愛に目覚めた冷徹孤高の心臓外科医は、政略結婚妻を離さない ――旦那様、この結婚は契約ですよね?
 ――俺をここまで熱くしたのは、俺をここまで夢中にさせたのは、間違いなく万智だ。

 そんな彼女を、食卓越しについじっと見つめてしまう。すると、彼女ははっと視線を逸らした。

「お香、炊いてきますね」

 万智はそう言って、そそくさとウェルネススペースへ行ってしまう。俺はそれを引き留められなかった。
 あんなに強く抱きしめて愛を伝えたというのに、いざふたりきりになると、彼女の繊細な心にどう踏み込んでいいのかわらなくなる。

 焦ってはいけない。また同じ失敗をして、万智を傷つけるわけにはいかない。彼女が信じていない〝愛〟が確かにここにあるのだと、きちんと万智に染みわたるのを待つべきだ。

 だが、待っているだけで伝わるわけもない。それに、愛を教えてやると言ったのは俺だ。
 立ち上がると、今日も皿洗いをする。それをさっさと済ませると、万智がお香を炊いているだろうあの場所へと俺は急いだ。


 ウェルネススペースは、相変わらず優しい香りに包まれていた。万智は香立ての前でその香りを嗅いでいたようだが、俺に気づくとすぐに口を開く。

「お食事、もう終えられたんですね。では、私はこれで――」

「行くな」

 つい、万智の腕を掴んでしまった。彼女の体が、ぴくりと震える。こちらを振り向いた彼女は、ひどく狼狽えていた。

「……すまない」

 俺は彼女の手を離し、動揺する心を隠して笑みを向けた。

「少し、話をしないか?」

 以前は、ここで万智と過ごしていた。あの時間は、俺にとって安らげる大切な時間だった。

 彼女は俺との時間を避けていたようだが、今、彼女は俺の想いを知っている。
 怖がらせてはいけない。もし彼女が今以上を望まないなら、今は身を引く。だから、せめて話だけでも――。

 俺の想いが伝わったのか、万智は戸惑いながらもこくりと頷いてくれる。

「座ろうか」

 俺は万智を、いつも座っているソファへといざなった。

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