扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
 用事を済ませた筈の凛子は、行きとは比べ物にならないくらい倍増した荷物を抱え外宮の回廊を歩いていた。遠くから正午を告げる鐘の音が聞こえてくる。条件反射のように反応する腹の虫に苦笑しつつ、荷物を抱え直した。

 ラストゥーリャの下に就くようになって、彼の属する学術庁下の各院にも頻繁に顔を覗かせる事となった彼女には、いわゆる顔見知りが急激に増えた。

 魔術院の研究室を出ようとした所で、若手の文官に呼び止められ、互いの上司に関する愚痴話に花を咲かせていた所、ついでのように「返却期限の過ぎた星読盤を天文院の保管庫にこっそり返しておいて! 頼む!」と、凛子の好物のひとつであるアルコールをたっぷりと染み込ませた焼き菓子とともに押し付けられ、仕方ないな、と引き受けた結果、女の手にはちょっとあまる重量のある荷物を抱えかなりの距離を歩く羽目になった。

 大所帯である魔術院は西側にある塔群だけでは収まりきらず、研究室などは外宮のすこし奥まった所にあるのだ。妙に畏怖されている自分の上司を呪い、ついでに、そこそこに冗談も通じるし悪い人ではないんだけどな、と心の中でフォローしつつ、人通りが多くなって来た回廊をよたよたと進む。

 早朝は随分と冷え込んで来たなと感じさせられた気温が、適度な運動で心地よいくらいだ。高い位置にある太陽の眩しさに目を細め、穏やかにそして確実に流れてゆく時間にそっと溜め息を吐いた。こうして日に数度は物思いに耽ってしまう。

 いつの間にかその場に立ち尽くしてしまっていた凛子は、渡り廊下から外宮の回廊へと姿を現した騎士服の一団を視界の端に捉え、慌てて通路の端へ体を寄せる。

 目立たぬ様に荷物に顔を隠したのは、無意識のうちだ。
 元気そうな若者達の声が通り過ぎて行くのに耳を傾けつつ、歩みを再開させる。アゼリアス王宮においては、ありふれた光景だ。そう、こちらの世界では――。

 平生ならば午前午後ともに図書院は粛々とした空気に包まれている。

 いつもより遅めの昼食を済ませ、図書院に足を伸ばした凛子は、頬っ被りの集団が大騒ぎしている第一書庫を通過し、回廊を右に折れる。第二書庫では凡ての書物が書棚から引っ張りだされ、身幅程に確保された通路部分以外の床や机の凡てに、広げられた書物が魔術の風によってぱらぱらと音を立てながら頁を送っていた。

 一種異様な光景に、不思議な感動を覚えつつ、第三書庫へと体を滑り込ませる。どうやら此処では検品でもしているのかのような雰囲気で、別の部屋から運び込まれた書物を、数人の文官達が手にとって確認し、目録などとつきあわせては、種別順などに仕分けるといった感じの流れ作業に勤しんでいる。

 目当ての人物は、カウンター風の作業台に、大きめの木箱を置く所だった。

「ヒューゴさん!」
「リィン」

「すいませんなんかお邪魔しちゃって」
「問題無いですよ。ちょうどこちらに纏めた所でした。持ち出して下さるとかえって助かります」

 指し示された木箱の中には、上部を紐で綴じられた冊子が何十冊とある。革製の表紙はこっくりとした濃い茶色で、素人目には歴史的価値が高そうに映るそれらに、凛子は思わず「これを持ち出しても良いの?」と問う。

「今朝方もお話ししましたが、ただの旅行記なのです。紀行文——というよりかは、日記……備忘録と言った方が近いかもしれませんね」

 一冊をとりだしてヒューゴは頁を気安く捲っていく

「『リザリー港町ハインツにて。リーラ亭四泊。朝:ピエタ、茶。昼:無し。間食:ロンロン』最初の方は延々とどこどこに泊まった、何を食べた、などが記録されています」

 指し示された文字列に、凛子は微妙な表情を浮かべる。随分と崩された蹟でお世辞にも達筆とは言いがたい。しかも、ヒューゴが読み上げている文字は凛子の知る大陸共通文字と形が違う。

「そんな風に書いてあるんですか?」
 彼女の疑問にヒューゴはやや首を傾げ、反対に問い返す。
「西方大陸のリサエンヌ地方で使用されていた古語ですが……」

 もしかして他大陸の古語を解するのは文官として常識の範囲内なのだろうか。凛子はやや引き攣った笑いを浮かべる。

「あ! でもこれを機会に勉強します!」
「……リィンは確か西方大陸出身なんですよね」
「えっと、母親がこちら出身なので大陸共通語の方が親しみやすくって」
「そうでしたか」

 これ以上会話していたらボロが出そうな気がする。
 凛子は愛想笑いを浮かべると木箱をひったくるように腕に抱える。

「じゃ、これ借りていきます!」
「女性の手には重いでしょう」
「これくらい問題ないです!」

 見本誌の束に比べれば軽い気がする。と自分に言い聞かせながら、すたすたと歩き出すと、背後からやけにあっさりとした声がかかる。

「それでは後ほどまた」
「はーいっ! 正門で待ち合わせでしたよね! また後で!」

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