愛に目覚めた冷徹孤高の心臓外科医は、政略結婚妻を離さない ――旦那様、この結婚は契約ですよね?
 明くる日も私は病院へ出かけ、お花の管理に務めた。
 お花は毎日のメンテナンスが欠かせない。休日が続くときだけは、延命剤を使おうか。

 そんなことを考えながら、帰宅する。だが、レジデンスのエントランスを入った瞬間、私は反射的に身構えた。イランイランの香りが、鼻をかすめたのだ。

 ラウンジスペースに見えた後ろ姿で確信する。あれは沙久良さんで、間違いない。向かい座っているのは、小玉先生の奥さんだ。どうして、ふたりがここにいるのだろう。

 小玉先生の奥さんと目が合い、会釈する。すると沙久良さんがこちらを振り向いた。

「あら、万智さんごきげんよう」

 彼女は立ち上がり、ヒールの音を響かせこちらにやってくる。ぞわりと胸が嫌なふうに震えたが、声をかけられて立ち去るわけにはいかない。

「こんにちは」

 頭を下げると、沙久良さんは美しい能面のような微笑を私に向けた。

椿芽(つばめ)さんに用事があったから来たのだけれど、あなたたち、同じレジデンスに住んでいるのね。理事長の娘ともあるあなたが、一介の医者と同じレジデンスなんて」

 沙久良さんは上品に笑ったが、それは私を卑下する嘲笑だろう。

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