扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
◇◇◇

 王都ガーラントにある大聖堂では、朝の儀礼、宵の儀礼に創生神への祈りが捧げられる。
 アゼリアス聖教会の総本山にあたるこの大聖堂では一年を通して、その儀礼が一日足りとも欠ける日は無い。

 春告、夏告、秋告、冬告と一年の終わりと始まりを告げる特別な儀礼は、時の聖王を迎えて行われる大きな行事で、平生ならば、粛々とした雰囲気のなか佇んでいる大聖堂に、僅かな喧騒を齎す。

 リアス聖教会は、基本的に一日中その門戸を開いている。街中に在る教会のみならず、大聖堂もまた然り。だが、王宮の北西に位置する大聖堂は、王都からもやや距離があり、人の訪れは特別な儀礼時を除くと、聖地を巡礼する者達を数に加えてもさほど多くは無い。

 ゼリアス山の山肌にしがみ付くような位置にある大聖堂への道は険しい階段を何百も登らなければならず、騎獣の類も、転送魔術も使用不可とされているからだ。変化を嫌う者達にとっては、安住の終の棲家ともいえよう。

 石段の両側に設置された灯火は等間隔に配され、夜の道を照らす。それらの灯火が一斉に点火され、山の頂に向かって伸びる曲線が浮かび上がる瞬間は、特別に美しいと言うが、ミアリエルは見たことが無かった。何故ならば、新しい季節の訪れを告げる大祭時くらいしか、まだ内宮より外に出たことが無い。

 祝祭週間の始まりの点火式を見る為には奥宮ではなく、せめて外門まで行かなければならない。
 兄王子達の昔語りのように、市井の者に身を窶して王都を忍び歩きたいと、常々思っているのだが、未だ嘗て一度として、その企みが成功した試しが無かった。

 だから例え、祝祭週間で賑わう王都を横に、紗で覆い隠された輿に担がれ、大聖堂への階段を登っているという、なんとも微妙な状況でも、心が躍らないわけがない。背後を振り返ると、だんだんと小さくなる家並みに頬を紅潮させる。つい紗をよけて顔を出すと、歓声をもって迎えられた。

 春告げの誉れは、大司祭の采配の下、聖王によって神への御礼がなされる。儀礼への参加は強制されるものでも、制限されるものでもなく、大聖堂へ向かう石段には民衆の姿も多い。

「ミアリエル様、そのように身を乗り出しておりますと転げ落ちますよ」

 護衛の近衛騎士に窘められ、しぶしぶと姿勢を正す。

「そんなに運動神経悪くないわ。こんな輿に担がれなくたって、この石段も駆け上がる自信あるもの」

「無謀な試みを企てないか見張っていてくれ。と右将軍様から言い付かっておりますゆえ」

「まあ、近衛はいつから聖王騎士団の配下になったのかしら」

「近衛騎士団も聖王騎士団も、おなじく聖王を戴いております」

「……こじゅうと」

「何か?」

 さらりと笑みで返され、ミアリエルは黙り込んだ。

 誰も彼もが、自分を子供扱いする。奥深く守られているのではなく、閉じ込められているような気分だ。あれをするなこれをするな。姫君らしくない。優秀な兄王子達と比べると、確かに自分はおまけのようなものだろう。

 亡くなった妃達の後に王の妻となった女の子供。
 たいした身分でもなく、しかも未亡人だった母。
 口さがない者が、母を妖女と隠れて呼んでいるのも知っている。
 実の息子を捨て、自らの欲に走った女。そんな女の娘だから、表に出さず秘匿しているのだ。
 自らをそう貶めて、ミアリエルは首を横に振った。

 そうではない。恐らく、自分はこのうえなく愛され、大切にされている。すくなくとも血の繋がりのある家族達からは。父王とも母妃とも兄王子達とも、そう頻繁に会うことは叶わないが、彼女の知る貴族の子女のように、ミアリエルは乳母の手によって育てられたわけではない。

 母妃が自らの手で自分を育てた。父王に抱かれ眠り、兄王子達に両手を引かれ歩くようになった。

 彼らと顔を会わす機会が減ったのはいつからだろうか。
 考え込むよう、ミアリエルは頬に手をあてる。

 生まれたときから、一番上の兄は皇太子で、二番目の兄は聖王騎士、三番目の兄は聖王庁の聖官だった。奥宮に住まう皇太子と内宮に住まうシェイルは兎も角として、聖官であるディエルに会うためには大聖堂に行かなければならない。

 聖官達は見習いから大司祭まで、大聖堂内で蟄居している。
 けれど、奥宮の庭園で笑いあった記憶にディエルの姿がある。

リズ(皇太孫)が生まれて……ラエル兄様達は北殿から西殿へ移られたのよね……シェル兄様が内宮に移られたのがその後で、ディル兄様が大司祭になられたのも……」

 同じ年。

 輿が揺れる。
 ミアリエルは慌てて吊り紐を両手で掴む。
 冗談ではなく輿から転がり落ちてしまいそうだった。

 到着を告げる護衛騎士の声。大聖堂の前広場に到着したようだった。

 アンジェの花の香り。期待と興奮の入り混じった、けれどもささやかな喧騒。創生神を讃える歌。ここから大聖堂の入り口へと続く階段は、たとえ王族でも歩いて登らなければならない。

 雲散してしまった思考にミアリエルは翡翠の瞳を瞬かせる。
 それから瞳を閉じ、再び開く。

 紗からゆっくりと姿を現した彼女は、毅然と顔を上げ口元には笑みを湛えた。視界の端にシェイルの姿が見える。奥宮の庭園ならば、飛びついている。だが、今はそうすべきではない。シェイルに手を取られ、彼女は静々と大聖堂へと足を進め始めた。神から春の訪れが告げられる夜が始まる。

 だが、もう一人の籠の鳥は、その夜の意味など知る由も無く、真白い夢の中をたゆたっていた。

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