亡者逃走中in現世
「はぁ〜……」

お風呂上がり、自分の部屋のベッドに寝転がってくつろぐ。

​今日は人間界の中学校への入学初日だった。

冥府での生活とは何もかもが違う。
整列させられ、担任の先生の長話を聞き、周囲の同級生達の「ねえ、どこの小学校だった?」「部活何入る?」なんていう黄色い声を盗み聞きしながら、ただひたすら『普通の女子中学生』の振る舞いを演じ続ける。
想像以上に神経をすり減らしたらしく、体全体が鉛(なまり)のように重かった。

手に持ったクッションを抱え、ごろんと寝返りをうつ。

(住み始めたばっかりだけど、結構落ち着くなぁ)

冥府では、侵入者がよく私の部屋の冷蔵庫を漁った挙句、堂々と勝手におやつを食べているから、あまり一人になれる時間がなかった。

いや、元を辿れば侵入者と仕事を放棄してくる閻魔のせいなんだけど。

​ふと枕元に置いたスマホに目を向けると、画面のデジタル時計は夜の十一時を示していた。
そろそろ寝ようかな、と思いつつも、お風呂上がり特有の喉の乾きが襲ってくる。

​「……喉かわいたぁ」

重い腰を上げ、リビングの冷蔵庫へ向かう。
だけど、扉を開けて中を覗き込んだ瞬間、私の淡い期待はあっけなく打ち砕かれた。
今日の帰り道、楽しみにしながら買って冷やしておいたお気に入りのジュースが跡形もなく消えていた。

名前を書いていなかったから文句は言えないが、完全に確信犯だ。次からは絶対にマジックでデカデカと名前を書いておこう!

そう心に誓いながら、私は財布とエコバッグを掴んだ。

この乾いた喉のままでは眠れない。仕方ない、近くのコンビニまで買いに行こう。

ついでに明日の朝食の食パンも切らしていたのを思い出した。

***

(パンと牛乳と……あとそれから)

コンビニに着いた私は、飲み物と朝食に使う材料をカゴに入れていく。お会計を済ませて外に出ると、夜の冷たい風が頬を撫でた。

(やっぱり夜は冷えるなぁ……)

街灯の明かりがまばらに照らす道を歩いていると、ふと視界の端に――黒い影が動いた。

「……え?」

立ち止まって周囲を見渡す。

でも、何もいない。

気のせい……かな?

そう思って歩き出そうとした瞬間、背後でカランと音が鳴った。

思わず振り返ると、道の端に転がった空き缶が一つ。

「……風、だよね?」

そう呟いて誤魔化すものの、背中を汗が伝う。

歩みを早める。

けれど、数歩進むごとにコツ……コツ……と、後ろから足音が着いてくる。

しかも、その音は自分が止まると同時に止まった。

(うわ、いる。絶対いる!)

鼓動が速くなり、喉がカラカラに乾く。

「……だ、誰?」

恐る恐る振り返る。

しかし、そこのは誰もいなかった。

怖くなったので、急いで家まで走る。

ドタバタと階段を駆け上がり、鍵を差し込んでアパートの扉を開ける。
玄関のドアを勢いよく閉めた瞬間、どっと全身から力が抜けてその場にへたり込みそうになった。

「……はぁぁ、怖かったぁ……」

震える手で鍵を二重にかけ、チェーンまでしっかり閉める。呼吸が荒く、胸が激しく上下していた。

「何、どうしたの?」

「早かったねー」

「ぎゃあ!」

声にビクッと驚いて、短い悲鳴を上げてしまった。

(あれ?今、明らかに変成くん以外の声が聞こえた気が……)

恐る恐る顔を上げると、怪訝そうに見下ろしている変成くんの横で、ポテチをつまみながら少年漫画を読んでいる宋帝王(そうていおう)の姿。

「……」

「ん?どったの?」

「何でいるの?」

​思わず問い詰めると、宋はポテチをつまむ手をピタリと止め、悪びれもせずにこちらを見た。

「えー、知らぬ存ぜぬ。オレただの居候ですよ〜」

「で、何で宋がいるの?」

「バレたか。閻ちゃんが亡者達を逃がしたじゃん?だから『仕事にならないな〜』ってことで幸運にも業務停止扱いの休暇を貰ってさー。暇だから遊びに来た!」

「ほーん。……じゃあその手に持っているポテチは何かな?」

「え、ちゃんと自分で買ってきたよ?秦の金で」

思い返せば冥府でも、宋はよく私の部屋に不法侵入してきて、勝手にお菓子を食い漁る常犯だった。現世に来てまでその悪癖を発揮するとは……。

「「かーえーれー、かーえーれー」」

変成くんと合唱をしながら手拍子をする。

「ひどーい、それが親友に対する態度なの!?オレ、泣いちゃうっ!」

わざとらしく両手で顔を覆って嘘泣きを始める宋。

変成くんは深いため息をつきながら、自分が飲んでいたペットボトルをトントンとテーブルに置いた。

「泣くなら外で泣いて。うるさいよ」

「ひっど〜!冷たすぎる〜!秦、見た?この男、心の温度マイナス二十七度!」

「知らない。ていうか、帰って」

私がピシッと玄関のドアを指差すと、宋はポテチの袋を抱え込み、ソファに深く沈み込んだ。

「え〜……良いじゃん、減るもんじゃないし」

「いや、ポテチは確実に減ってるよ」

宋がソファに寝転び、ポテチの袋を頭の上に掲げてガサガサと音を立てる。

変成くんはというと、無言でスマホをいじりながら、時々こちらをちらりと見ていた。

「……で、変成くん。飲み物、飲んだでしょ?」

「うん」

「即答!?」

「冷えてたから」

「だからって人のを勝手に……!」

「名前、書いてなかったし」

「ぐぬぬ……」

負けた気しかしない。

宋はその様子をにやにやしながら眺めていた。

「あ〜青春だねぇ。新生活って感じするぅ〜。あ、ちなみにこの冷蔵庫、セキュリティ甘いね」

「何で知ってるの!?」

「入ったから」

「こいつ本格的に通報案件じゃない?」

「そろそろカカシにしてやろうか……」

「やだなぁ、親友じゃーん。ほら、人道には『親しき者の家は自分の家』ってことわざあるじゃん?」

「ないよ?」

気になったので検索バーに打ち込んでみるが、該当(がいとう)することわざはなかった。

宋はそれを聞くと、大げさに肩をすくめて、両手を広げて笑った。

「ほら〜、でも誰かが信じてくれれば事実になるかも〜。あ、二千円ちょうだい☆」

「……うわっ」

変成くんは無言で目を細め、スマホをテーブルに置いた。

「……秦。そろそろ寝た方がいいんじゃない?あとで初江王(しょこうおう)と一緒に、こいつ締めとくから」

「待って、マジ勘弁!」

「あー……でも、さっき変なこと起こったからなー」

「変なこと?」

変成くんが首を傾げる。

「さっきの道で、後ろからついてきてたやつ……」

「あ、ごめーん。それオレ。声掛けようと思ったんだけど、秦がめちゃくちゃ怯えてたから面白くてさー」

「――は?」

空気が、一瞬で凍った。

「え、ちょっ……お前……何言ってんの?」

変成くんの声が低くなる。

宋は悪びれる様子もなく、ポテチをつまみながらヘラヘラ笑っていた。

「いや〜、あの時暇だったからさ〜。秦がコンビニ行くって出てっただろ?だから『護衛しとかねば!』って思ってつけてたんだ。ほら、現世の戸籍上、今の秦はピチピチの中一なんだからさ」

「その中一の財布から二千円を盗ろうとしている奴は誰かな?」

「やっべ、逃げないと」

わざとらしく宋が言う。

「ちょっと待って!逃げるな!」

私は慌てて立ち上がり、リビングをドタバタと逃げ回る宋を追いかけた。

すると宋は、身軽に家具を飛び越えながら、ふと真面目なトーンを混ぜて言った。

「まーでも、本当に気を付けろよ?最近流行ってるらしいよ『女子中学生誘拐事件』」

何それ物騒な名前。

私の足が、ピタリと止まった。

「……ちょっと待って、今なんて言った?」

宋は、壁際に追い詰められながらも、ヘラッと笑って肩をすくめた。

「次々に女子中学生ばっかを狙う誘拐犯だよ。犯人はロリコンかな?」

そんなの、流行ってたまるか!
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