扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
 薄桃色の花を弄び、少しだけ考えた後、彼女は切り離した花びらを一枚だけ手帳挟んだ。
 ようやく手元に帰ってきた荷物を広げる。

 チョコレートの包みは中身が無かった。
 気落ちする心を追いやる。
 欲を言えば、甘いものが食べたいと思っていたのだ。

 衣食住を面倒見てもらっているうえに、ささやかな娯楽=酒まで出てくるのだから「ちょっと甘いもの食べたいんだけど」なんて要求はかなり図々しいだろう。

 ロサ老人の家では、半地下になっている貯蔵庫で食料を保存していた。
 絞ったベレーの乳は、金属製の筒にいれ保管するのだ。
 まるで石自体がスイッチであるかのように、上部にある窪みに石を嵌めこむと、筒が冷えるといった具合だ。簡易の冷蔵庫的なものももしかしたらあるのかもしれない。もう少し小さい液体保存用の筒があれば持ち歩けるのに。

 魔術は、凛子の想像以上に生活に浸透しているようだ。調理台に設置されてあった熱を維持するための魔術。浴槽に張られた湯温を保つための魔術。壁に設えてある照明の支え部分にも、鉱輝石を嵌め込む為の窪みがある。夜、室内を照らす灯りは柔らかで、蛍光灯ほどの明るさはないが、心落ち着く。

 あらかた検分を済ませ、横になりながら手帳のページを捲った。懐かしくも遠い日常の欠片が散りばめられてある。何か記そう、と思いペンをとったのだが、いったい何から書き始めればいいのか思いつかなかった。結局、自分が世界の境界を跨いでしまった日にぐるぐると印を付ける。

 夢は何も、見なかった。

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