愛に目覚めた冷徹孤高の心臓外科医は、政略結婚妻を離さない ――旦那様、この結婚は契約ですよね?
 仕事を終えると、理事長は俺をハイヤーに乗せた。
 ともにやってきたのは、西麻布の交差点からすぐの住宅街に潜む、小さな江戸前寿司店だった。
 看板もない隠れ家のような佇まい。こうした店を選ぶとは、さすが理事長だと思う。

 小上がり個室の中、食事もそこそこに彼がさっそく口を開いた。

「君も薄々勘づいているだろう。心臓血管の難しい手術を立て続けに君に回しているのは、院長だ」

 やはり、そうだったのか。俺は小さく頷いた。

 院長は俺と万智の結婚話が出てから、俺の執刀を絶対条件にして、あの小児心臓バイパス手術を引き受けてきた。その後にあった手術も、同じだ。

 失敗すれば、俺を次期院長レースから脱落させることができる。だが、もし成功すれば、病院の実績と宣伝になる。
 どちらに転んでも、鴎川にとっては損のない賭けというわけだ。

「だが、彼らもしびれを切らしたらしい。今回の手術、まだ表向きにはまだ伏せられているが……」

 やはり、自分たちの名声のため。そう思い至り、腹の底に憤怒が溜まる。

「俺は最初から、鴎川が院内で持て囃されている現状が、到底理解できません」

 つい怒りのままに発すると、理事長は深く頷いてくれた。それから、なにかをじっくり吟味するような顔をしてしばらくの後、静かに口を開く。

「実は、鴎川一家には横領の疑いが持ち上がっている。……君と万智を結ばせたのも、それが理由だ」

 理事長の言葉に、思わず息をのんだ。そうか、すべては繋がっていたのか。

 院内の働き方改善、手厚い福利厚生の実現。鴎川はそれらを積極的に行って、人望を繋ぎ留めていたのだ。
 人気に乗じれば、人の心を掌握しコントロールすることすらできる。少しの不正など、誰も疑わない。

< 119 / 173 >

この作品をシェア

pagetop