【野暮令嬢】と侮った皆様、覚悟はよろしいかしら?
美術館デートの思惑
次の日、【ギルおじさま】こと、ギルバート・バルテス前公爵とのデートにウキウキの私は、軽い朝食を部屋で取ると、チーム「沼」の侍女たちに磨き抜かれて支度を整えた。
ネルソン商会はマローネ商会を通じて近隣国と次々と契約を交わし、新しい素材、新しい商品を次々と発表して以前にも増して勢いを伸ばしている。今着ているドレスは、近隣国から輸入したきめ細やかなシルクを使用したネルソン商会謹製の一点ものだ。
マローネ商会から贈られた、繊細なデザインのネックレスと耳飾りは、カットの美しい沢山の小さなダイヤモンドに縁どられたターコイズの逸品で、箱を開けると「MWR」のロゴマークが入っている。
「ヴィクトリアには、これからたくさん瞳の色と同じアクセサリーを贈るからね」
別れ際にそう言った父の言葉を思い出し、思わず笑みがこぼれた。
支度を終えてホールに向かうと、螺旋階段の上から、バルテス前公爵ギルバートと、ちょうど外から戻って来たばかりのヘンリクが話しているのが見えた。
昨日、ハンナの邸へ行ったと聞いていたから、てっきり暫く戻って来ないと思っていたのだけれど、まあ、そんなことはいいとして。
五年ぶりに目の前に現れたバルテス前公爵は、現在御年六十歳。軍を掌握してその名を馳せた以前と全く変わらず、鍛え上げられた体躯に威風堂々たる佇まい、引退したとは思えない威厳と覇気に満ちている。
側に立つヘンリクも、かなり長身ではあるもののバルテス前公爵には頭一つ及ばず、毎朝鍛錬を欠かさない彼と間近で比べれば、貴族特有の線の細さが際立ってずいぶん華奢に見える。
『【常春の君】って、あんなに薄っぺらかったかしらね?』
すると、バルテス前公爵のテンションがMAXとなり、ヘンリクがどんどん小さくなっていくように見える。
『あら、ギルおじさまったら、殺気がダダ洩れね【常春の君】ってば、一体なにを言ったのかしら?』
助け舟を出す必要もないわねと思い、しばらく眺めていると、私に気付いたバルテス前公爵は破顔して両手を広げ、階段の上に居る私に声を掛けて来た。
「やあ! 私の可愛いヴィーはとんでもない美女になったようだ! さあ、近くで良く見せてくれ!」
私は笑顔を向けると、滑るように優雅に階段を降り、バルテス前公爵の前でカーテシーを執った。
「本日はお誘い頂きまして、大変に光栄でございます。バルテス前公爵閣下」
バルテス前公爵は目を細めてその様子を眺め、胸に手を当てて返礼した。
「こちらこそ、誘いをお受けいただいて光栄の極み」
そしてどちらともなく顔を見合わせて笑いあった。
「小さかったヴィーが、こんなに素晴らしい淑女になった姿を見られるなんて、本当に感激だ!」
「ギルおじさまこそ、昔とちっとも変わらず頼もしいわ! お祖母様も私も、ずっとお礼を言いたかったのよ! 本当にありがとう!」
慈しむような眼差しで頭をぽんぽんと優しく撫で、差し出された手に、私はそっと手を添えた。バルテス前公爵は、その様子をただ眺めているだけのヘンリクに向かって言葉を掛けた。
「愛されてもおらず触れられもしない【野暮令嬢】は君には相応しくないそうだな。ならば祖父代わりの私がよりふさわしい場所に紹介して回ることにしよう。自称第二夫人には、君から心配は無用だと伝えてくれ」
「ハンナに下劣な噂をまき散らすなと言っておけ」と釘を刺されて顔色を変えたヘンリクは、その言葉に頭を下げて、私たちを見送った。
美術館のオープンは、レセプションパーティーの様相を呈していて、初日の今日の招待客は王族と侯爵家以上の最高位貴族のみとなっている。ちなみに、招待状は結婚前にヴィッセル侯爵家にも届いていたが、まだ表向きは友人である男爵令嬢のハンナを連れて行けないヘンリクは欠席の返事を出していた。
美術館に足を踏み入れた途端、バルテス前公爵に恭しくエスコートされた私は一斉に注目の的となった。この国で現在ターコイズブルーを纏えるのはウェーバー女公爵ただ一人。
輝くような笑顔でにこやかに挨拶をして廻り、美術についての造詣の深さ、とりわけ館長と熱心に語り合う古代美術の知識と解説は、招待客の誰もが耳を傾け、感嘆の声を上げながら聞き入っている。
今までの噂はとはまるで違う、美しく優雅で聡明、正に非の打ちどころのない淑女という噂は、その日のうちに社交界を席巻した。
バルテス前公爵が今日、この場に私を連れ出したのは、夜会の前に出来るだけ雑音を含まない噂を流す事が目的だったのだ。
ウェーバー公爵家の没落が明るみになった頃、最高位貴族家の多くは国王の意向を汲んで、表立ってウェーバー公爵家を庇うことをしなかった。国王が意図的に流した醜聞に対しても否定も肯定もせず、静観していた家も多い。
さらに、既婚者でる私は、彼らの娘の脅威となる心配はないのだ。ここで私が本来の自分を遺憾なく披露したとしても、恐らく目にした通りに受け止めてくれるだろう。
ヘンリクも、格上で接点もないウェーバー公爵家の事情など、自分に降りかかって来るまで関心のない一人であったのだ。ところが、ハンナを公式に認めると唆されて結婚を承諾したヘンリクは、それを知ったハンナと友人たちの盛大な私の醜聞と悪口を吹き込まれ、ついには会ったこともない私を憎むまでになってしまったのだ。
そして結婚後の二ヶ月の間、ハンナは、正妻ではなく自分がハネムーンに連れて行ってもらっていること、醜い正妻を表に出さない代わりに、第二夫人として認められてお披露目されることや、ヘンリクから聞かされた、噂通りの正妻の容姿や、白い結婚、そして後継は自分が生むのだということを多くの親友に手紙で盛大に吹聴してしまった。
ハンナが親友だと言いながら実は見下し、相談という自慢をしている下位貴族の令嬢たちは、学園時代、多くの貴族令息を侍らせ、その中から最高位のヴィッセル侯爵を射止めたハンナに嫉妬心を持っている。当時ハンナがヘンリクを体を使ってつなぎ止めたと故意にバラしたのも彼女たちだ。
しかし、今回はハンナへの嫉妬より【野暮令嬢】と散々馬鹿にしていた私が、ハネムーンにもつれていかれず、愛されもせず、触れられもしない、後継も産ませてもらえない哀れな正妻だという事実の方が彼女たちの関心を引いた。その噂が、面白おかしく尾鰭がついて低位貴族に流れ始めている。
今度の王宮の夜会は伯爵以上の参加となるため、その噂の中心となる下位貴族は出席しない。夜会までに最高位貴族から齎される噂を出来るだけ広めておいて、下から広がる醜聞を、上からの噂で少しでも払拭しておきたい。
このまま醜聞を放置すれば、王命で娶った正妻をとことん蔑ろにするヘンリクとヴィッセル侯爵家の評判は地に落ちる。
そして本来、正妻に瑕疵がなければ第二夫人は認められないところ、瑕疵のない正妻を差し置いて不敬を働くハンナは、もう第二夫人にはなれない。
二人については自業自得の結果だろう。二人だけで存分に常春の世界に浸ってくれれば良い。
しかし、私は巻き込まれるのは御免なのだ。
ネルソン商会はマローネ商会を通じて近隣国と次々と契約を交わし、新しい素材、新しい商品を次々と発表して以前にも増して勢いを伸ばしている。今着ているドレスは、近隣国から輸入したきめ細やかなシルクを使用したネルソン商会謹製の一点ものだ。
マローネ商会から贈られた、繊細なデザインのネックレスと耳飾りは、カットの美しい沢山の小さなダイヤモンドに縁どられたターコイズの逸品で、箱を開けると「MWR」のロゴマークが入っている。
「ヴィクトリアには、これからたくさん瞳の色と同じアクセサリーを贈るからね」
別れ際にそう言った父の言葉を思い出し、思わず笑みがこぼれた。
支度を終えてホールに向かうと、螺旋階段の上から、バルテス前公爵ギルバートと、ちょうど外から戻って来たばかりのヘンリクが話しているのが見えた。
昨日、ハンナの邸へ行ったと聞いていたから、てっきり暫く戻って来ないと思っていたのだけれど、まあ、そんなことはいいとして。
五年ぶりに目の前に現れたバルテス前公爵は、現在御年六十歳。軍を掌握してその名を馳せた以前と全く変わらず、鍛え上げられた体躯に威風堂々たる佇まい、引退したとは思えない威厳と覇気に満ちている。
側に立つヘンリクも、かなり長身ではあるもののバルテス前公爵には頭一つ及ばず、毎朝鍛錬を欠かさない彼と間近で比べれば、貴族特有の線の細さが際立ってずいぶん華奢に見える。
『【常春の君】って、あんなに薄っぺらかったかしらね?』
すると、バルテス前公爵のテンションがMAXとなり、ヘンリクがどんどん小さくなっていくように見える。
『あら、ギルおじさまったら、殺気がダダ洩れね【常春の君】ってば、一体なにを言ったのかしら?』
助け舟を出す必要もないわねと思い、しばらく眺めていると、私に気付いたバルテス前公爵は破顔して両手を広げ、階段の上に居る私に声を掛けて来た。
「やあ! 私の可愛いヴィーはとんでもない美女になったようだ! さあ、近くで良く見せてくれ!」
私は笑顔を向けると、滑るように優雅に階段を降り、バルテス前公爵の前でカーテシーを執った。
「本日はお誘い頂きまして、大変に光栄でございます。バルテス前公爵閣下」
バルテス前公爵は目を細めてその様子を眺め、胸に手を当てて返礼した。
「こちらこそ、誘いをお受けいただいて光栄の極み」
そしてどちらともなく顔を見合わせて笑いあった。
「小さかったヴィーが、こんなに素晴らしい淑女になった姿を見られるなんて、本当に感激だ!」
「ギルおじさまこそ、昔とちっとも変わらず頼もしいわ! お祖母様も私も、ずっとお礼を言いたかったのよ! 本当にありがとう!」
慈しむような眼差しで頭をぽんぽんと優しく撫で、差し出された手に、私はそっと手を添えた。バルテス前公爵は、その様子をただ眺めているだけのヘンリクに向かって言葉を掛けた。
「愛されてもおらず触れられもしない【野暮令嬢】は君には相応しくないそうだな。ならば祖父代わりの私がよりふさわしい場所に紹介して回ることにしよう。自称第二夫人には、君から心配は無用だと伝えてくれ」
「ハンナに下劣な噂をまき散らすなと言っておけ」と釘を刺されて顔色を変えたヘンリクは、その言葉に頭を下げて、私たちを見送った。
美術館のオープンは、レセプションパーティーの様相を呈していて、初日の今日の招待客は王族と侯爵家以上の最高位貴族のみとなっている。ちなみに、招待状は結婚前にヴィッセル侯爵家にも届いていたが、まだ表向きは友人である男爵令嬢のハンナを連れて行けないヘンリクは欠席の返事を出していた。
美術館に足を踏み入れた途端、バルテス前公爵に恭しくエスコートされた私は一斉に注目の的となった。この国で現在ターコイズブルーを纏えるのはウェーバー女公爵ただ一人。
輝くような笑顔でにこやかに挨拶をして廻り、美術についての造詣の深さ、とりわけ館長と熱心に語り合う古代美術の知識と解説は、招待客の誰もが耳を傾け、感嘆の声を上げながら聞き入っている。
今までの噂はとはまるで違う、美しく優雅で聡明、正に非の打ちどころのない淑女という噂は、その日のうちに社交界を席巻した。
バルテス前公爵が今日、この場に私を連れ出したのは、夜会の前に出来るだけ雑音を含まない噂を流す事が目的だったのだ。
ウェーバー公爵家の没落が明るみになった頃、最高位貴族家の多くは国王の意向を汲んで、表立ってウェーバー公爵家を庇うことをしなかった。国王が意図的に流した醜聞に対しても否定も肯定もせず、静観していた家も多い。
さらに、既婚者でる私は、彼らの娘の脅威となる心配はないのだ。ここで私が本来の自分を遺憾なく披露したとしても、恐らく目にした通りに受け止めてくれるだろう。
ヘンリクも、格上で接点もないウェーバー公爵家の事情など、自分に降りかかって来るまで関心のない一人であったのだ。ところが、ハンナを公式に認めると唆されて結婚を承諾したヘンリクは、それを知ったハンナと友人たちの盛大な私の醜聞と悪口を吹き込まれ、ついには会ったこともない私を憎むまでになってしまったのだ。
そして結婚後の二ヶ月の間、ハンナは、正妻ではなく自分がハネムーンに連れて行ってもらっていること、醜い正妻を表に出さない代わりに、第二夫人として認められてお披露目されることや、ヘンリクから聞かされた、噂通りの正妻の容姿や、白い結婚、そして後継は自分が生むのだということを多くの親友に手紙で盛大に吹聴してしまった。
ハンナが親友だと言いながら実は見下し、相談という自慢をしている下位貴族の令嬢たちは、学園時代、多くの貴族令息を侍らせ、その中から最高位のヴィッセル侯爵を射止めたハンナに嫉妬心を持っている。当時ハンナがヘンリクを体を使ってつなぎ止めたと故意にバラしたのも彼女たちだ。
しかし、今回はハンナへの嫉妬より【野暮令嬢】と散々馬鹿にしていた私が、ハネムーンにもつれていかれず、愛されもせず、触れられもしない、後継も産ませてもらえない哀れな正妻だという事実の方が彼女たちの関心を引いた。その噂が、面白おかしく尾鰭がついて低位貴族に流れ始めている。
今度の王宮の夜会は伯爵以上の参加となるため、その噂の中心となる下位貴族は出席しない。夜会までに最高位貴族から齎される噂を出来るだけ広めておいて、下から広がる醜聞を、上からの噂で少しでも払拭しておきたい。
このまま醜聞を放置すれば、王命で娶った正妻をとことん蔑ろにするヘンリクとヴィッセル侯爵家の評判は地に落ちる。
そして本来、正妻に瑕疵がなければ第二夫人は認められないところ、瑕疵のない正妻を差し置いて不敬を働くハンナは、もう第二夫人にはなれない。
二人については自業自得の結果だろう。二人だけで存分に常春の世界に浸ってくれれば良い。
しかし、私は巻き込まれるのは御免なのだ。