扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
厩舎前でレイモンと別れて戻ると、賢者の執務室にはディエルが待ち構えていた。
なんだか今日はいろいろある日だなあと、思いながら、凛子は給仕されたお茶を飲む。隔離結界外でも、どうにか物事を理解させようと伝える方法を探そうと努力してくれるエイゼルは、この部屋には入れないらしい。
ディエルに連れてこられたのは、叡智の塔からだいぶ奥まった場所に在るこじんまりとした建物だった。三方に大きな窓がとられ、春の日差しが惜しみなく室内へと降り注ぐ。向かい合って座しているのは、いかにも深窓の令嬢です。といった格好をした少女だ。あの夜、闇の中から姿を現した。
思えば、この少女が切っ掛けを作ってくれたお陰で、今の自分は、閉じ込められる事も無く歩けているのだ。不自由、けれども自由。
「アリガトウ」
何をとは伝えきれないが、そう頭を下げると、少女は翡翠の瞳を大きくさせ、それから花のように表情を綻ばせた。
「どうぞミリィと呼んでください!」
ミリィーーそれが少女の名前なのか。
「ミリィ、アリガトウ」
途端に、堰を切ったように少女が薔薇色の唇で音を紡ぎ始める。まるで小鳥の囀りのようだ。
余りの早口に、ひとつも理解出来る単語が無かったが。
ディエルは我関せずという顔で、しまいには部屋からも出て行ってしまい、空間に二人だけどなってしまった。沈黙を埋めるため、菓子を口に運んでは「オいシい」お茶を飲んでは「オいシい」を繰り返していた凛子は、腹が満たされ過ぎ、迫りくる睡魔を気合いで追いやる。
結局、互いに困惑したように顔を見合わせ、笑い声を落とす。
会話の無い茶会はそろそろ終わりの時間を迎えそうだった。
「アンジェですわ。別に女性に渡したって問題ありませんわよね。良い匂い!」
去り際に渡された花束を、グラスを花瓶代わりにして生ける。
室内にささやかに広がる香り。
昨晩、シェイルがくれた一輪の花と同じ香りだ。
きっとこの世界にも、誰かに送る花の意味があるのだろう。
けれど、きっとそれを知る必要は無い。
言葉をこれ以上覚える必要が無いように。