扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
◇◇◇

 ぐいぐい腕を引かれ、凛子は時々高い位置にあるシェイルの横顔を避難がましく見るが、ひたすら無言で足を進まされる。楕円をした広場を通り抜け、また別の入り口へ入る。長い回廊を渡り、奥へ奥へ。途中、華やかな衣装に身を包まれた人々が、流れる音楽に身を委ねている空間の前でシェイルは躊躇したように足を止めた。

 結局、凛子はその大広間の手前で、シェイルと似たような格好をしている青年に預けられた。そんなに長くは待っていない。通りすがる人を観察しているうちに、程なくしてシェイルは戻ってきた。それから、また奥へ。談笑と喧騒がだいぶ遠ざかった所で、とある部屋に引っ張り込まれた。

 ここまで二人の間の会話は完璧になかった。
 もちろん互いの語学力に関する問題が主に災いしている。

 四隅に設えられたトーチから燃え上がる炎が揺れる。
 暖炉に火は入っていなかった。
 飴色の家具。
 藍色のカーテン。
 記憶の中にある色重ね。
 寝間への扉に紋様は無い。

 恐る恐る凛子はその扉を開く。
 薄明かりに浮かぶ、室内の様子は、見た事のない場所だった。
 隣にあるのは、彼女の知る部屋ではない。彼女の部屋ではなかった。

 がっかりしたような顔をする凛子に、シェイルは自嘲気味に笑う。
 彼女に伝えたかった何かが、シェイル自身にも判らなかった。

「リィン」

 髪を軽く引っ張る。巻きつけては解きまた巻きつけては解く。

「黒だな。元もとの色は黒いと言っていたか」

「クロ」

「髪色が黒いな」

「いロ、クロ、カミ」

 んー、と眉を寄せ、凛子は呪文のように単語を唱え始める。
 シャールに辿りつくまでに覚えたこの世界の言葉。

「シャール、ベレー、ガーラント、クァルツ、ズァッヘン、チェザレ、ラいカ……」

「おい……後半、ぜんぶ酒じゃないか……」

 呆れた声に、凛子は笑う。

 あの時も確かこんな感じだった。
 とりとめもない話をして、それぞれが作業に集中して、会話が止まるときもあった。シェイルは凛子の髪を掬い上げ、名残惜しそうに放す。

 彼女の時間はあの日から殆ど動いていない。
 反して、長い時間をかけて重みを増した己の夢。
 あのとき共有した感覚が、彼にとって掛け替えの無い宝になったのに対し、彼女は違うのだろう。きっと。

 長い夢から強制的に排除され、彼は感情を持て余す。

 凛子を送りがてらの庭園では、睦み事を交わす密かな囁きがそこかしこにあった。
 呆れたような顔をしている彼女を急がせ夜の回廊へ出ると、用済みとなったのか、踏み拉かれた花冠が花びらを散らしていた。

 華宵の夜は、終る。

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