溜息を落としつつ、何も言わない。
「そういや、手紙ってどうやって送るの?」
凛子の問いにエイゼルは「俺が持っていくけど?」と答える。
「そうじゃなくて、一般的に。手紙とか贈り物とか、遠い所に住んでいる人にはどうやって送るの?」
「ああ、だいたいは荷運び専用の隊商があるから」
「ふーん。窓口とかあるんだ?」
「大きな街ならあるよ。ロサさんの所とかは村からも離れているから無いけど。そういう人達は近くの街まで受け取りに行く」
「なるほどね」
ほどなくして、エイゼルが書き上げた書簡を、凛子は満足そうに眺める。
日に二度、ラストゥーリャが自身の執務室自体に隔離結界を展開するようになって、既に十日を越す。術はだいぶ娘にも、ラストゥーリャにも馴染むようになった。
ついには、多忙なディエル自身に足を運んでもらわなくとも、彼の魔力を極限にまでこめた鉱輝石を代用することで、ディエル個人を定義してある紋様術が発動するよう、調整できるようになった。
隔離結界の新たな展開方法を見出せたのだから、異界の存在である彼女に関する調査が特別進展しなかったのを差し引いても、有意義な時間であったとも言えようか。
彼女の有する魔力が変容することもなく、また世界を満たしている自然の力場に顕著な影響を及ぼすような兆候は見られない。
ひと月にも満たない調査をもってして結果と云うには早すぎるのだが、そろそろ帰してやっても良い頃合いだろう。彼女の為にも、自分達の為にも。——そして再構築した術式の展開結果を知る為にも。
非常に興味深い存在だった娘だが、新たな知識を得るには彼女の存在だけでは到底足りぬと云う事を、自らを知の探求者と自負しているラストゥーリャは十分に理解していた。このような事を娘に伝えたら、間違いなく気分を害するであろう。
だから余計な事は言うべきではない。非情極まりない感覚かもしれないが、それがラストゥーリャの本質であって、いまさら変える事は不可能に思えるのだが——別れの準備を着々と進める娘の横顔を見て、チクリと胸が痛んだ。
水面に落とした石ころによって広がった波紋は、やがて消える。
それくらいささやかなものである。
波紋は、自分を含め、彼女に関わった存在を示す。
しかしそれらはまたすぐに、在るべき日常を取り戻すだろう。
界を越えた迷子は、今晩帰される。
シェイルが使用すると定義づけされた紋様術の刻まれた、あの扉――幾つかの定義を書き換え、厳しい制約が書き加えられた――を利用して。
◇◇◇
凛子の為にささやかな晩餐が開かれていた。
夜になって再度訪れた黒き賢者の執務室の中央には長テーブルが置かれ、簡単な酒席が整えられていた。
「これは匂いが残りますね」
「明日一日窓を開放してればいいんじゃない」
ついでに、引き篭もっていないでたまにはトゥーリャも外出しなよ。とディエルが笑みを浮かばせる。
「三人とも、ありがとうございました。いろいろお世話になって」
殊勝な態度の凛子に、ディエルが片眉をあげた。
「僕は寂しいなあ。もう少しこっち居ればいいのに。大切に大切に閉じ込めて愛でてあげるよ」
「それちょっと怖いから遠慮しとく」
「冷たいなあ」
「この歳になって、生活基盤を一から作り直すのって大変そうじゃない。染み込んだ価値観もまったく違うしさ」
ぽんぽんと言葉が返ってくる凛子に、ディエルは心底残念そうな表情を浮かばせた。
こういうのが一人傍に居たら、自分の世界はもっと面白くなるだろうに。
「でもね、会えて良かったと思う。今でも夢みたーいって感じるんだけど、世界は一つだけじゃないんだねえ。それ知っただけでも、人生の幅広がりそう」
だから、本当にありがとう。
凛子は親愛と感謝を込め、一人ずつに握手を求める。
僅かに顔を顰めているラストゥーリャは、軽く凛子の手を握る。
ディエルは受け取った手に、音を立ててキスをした。
エイゼルは泣き笑いのような表情で、握手した後に、凛子の頭をかき混ぜた。
凛子がシェイルと顔を合わせたのは、あと少しで深夜を越えてしまう頃だった。
実に六日振りの事だ。
半分以上は想像なのだが、シェイルはこの王宮においてもかなり多忙な職についているのだろうと凛子は思う。
シェイルの兄弟であるらしいディエルは、自身の職について、教会に勤める神官みたいなものだと言っていたが、凛子と彼は殆ど毎日のように顔を合わせていたし、神官という職種はあまり忙しくないのかもしれない。
それに比べ、シェイルと隔離結界内で言葉を交わしたのはたった一度だけ。鍛錬所らしき場所で出会ったシェイルには、あまり良い顔をされなかったのを思い出す。冷静に自分の立場に置き換えて考えてみると、職場に何の連絡も無く知人が訪ねて来たら、やはりあまり良い顔をしない気がする。
あの懐かしい部屋に迎え入れられ、続きの間への扉に刻まれた見事な紋様を目にし、凛子はそっと胸を押さえた。私物が運び込まれ、ラストゥーリャとシェイルが幾つか言葉を交わしている。
遅れて入室したディエルが「ミリィから渡してくれと頼まれたものだよ」と書簡を凛子に差し出す。受け取ったそれを少しだけ考えて鞄の中にいれた。あの少女とは、結局二回しか顔を合わせなかった。
交換日記のように、エイゼル代筆のもと何度か手紙をやり取りしたけれども、どれも他愛ない話ばかりで、最後の手紙を送ったのは今日の午後の事だった。その返事が今届けられるという事は、彼女もまた何かを知っているのかもしれない。
とても遠い所にある母国に帰る、長い長い旅路に出る――と云う言葉に隠された齟齬に。
ディエルと親しくしているミアリエルとディエルの関係も、凛子はまたよく知らされていない。いつだったかディエルに尋ねた際、曖昧に濁された返事が返って来たため、そこも凛子が踏み込んで良い領域ではないのだろう。
改めてここに来てからの日々を振り返ってみると、自分は最初から最後まで異邦人のまま変わらなかった。この世界に紛れ込んでしまったとても小さな欠片。でも、それで良いのだ。ここに在るべきなのは彼らであって、自分ではない。そして自分が在るべき場所もまた此処では無い。
恐らくもう二度と会う事も無い人たち。見る事の無い色彩。風の音も、花の香りも。すべて。少しだけ寂しいな、と思う。けれど、記憶は永遠に色褪せる事無く、美しいのだ。きっと。
回廊と居室とを繋いでいる扉が閉ざされた。
だがしかし、向こう側には人の気配がある。
それに反比例するよう、室内を支配するのは重たい沈黙。
扉に背を預けながら、凛子はもう一つの扉に向き合い立つ男の横顔を見つめる。
高い鼻筋に影が落ち、表情が隠されてしまっている。
「シャール」
久方ぶりに音にするその名が、酷く懐かしく感じられた。
彫像のごとく固まっていた男は、凛子の声に大きく息を吐いた。知らずのうちに、呼吸を止めていたらしい。
「帰るか」
ぽつりと独語し、残りの言葉を飲み込んだ。
別れの時には、まだ少しだけ早い。
紋様を指でなぞり、ひとつ笑いを落とすと躊躇する事無く魔力を注ぎ込む。目に見えぬ力が螺旋を描き、弾けた。空間は音も無くあらゆるものから遮断され、孤立した。いっそあっけないほどに。
「私こっちの言葉書けないから、トゥーリャさん代筆して下さい」
用意された物を押し戻す凛子に、エイゼルは顔を引きつらせる。
「俺が代筆する! から」
「勝手に文章付け足さないでね」
と、凛子は真顔でいい、リラとロサ老人、ニル宛のお礼を組み立てはじめた。
『エイゼルに騙され、見知らぬ場所に飛ばされた』というくだりは、当のエイゼルによって『転送門の事故により』と意訳されたが、凛子は気づかないだろう。
執務室の雰囲気は随分変わった。凛子が加わる前までは、どうしても密談の匂いの方が濃かった。自分の机の横で、額をつき合わせるように紙を覗き込んでいる凛子とエイゼルは、気楽そうに会話している。集会所ではないのだが。ラストゥーリャは内心で溜息を落としつつ、何も言わない。
「そういや、手紙ってどうやって送るの?」
凛子の問いにエイゼルは「俺が持っていくけど?」と答える。
「そうじゃなくて、一般的に。手紙とか贈り物とか、遠い所に住んでいる人にはどうやって送るの?」
「ああ、だいたいは荷運び専用の隊商があるから」
「ふーん。窓口とかあるんだ?」
「大きな街ならあるよ。ロサさんの所とかは村からも離れているから無いけど。そういう人達は近くの街まで受け取りに行く」
「なるほどね」
ほどなくして、エイゼルが書き上げた書簡を、凛子は満足そうに眺める。
日に二度、ラストゥーリャが自身の執務室自体に隔離結界を展開するようになって、既に十日を越す。術はだいぶ娘にも、ラストゥーリャにも馴染むようになった。
ついには、多忙なディエル自身に足を運んでもらわなくとも、彼の魔力を極限にまでこめた鉱輝石を代用することで、ディエル個人を定義してある紋様術が発動するよう、調整できるようになった。
隔離結界の新たな展開方法を見出せたのだから、異界の存在である彼女に関する調査が特別進展しなかったのを差し引いても、有意義な時間であったとも言えようか。
彼女の有する魔力が変容することもなく、また世界を満たしている自然の力場に顕著な影響を及ぼすような兆候は見られない。
ひと月にも満たない調査をもってして結果と云うには早すぎるのだが、そろそろ帰してやっても良い頃合いだろう。彼女の為にも、自分達の為にも。——そして再構築した術式の展開結果を知る為にも。
非常に興味深い存在だった娘だが、新たな知識を得るには彼女の存在だけでは到底足りぬと云う事を、自らを知の探求者と自負しているラストゥーリャは十分に理解していた。このような事を娘に伝えたら、間違いなく気分を害するであろう。
だから余計な事は言うべきではない。非情極まりない感覚かもしれないが、それがラストゥーリャの本質であって、いまさら変える事は不可能に思えるのだが——別れの準備を着々と進める娘の横顔を見て、チクリと胸が痛んだ。
水面に落とした石ころによって広がった波紋は、やがて消える。
それくらいささやかなものである。
波紋は、自分を含め、彼女に関わった存在を示す。
しかしそれらはまたすぐに、在るべき日常を取り戻すだろう。
界を越えた迷子は、今晩帰される。
シェイルが使用すると定義づけされた紋様術の刻まれた、あの扉――幾つかの定義を書き換え、厳しい制約が書き加えられた――を利用して。
◇◇◇
凛子の為にささやかな晩餐が開かれていた。
夜になって再度訪れた黒き賢者の執務室の中央には長テーブルが置かれ、簡単な酒席が整えられていた。
「これは匂いが残りますね」
「明日一日窓を開放してればいいんじゃない」
ついでに、引き篭もっていないでたまにはトゥーリャも外出しなよ。とディエルが笑みを浮かばせる。
「三人とも、ありがとうございました。いろいろお世話になって」
殊勝な態度の凛子に、ディエルが片眉をあげた。
「僕は寂しいなあ。もう少しこっち居ればいいのに。大切に大切に閉じ込めて愛でてあげるよ」
「それちょっと怖いから遠慮しとく」
「冷たいなあ」
「この歳になって、生活基盤を一から作り直すのって大変そうじゃない。染み込んだ価値観もまったく違うしさ」
ぽんぽんと言葉が返ってくる凛子に、ディエルは心底残念そうな表情を浮かばせた。
こういうのが一人傍に居たら、自分の世界はもっと面白くなるだろうに。
「でもね、会えて良かったと思う。今でも夢みたーいって感じるんだけど、世界は一つだけじゃないんだねえ。それ知っただけでも、人生の幅広がりそう」
だから、本当にありがとう。
凛子は親愛と感謝を込め、一人ずつに握手を求める。
僅かに顔を顰めているラストゥーリャは、軽く凛子の手を握る。
ディエルは受け取った手に、音を立ててキスをした。
エイゼルは泣き笑いのような表情で、握手した後に、凛子の頭をかき混ぜた。
凛子がシェイルと顔を合わせたのは、あと少しで深夜を越えてしまう頃だった。
実に六日振りの事だ。
半分以上は想像なのだが、シェイルはこの王宮においてもかなり多忙な職についているのだろうと凛子は思う。
シェイルの兄弟であるらしいディエルは、自身の職について、教会に勤める神官みたいなものだと言っていたが、凛子と彼は殆ど毎日のように顔を合わせていたし、神官という職種はあまり忙しくないのかもしれない。
それに比べ、シェイルと隔離結界内で言葉を交わしたのはたった一度だけ。鍛錬所らしき場所で出会ったシェイルには、あまり良い顔をされなかったのを思い出す。冷静に自分の立場に置き換えて考えてみると、職場に何の連絡も無く知人が訪ねて来たら、やはりあまり良い顔をしない気がする。
あの懐かしい部屋に迎え入れられ、続きの間への扉に刻まれた見事な紋様を目にし、凛子はそっと胸を押さえた。私物が運び込まれ、ラストゥーリャとシェイルが幾つか言葉を交わしている。
遅れて入室したディエルが「ミリィから渡してくれと頼まれたものだよ」と書簡を凛子に差し出す。受け取ったそれを少しだけ考えて鞄の中にいれた。あの少女とは、結局二回しか顔を合わせなかった。
交換日記のように、エイゼル代筆のもと何度か手紙をやり取りしたけれども、どれも他愛ない話ばかりで、最後の手紙を送ったのは今日の午後の事だった。その返事が今届けられるという事は、彼女もまた何かを知っているのかもしれない。
とても遠い所にある母国に帰る、長い長い旅路に出る――と云う言葉に隠された齟齬に。
ディエルと親しくしているミアリエルとディエルの関係も、凛子はまたよく知らされていない。いつだったかディエルに尋ねた際、曖昧に濁された返事が返って来たため、そこも凛子が踏み込んで良い領域ではないのだろう。
改めてここに来てからの日々を振り返ってみると、自分は最初から最後まで異邦人のまま変わらなかった。この世界に紛れ込んでしまったとても小さな欠片。でも、それで良いのだ。ここに在るべきなのは彼らであって、自分ではない。そして自分が在るべき場所もまた此処では無い。
恐らくもう二度と会う事も無い人たち。見る事の無い色彩。風の音も、花の香りも。すべて。少しだけ寂しいな、と思う。けれど、記憶は永遠に色褪せる事無く、美しいのだ。きっと。
回廊と居室とを繋いでいる扉が閉ざされた。
だがしかし、向こう側には人の気配がある。
それに反比例するよう、室内を支配するのは重たい沈黙。
扉に背を預けながら、凛子はもう一つの扉に向き合い立つ男の横顔を見つめる。
高い鼻筋に影が落ち、表情が隠されてしまっている。
「シャール」
久方ぶりに音にするその名が、酷く懐かしく感じられた。
彫像のごとく固まっていた男は、凛子の声に大きく息を吐いた。知らずのうちに、呼吸を止めていたらしい。
「帰るか」
ぽつりと独語し、残りの言葉を飲み込んだ。
別れの時には、まだ少しだけ早い。
紋様を指でなぞり、ひとつ笑いを落とすと躊躇する事無く魔力を注ぎ込む。目に見えぬ力が螺旋を描き、弾けた。空間は音も無くあらゆるものから遮断され、孤立した。いっそあっけないほどに。