扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
◇◇◇

 凛子は室内を暫くの間うろうろとし、結局寝台へ腰をおろした。
 昨晩から、殆ど眠れていない。横になってみたものの神経が昂っているのか、眠りに付くことが出来なかった。

 輿らしき物に押し込まれ、この部屋へ移されたのは明け方近くだ。
 それ以来誰とも顔を合わせていない。

 体内時計で恐らく昼過ぎ。高い位置に太陽があり、照明がなくとも室内は十分に明るい。寝台の直ぐ横にある小ぶりな机に、皿に盛り付けられた果実と水差し、籠に丸パンが置かれてある。腹が空いたら勝手に食べろという事なのだろうが、なんとなく胸がいっぱいだった。

 ぼんやりと外を眺める。視界はわりと開けていて、眼下に見える濠の後ろに乳白色の壁が聳えている。壁の向こうの家並は、ずっと先まで続いていた。左に視線を転じると横に広い壮麗な建物。
 ――まるで城のようだ。

 ただし、凛子のいる部屋は実用重視といった感じで、装飾らしい装飾は無い。
 家具も寝台と机に椅子が一脚。それから机の横にある、上へ押し上げるタイプの衣装箱が一つ。室内の探検はすぐに終ってしまう。

 ――あれは、彼、だった。

 たぶん……。と付け加えてしまうのは、実はいまいち自分の記憶に自信が無くなったからだ。あんな声をしていた……と思う。あんな顔をしていた……と思う。

 けれど

「若々しさが足りないっていうか……ねえ?」
 誰に問うわけでもないのに、語尾がややあがる。
「いやおじさんって言いたいんじゃなくて、明らかに十八歳では無いよねえ?」

 ――もっと上。自分よりかもう少し上。

 こちらに来てから理解を超えた出来事に遭遇しすぎている。
 凛子は少しの間うんうん唸って、諦めた。

 コツン、と遠慮がちに扉が叩かれる。
 また少しだけうとうとしていたようだ。
 もう一度ノックの音が響き「リィン、いい?」とエイゼルの声が届いた。

「どーぞー」

 顔を覗かせたエイゼルは、なにやら言いながら室内へ入ってくる。
 凛子はだらりと寝そべったままだ。

「お腹空いてない?」

 どうやら差し入れらしく、エイゼルが抱えている籠からはいい匂いが漂ってくる。椅子を引き寄せ座った彼は、机の上に置かれてあるものに手が付けられていないのを見ると、困ったように凛子に「具合悪い?」と問う。

「ぐわーい?」

「大丈夫?」

「ダイジョウブ」

「こっちは着替えね。着替え」
 もうひとつの包みがチェストの上に置かれる。
「半刻後迎えに来るから、軽く食べて着替えておいて」

 去り際にぽんと頭に手を乗せられ、凛子は途方に暮れた。

「食べて。って言っていたよね……。あと着替え?」

 早口で言われても殆ど理解できない。

 籠の中を覗いて、ピロシキに似た揚げパンを一口だけ齧って、もうひとつの包みを解く。
 見覚えのあるものが出てきて勢い良く手に取る。いつも持ち歩いていた化粧ポーチだ。その下に月白色をした柔らかな布地。広げてみると、胸の下を絞るタイプの衣装だった。そして工芸品のような刺繍が施された布靴。

 食べるのもそこそこに、早速着替える。可愛いものは大好きだ。ちゃんとした下着を身に着けていないのが残念だが、レースリボンを絞ると胸の辺りに大目のドレープが取られ、あまり気にならない。ひさしぶりにきちんとした格好をすると、気合が入るような気がする。

 ポーチから取り出したコンパクトを覗き込み、何日も基礎化粧で手入れしていなかった事を思い出す。しかし以前に比べれば規則正しい生活をした所為か、肌の調子はむしろ良い方に思える。
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