愛に目覚めた冷徹孤高の心臓外科医は、政略結婚妻を離さない ――旦那様、この結婚は契約ですよね?
「ずっと聞きたかったんだが、これはなんの香りなんだ?」

 私は手元にある二本のお香の様子を見ながら、口を開いた。

「カモミールとベルガモットです。カモミールは林檎のような甘い香りなんですけれど、それだけだと甘すぎてしまうので、ベルガモットを合わせてさっぱりとした香りになるようにしています」

 すると、優しい吐息が彼の口からこぼれ落ちる。

「そうか。好きなんだよ、この香り」

 彼の言葉に、目を見開いてしてしまった。再び胸が大きく鳴り、なぜだかわからないが咄嗟に唇を固く結ぶ。

 さっきから、どうしちゃったの私……?

 だが、すぐに思い至る。
 きっと、彼の役に立てているとわかったから嬉しいのだ。妻としての務めを、きちんと果たせているということだから。

 そうに違いないと自分に言い聞かせていると、瑞樹さんの口調がいつもの淡々としたものに戻る。

「一か月後に、京都の学会に参加することになった。この間の症例について、発表してほしいと依頼がきているんだ。泊りになる」

 それで、瑞樹さんがここに来た理由をやっと理解した。

 予定を伝えるためで、それ以上の意味はない。つい雑談してしまったが、それはたまたま彼が気になることを聞いただけだろう。

 するとなぜか、少しの寂しさが胸を襲う。だが私はそれをごまかすように、淡々と彼に告げた。

「わかりました。準備しますね」

「頼む」

 瑞樹さんはそのまま、ウェルネススペースを出ていく。

 私はひとり残された部屋のなかで、ふう、と吐息をこぼした。それで、体に力が入っていたのだと思い知る。

 なにを今さら、緊張しているのだろう。予定を教えてもらったのだから、それに向けて準備をする。ただそれを、こなすだけなのに。

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