愛に目覚めた冷徹孤高の心臓外科医は、政略結婚妻を離さない ――旦那様、この結婚は契約ですよね?
 人々の間を縫い、堂々と前へ歩み出る瑞樹さん。会場がざわめくが、現院長はそれが聞こえないのか、堂々と発言を続けている。

『光前寺理事長のご令嬢、万智さんを娶られた望田医師ですが、残念ながら本日欠席のようです。次期院長候補としての責務よりも私用を優先されたのでしょう。まことに遺憾ながら、彼にはその重責は荷が重すぎたようです。そこで私は、次期院長には、私の娘、沙久良と結婚しこの病院の副院長としての実務に取り組んでいる、鴎川翼こそがふさわしいと――』

「ちょっと待ってくれ」

 低く、地を這うような鋭い声が会場を支配した。瑞樹さんのものだ。

 会場がしんと静まり返る。壇上の院長は一瞬狼狽したが、すぐににこっと笑みを浮かべた。

『おや、いらっしゃったのですね、望田先生。欠席だと伺っていたので、失礼いたしました』

 瑞樹さんはその白々しい言葉を無視し、傍らに立つ沙久良さんに冷たい視線を投げる。彼女は幽霊でも見たかのように顔を引きつらせたが、すぐにこちらから顔を背けてしまった。

「大丈夫だから、少しここで見ていてくれ」

 瑞樹さんは私の耳元で、私にだけ聞こえる優しい声でそう言うと、エスコートしていた手をゆっくりと離す。

 心細さが胸を襲ったが、彼の迷いない瞳に、私は深く頷き返した。
 きっと、彼なら大丈夫。私は旦那様を、信じよう。

 彼は登壇すると、懐から無機質な白い端末を取り出して掲げた。その顔は、いつもと同じ冷たいもの。だが彼の言葉には、熱がこもっている。

「院長、雄弁なスピーチの邪魔をして申し訳ない。ですが、みなさんに『もうひとつの真実』をお聞きいただきたく存じます」

『まったく、遅れてきたと思ったら私の邪魔ですか。いったいなにを――』

 院長の言葉を遮って、瑞樹さんがそれのボタンを押す。すると、音声が流れ始めた。

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