愛に目覚めた冷徹孤高の心臓外科医は、政略結婚妻を離さない ――旦那様、この結婚は契約ですよね?
 沙久良さんは有明会メンバーの顔を見回し、足元に置いていた小ぶりの鞄に手を伸ばした。鞄がテーブルの縁にあたり、カップがかちゃんと音を立てる。

「あら、失礼」

 沙久良さんは悪気もなさそうにそう言うと、鞄を振り回すように持ち上げリビングの扉に向かう。鞄は紅茶のカップを倒し、フラワーアレンジメントをテーブルから落とした。

 嘘……。

 昨日生けたばかりの花が、床の上に散る。ひっくり返った箱型のアレンジメントの横から、行き場を失ったトルコキキョウの悲鳴が聞こえた気がした。

 慌てて駆け寄り、しゃがんでトルコキキョウを拾い上げる。そっと手のひらにのせると、大ぶりの花弁が力なく垂れ下がった。
 なんともいえない感情で、それをじっと見つめる。動けずにいると、扉のほうから沙久良さんの声が飛んできた。

「そんなもの、後でやればいいじゃない」

 はっと振り向くと、有明会のメンバーを背に、彼女が私を見下していた。

「それとも、私の誘いよりも花の処理のほうが大切なのかしら? 私がせっかく、気を利かせて場所を変えてあげるって言っているのに」

 挑発するような笑みは、私の怒りを煽る。だけど、ここで憤りを露わにしてしまっては、彼女の思うつぼだ。
 こんなことで、小さな人間だと責められたくはない。常に、凛とした私でいたい。

 すでに一度、『役立たず』と言われてしまった。私の失敗は、瑞樹さんの評価につながってしまう。だから、これ以上失敗するわけにはいかない。

 胸の奥からこみ上げた熱いものを、ぐっとのみ込み立ち上がる。小さく深呼吸すると、足元から広がるカモミールとモナルダの香りが、私を落ち着けてくれた。

 大丈夫。こんなことで、負けてなんかいられない。
 私は笑みを張りつけ、沙久良さんをしっかりと見て告げた。

「とんでもございません。ぜひこのまま、鴎川邸にお伺いさせてください」

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