愛に目覚めた冷徹孤高の心臓外科医は、政略結婚妻を離さない ――旦那様、この結婚は契約ですよね?
「ありがとう、ございます……」

 つい声が小さくなってしまったが、その声は彼にきちんと届いたらしい。
 瑞樹さんは私の頭に置いていた手をぽんぽんと子どもをあやすように動かし、それからハンドルに戻した。
 そんな彼の行動に、笑みがこぼれてしまう。

「そのイヤリング、似合っているな」

 思わず耳元に触れた。この間の美術館で彼が買ってくれたイヤリングを着けている。深い青色は、夏らしく爽やかだ。

「ありがとうございます」

 答えると同時に、信号が青に変わる。ゆっくりと進み始めるクーペの中は相変わらず静かだったが、なんとなく空気が軽くなった気がした。

 瑞樹さんは道の途中で、不意に自宅とは反対方向にハンドルを切る。

「どちらへ向かうのですか?」

 尋ねると、瑞樹さんはちらっとこちらを見た。その顔は、なんだか楽しそうだ。

「ちょっとしたドライブだ。夕飯は、レストランに行かないか?」

 なるほど、瑞樹さんはドライブも好きなのかもしれない。

 それから一時間ほどで到着したのは、横浜の港町。きらきらとしたみなとみらいを望める、静かな公園だ。

 瑞樹さんはのんびりと海辺を歩く。私はその半歩後ろを、彼について歩いていた。夏真っ盛りではあるが、もうすぐ日の暮れる海辺は海風が涼しく心地よい。

「万智は、こういうところは好きか?」

 不意に瑞樹さんが振り返る。

「はい。あまり来たことはないですが、視界が開けていて、解放的な気分になりますね」

 言いながら、海に視線を向けた。
 どこまでも続く水平線に、いくつかの船が浮かんでいる。眺めていると、不意になにかが右手に触れた。それは私の手を優しく包む。

 手元を見ると、瑞樹さんの手が私の手に触れていた。それはやがて、恋人たちがそうするかのように指を絡んで繋がれる。

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