【野暮令嬢】と侮った皆様、覚悟はよろしいかしら?
色々とめんどくさい
お誕生日パーティ―当日、いつものように気合の入った侍女たちに念入りに磨き上げられた私は、ヘンリクに恭しくエスコートされて夜会に参加している。
もちろん衣装はターコイズブルーだ。しかし、彼らはその意味がよく分かっていないらしい。王家に次ぐ公爵家の女当主であり、ただの「友人の妻」ではないのだ。ヘンリク共々、その事実を突き付けられた時、貴族でいられるのはこの中のどれくらいいるだろう。
ともあれ、高いドーム天井から下がるいくつもの豪奢なシャンデリアが周囲を明るく照らし出す会場で、その煌めきに負けないほどの華やかな笑顔を周囲に振りまきながら、男女問わず夫の友人たちを観察しつつ、彼らと共にひと時を楽しむ。
完璧な侯爵夫人
淑女たちは私をそう囁く。
ヴィッセル侯爵家の顔として社交も完璧、所作やマナーは誰の目にも非の打ちどころがない。含みを持たせた噂話や、善意を装った告げ口も、すべて素直に受け止め感謝を口にする。その際、頬に手を当て、新鮮な驚きを添える事も忘れない。
「まあ、そうでしたのね。お知らせ頂いて感謝致しますわ」
妻の鑑
紳士たちは更に言葉を重ねる
ヘンリクが友人たちとひどく羽目を外して騒いでいるのを目にしても、ハンナと親密にふれあう姿を目にしても、美しい笑顔を向けて鷹揚に言う。
「素敵なご友人に囲まれて、とてもお幸せだこと」
今まで蔑んで来た私の本来の姿を見た彼らの目に浮かぶのは、敵意と嫉妬、そして「野暮令嬢のくせに」という嘲りが見て取れる。
ここぞとばかりに猫なで声で大げさに紡がれる、それら褒め言葉ではない嘲りを含んだ賛辞を、私は素直に、そして無邪気に喜んで全て真正面から受け止める。
そして、その中から一人ターゲットを定めると、ひときわ美しく笑みを深めてひたと目を見つめる。ターゲットはそのグループの中で中ほどの地位の人物だ。
私の視線を受けたその人物は、息を呑み口を噤んだ。
『それで? オチは?』
魂の声でつっこみつつ、相手が目を逸らし、そそくさと立ち去る後ろ姿が見えなくなるまで笑顔で凝視する。もちろんまばたきなんかしない。
『勝者、ヴィクトリア!』
立ち去った人物を完全に見送った後、心の中で魂の掛け声とともに拳を天に突き上げ、見えない観客の大喝采を浴びながら、周囲で固唾をのんで見守っていた人々にはとびっきりの笑顔を向けておく。
そろそろまばたきしないと目が限界だ。少しでも充血させると、筆頭侍女のクロエに叱られてしまう。
それにしても、わざわざ自ら追い詰められるために前振りをするなんて、皆様よほど日々の刺激に飢えているのね。
『マゾ? マゾなの? マゾなのね!』
この瞬間、魂の叫び三段活用が生まれた。
空が白み始め、ただ騒ぐだけの夜会もそろそろお開きだ。迎えの馬車が到着すると、夫のヘンリクと共に女友達のハンナが乗り込んできた。
「友人を送る約束をしているんだ。君を邸で降ろしたら、ちょっと彼女の邸まで行ってくるよ」
「友人」ね。
この期に及んで、まだ私に紹介するつもりはないようだ。
隣に座るハンナに手を繋がれた彼は、申し訳なさそうな顔でそんな言葉を口にする。
私は蕩けそうな笑みを返して言葉を返す。
「わかったわ。お気をつけてね」
やがて到着した邸の馬車寄せで、ヘンリクの丁寧なエスコートを受けて馬車を降りた私は、再び馬車に乗り込んだヘンリクに、ハンナが見せつけるように情熱的に絡みつく姿を窓の外から目にした。そして、ちらちらと私の様子をうかがうように視線を送るヘンリクと、彼の背中越しに向けられる勝ち誇った顔のハンナに極上の笑顔を返し、美しい所作で小さく手を振って、馬車が遠ざかっていくのを見送った。
『もう日が昇るし、盛り上がり過ぎてカーテンを閉め忘れなきゃいいけど……』
と、魂の声で呟きつつ、半分広げた扇子の下で品よくあくびをかみ殺した。
『ま、余計なお世話だわね』
そんな夜会を繰り返し、今、私は三回目の夜会に出席している。
今日はヘンリクの友人である侯爵令息のお誕生日らしい。こちらの奥方とは既にサロンを通じて交流があり、奥方から紹介を受けた当主自ら出迎えを受けた。末の弟君のご学友である王子が出席されている事もあり、高位貴族家らしく、今までのバカ騒ぎの夜会とは違い品良く落ち着いた雰囲気だ。
「夫人はなぜ笑っていられるんだ」
突然背後から聞こえた言葉に優雅に振り返ると、そこには思いつめた顔のエリアス王子が私を見つめて立っていた。王太子と目されている第一王子の第一子だ。
当然ながら王族の顔と名前は知っている。しかし、紹介も受けておらず、そもそも質問なのかどうなのかも分からない不躾な声かけの意図を汲む義理は私にはない。
『ずいぶんと躾のなっていない王子様だこと』
私は会釈と共に軽く膝を折った後、思わず漏れた魂の声を抑えることなく、優雅な笑みを浮かべてじっとエリアス王子を見つめた。すると、悲痛な顔をして更に言葉を投げかけて来た。エリアス王子の後ろに控えている、側近のバルテス公爵家のダニエルは、動く気配を見せない。
「夫人は、夫の不貞を目の当たりにして、何も思わないのか?」
私は笑顔のまま、エリアス王子の後ろに立ったままのバルテス公子に視線だけを向けた。以前、王宮で飛ばされたハンカチを取ってくれた彼は、バルテス公爵家の特徴を色濃く受け継ぎ、長身に鍛え上げられた見事な体躯である。しかし、彼は微動だにしない。
『突っ立ってないで止めなさいよ。何なの? 柱なの?』
魂の声と目力で訴えながらよく見ると、バルテス公子は目を見開いて固まったまま私を凝視している。
『ナニ? このポンコツ主従』
あきれと共に魂の声が漏れてしまった。仕方なく自分で対応しようとエリアス王子に視線を戻したその時、バルテス公子が慌てたようにエリアス殿下の前に出て、礼を執って口を開いた。
「ヴィッセル侯爵夫人、大変失礼いたしました。私はダニエル・バルテスと申します。恐れ入りますが、エリアス殿下がお話の機会を頂きたいとのご希望です。少々お時間をよろしいでしょうか」
胸に手を当て、そう告げたバルテス公子に会釈を返した私は、エリアス殿下に向き直って改めてカーテシーを執り、にっこり笑って言葉を掛けた。
「お初にお目にかかります。ヴィクトリア・ヴィッセル・ウェーバーでございます。私の事は、ウェーバー女公爵とお呼びください。それで、お話とは、どの様な事でしょうか」
我に返ったようにエリアス殿下は礼を返し、改めて私に問いかけた。
「うん、夜会が始まってからずっと、ヴィッセル侯爵と行動を共にしている男爵令嬢との距離が不適切であり不謹慎に思う。夫のあの姿を目の当たりにして笑っていられる夫人が不思議でならないのだ」
ああ、先ほどのやり取りの事だ。私をエスコートするヘンリクにハンナが絡みついて来たのでエスコートの手を離した。密着状態の二人に二コリと微笑みかけてその場を離れたのだった。その後、ハンナをぶら下げたヘンリクはバルコニーに移動していった。その行為は、誰の目から見ても、妻に隠れて愛を囁き合う恋人たちにしか見えない。それを目にしてこうしてやって来たのだろう。しかし、その事で私を責めるのはお門違いも良い所だ。不適切だと思うなら、本人たちに言って欲しい。
『あ”ー、めんどくさいわね』
「エリアス殿下に置かれましては、お目汚し失礼いたしました。しかし、あの二人は貴族学園時代からの特に親しい友人同士ですの。お目こぼし頂けますと幸いですわ」
その答えに、エリアス殿下は痛ましいものを見るように私に視線を向けた。
「しかし、それでは……」
私は、不敬を承知で殿下の言葉を遮った。
「私へのお気遣いを頂いたようで痛み入ります。しかし、この婚姻は王命により急遽決まったもの。二人の間に無理にねじ込まれてしまった邪魔者の私には、どうすることもできませんの。恐れながら、家内の問題でございますれば、どうぞご放念下さいませ」
『アナタのお祖父様のクソ国王の仕業ですが? 喧嘩売るつもりなら倍値で買うわよ?』
優雅な笑みを湛え、含みを持たせることなくはっきりと告げた。王族に対して強烈過ぎる拒絶の姿勢だ。魂の声も留まるところを知らない。
ここまで言われれば何も言葉を返せるはずもなく、予想通り主従は立ち尽くしている。
私は顔の前ではらりと優雅に扇子を広げ、もう片方の手でスカートを摘まみ上げて芝居じみたカーテシーを執ると、言葉も掛けずに踵を返した。
一難去ってまた一難。
先人の格言が身に染みる。
ポンコツ主従に背を向けた僅か数歩先で、元クソ王子アレックスが目を丸くして私を見ていたのだ。ふんわりした金髪を絶妙にセットしているが、扇子の祟りは順調のようだ。
アレックスは、ゆっくりした足取りで私に近づき、好色そうな瞳を細めて私の頭からつま先をなめるように視線でなぞると、不躾に言葉を投げかけて来た。
「何と、誰かと思えば、ヴィクトリアじゃないか! 随分見違えたぞ! 今のお前なら悪くない。夫に触れられもしない哀れな妻と噂に聞くが、一人寝の寝台はさぞ冷たいだろう? どうだ、俺が温めてやろうじゃないか」
私は顔の前に扇子を掲げてはらりと優雅に開き、顔を背けた。無礼な相手に対する拒絶のサインだ。
それを見ていたエリアス王子が、なおも近づこうとするアレックスの前に立ち、バルテス公子はその後ろに控えるように滑り込んで私を背に庇った。
「叔父上、ウェーバー女公爵に対して無礼が過ぎます。お控えください」
アレックスは酔っているようで、「うるさい」と言いながらエリアス王子を押しのけて私に手を伸ばしてきた。
『頭頂部の風が吹けばめくれる悪あがきを暴いてやりたい! 扇子が届かないのが悔しいわ!』
そう魂の声で叫んだと同時に、バルテス公子が長身を生かしてアレックスの頭上に息を吹きかけた。突然の突風に、脊髄反射のごとく素早い動きで頭頂部を抑えて怯んだアレックスは後ずさりをしている。
『グッジョブだわ!』
魂の声で歓喜の声を上げてバルテス公子を見上げると、目を見開いて私を見ているのでにっこり笑顔を返しておいた。
そこへ、騒ぎを聞きつけて慌ててやって来たヘンリクがアレックスの前に立ちはだかった。
「ダレル伯爵家アレックス殿、貴殿には女伯宛てに抗議の文書を送らせてもらう!」
『アナタは何もしていないでしょ? 遅まきにやってきて、何を正義漢ぶってるのかしら?』
ハンナをぶら下げたままのヘンリクにため息を漏らし、何やら喚きながら去っていくアレックスの背を見送った。
『扇子の祟りを思い知ったか、元クソ王子!』
魂の声で呟くと、側に立っていたバルテス公子が、小さな声で呟いた。
「……扇子の祟り……?」
『あら、声に出ていたかしらね。気を付けなくては』
私は優雅なカーテシーでエリアス王子とバルテス公子に庇ってくれたお礼を述べ、バルテス公子にはにっこり笑顔を向けておいた。
なんだか疲れた一日だった。
頭の中に、古代文学の物語の中で、異世界からやって来た聖女様が放った言葉が浮かんだので言ってみた。
『あー、ダルい』
使い方、これで合ってるかしら?
もちろん衣装はターコイズブルーだ。しかし、彼らはその意味がよく分かっていないらしい。王家に次ぐ公爵家の女当主であり、ただの「友人の妻」ではないのだ。ヘンリク共々、その事実を突き付けられた時、貴族でいられるのはこの中のどれくらいいるだろう。
ともあれ、高いドーム天井から下がるいくつもの豪奢なシャンデリアが周囲を明るく照らし出す会場で、その煌めきに負けないほどの華やかな笑顔を周囲に振りまきながら、男女問わず夫の友人たちを観察しつつ、彼らと共にひと時を楽しむ。
完璧な侯爵夫人
淑女たちは私をそう囁く。
ヴィッセル侯爵家の顔として社交も完璧、所作やマナーは誰の目にも非の打ちどころがない。含みを持たせた噂話や、善意を装った告げ口も、すべて素直に受け止め感謝を口にする。その際、頬に手を当て、新鮮な驚きを添える事も忘れない。
「まあ、そうでしたのね。お知らせ頂いて感謝致しますわ」
妻の鑑
紳士たちは更に言葉を重ねる
ヘンリクが友人たちとひどく羽目を外して騒いでいるのを目にしても、ハンナと親密にふれあう姿を目にしても、美しい笑顔を向けて鷹揚に言う。
「素敵なご友人に囲まれて、とてもお幸せだこと」
今まで蔑んで来た私の本来の姿を見た彼らの目に浮かぶのは、敵意と嫉妬、そして「野暮令嬢のくせに」という嘲りが見て取れる。
ここぞとばかりに猫なで声で大げさに紡がれる、それら褒め言葉ではない嘲りを含んだ賛辞を、私は素直に、そして無邪気に喜んで全て真正面から受け止める。
そして、その中から一人ターゲットを定めると、ひときわ美しく笑みを深めてひたと目を見つめる。ターゲットはそのグループの中で中ほどの地位の人物だ。
私の視線を受けたその人物は、息を呑み口を噤んだ。
『それで? オチは?』
魂の声でつっこみつつ、相手が目を逸らし、そそくさと立ち去る後ろ姿が見えなくなるまで笑顔で凝視する。もちろんまばたきなんかしない。
『勝者、ヴィクトリア!』
立ち去った人物を完全に見送った後、心の中で魂の掛け声とともに拳を天に突き上げ、見えない観客の大喝采を浴びながら、周囲で固唾をのんで見守っていた人々にはとびっきりの笑顔を向けておく。
そろそろまばたきしないと目が限界だ。少しでも充血させると、筆頭侍女のクロエに叱られてしまう。
それにしても、わざわざ自ら追い詰められるために前振りをするなんて、皆様よほど日々の刺激に飢えているのね。
『マゾ? マゾなの? マゾなのね!』
この瞬間、魂の叫び三段活用が生まれた。
空が白み始め、ただ騒ぐだけの夜会もそろそろお開きだ。迎えの馬車が到着すると、夫のヘンリクと共に女友達のハンナが乗り込んできた。
「友人を送る約束をしているんだ。君を邸で降ろしたら、ちょっと彼女の邸まで行ってくるよ」
「友人」ね。
この期に及んで、まだ私に紹介するつもりはないようだ。
隣に座るハンナに手を繋がれた彼は、申し訳なさそうな顔でそんな言葉を口にする。
私は蕩けそうな笑みを返して言葉を返す。
「わかったわ。お気をつけてね」
やがて到着した邸の馬車寄せで、ヘンリクの丁寧なエスコートを受けて馬車を降りた私は、再び馬車に乗り込んだヘンリクに、ハンナが見せつけるように情熱的に絡みつく姿を窓の外から目にした。そして、ちらちらと私の様子をうかがうように視線を送るヘンリクと、彼の背中越しに向けられる勝ち誇った顔のハンナに極上の笑顔を返し、美しい所作で小さく手を振って、馬車が遠ざかっていくのを見送った。
『もう日が昇るし、盛り上がり過ぎてカーテンを閉め忘れなきゃいいけど……』
と、魂の声で呟きつつ、半分広げた扇子の下で品よくあくびをかみ殺した。
『ま、余計なお世話だわね』
そんな夜会を繰り返し、今、私は三回目の夜会に出席している。
今日はヘンリクの友人である侯爵令息のお誕生日らしい。こちらの奥方とは既にサロンを通じて交流があり、奥方から紹介を受けた当主自ら出迎えを受けた。末の弟君のご学友である王子が出席されている事もあり、高位貴族家らしく、今までのバカ騒ぎの夜会とは違い品良く落ち着いた雰囲気だ。
「夫人はなぜ笑っていられるんだ」
突然背後から聞こえた言葉に優雅に振り返ると、そこには思いつめた顔のエリアス王子が私を見つめて立っていた。王太子と目されている第一王子の第一子だ。
当然ながら王族の顔と名前は知っている。しかし、紹介も受けておらず、そもそも質問なのかどうなのかも分からない不躾な声かけの意図を汲む義理は私にはない。
『ずいぶんと躾のなっていない王子様だこと』
私は会釈と共に軽く膝を折った後、思わず漏れた魂の声を抑えることなく、優雅な笑みを浮かべてじっとエリアス王子を見つめた。すると、悲痛な顔をして更に言葉を投げかけて来た。エリアス王子の後ろに控えている、側近のバルテス公爵家のダニエルは、動く気配を見せない。
「夫人は、夫の不貞を目の当たりにして、何も思わないのか?」
私は笑顔のまま、エリアス王子の後ろに立ったままのバルテス公子に視線だけを向けた。以前、王宮で飛ばされたハンカチを取ってくれた彼は、バルテス公爵家の特徴を色濃く受け継ぎ、長身に鍛え上げられた見事な体躯である。しかし、彼は微動だにしない。
『突っ立ってないで止めなさいよ。何なの? 柱なの?』
魂の声と目力で訴えながらよく見ると、バルテス公子は目を見開いて固まったまま私を凝視している。
『ナニ? このポンコツ主従』
あきれと共に魂の声が漏れてしまった。仕方なく自分で対応しようとエリアス王子に視線を戻したその時、バルテス公子が慌てたようにエリアス殿下の前に出て、礼を執って口を開いた。
「ヴィッセル侯爵夫人、大変失礼いたしました。私はダニエル・バルテスと申します。恐れ入りますが、エリアス殿下がお話の機会を頂きたいとのご希望です。少々お時間をよろしいでしょうか」
胸に手を当て、そう告げたバルテス公子に会釈を返した私は、エリアス殿下に向き直って改めてカーテシーを執り、にっこり笑って言葉を掛けた。
「お初にお目にかかります。ヴィクトリア・ヴィッセル・ウェーバーでございます。私の事は、ウェーバー女公爵とお呼びください。それで、お話とは、どの様な事でしょうか」
我に返ったようにエリアス殿下は礼を返し、改めて私に問いかけた。
「うん、夜会が始まってからずっと、ヴィッセル侯爵と行動を共にしている男爵令嬢との距離が不適切であり不謹慎に思う。夫のあの姿を目の当たりにして笑っていられる夫人が不思議でならないのだ」
ああ、先ほどのやり取りの事だ。私をエスコートするヘンリクにハンナが絡みついて来たのでエスコートの手を離した。密着状態の二人に二コリと微笑みかけてその場を離れたのだった。その後、ハンナをぶら下げたヘンリクはバルコニーに移動していった。その行為は、誰の目から見ても、妻に隠れて愛を囁き合う恋人たちにしか見えない。それを目にしてこうしてやって来たのだろう。しかし、その事で私を責めるのはお門違いも良い所だ。不適切だと思うなら、本人たちに言って欲しい。
『あ”ー、めんどくさいわね』
「エリアス殿下に置かれましては、お目汚し失礼いたしました。しかし、あの二人は貴族学園時代からの特に親しい友人同士ですの。お目こぼし頂けますと幸いですわ」
その答えに、エリアス殿下は痛ましいものを見るように私に視線を向けた。
「しかし、それでは……」
私は、不敬を承知で殿下の言葉を遮った。
「私へのお気遣いを頂いたようで痛み入ります。しかし、この婚姻は王命により急遽決まったもの。二人の間に無理にねじ込まれてしまった邪魔者の私には、どうすることもできませんの。恐れながら、家内の問題でございますれば、どうぞご放念下さいませ」
『アナタのお祖父様のクソ国王の仕業ですが? 喧嘩売るつもりなら倍値で買うわよ?』
優雅な笑みを湛え、含みを持たせることなくはっきりと告げた。王族に対して強烈過ぎる拒絶の姿勢だ。魂の声も留まるところを知らない。
ここまで言われれば何も言葉を返せるはずもなく、予想通り主従は立ち尽くしている。
私は顔の前ではらりと優雅に扇子を広げ、もう片方の手でスカートを摘まみ上げて芝居じみたカーテシーを執ると、言葉も掛けずに踵を返した。
一難去ってまた一難。
先人の格言が身に染みる。
ポンコツ主従に背を向けた僅か数歩先で、元クソ王子アレックスが目を丸くして私を見ていたのだ。ふんわりした金髪を絶妙にセットしているが、扇子の祟りは順調のようだ。
アレックスは、ゆっくりした足取りで私に近づき、好色そうな瞳を細めて私の頭からつま先をなめるように視線でなぞると、不躾に言葉を投げかけて来た。
「何と、誰かと思えば、ヴィクトリアじゃないか! 随分見違えたぞ! 今のお前なら悪くない。夫に触れられもしない哀れな妻と噂に聞くが、一人寝の寝台はさぞ冷たいだろう? どうだ、俺が温めてやろうじゃないか」
私は顔の前に扇子を掲げてはらりと優雅に開き、顔を背けた。無礼な相手に対する拒絶のサインだ。
それを見ていたエリアス王子が、なおも近づこうとするアレックスの前に立ち、バルテス公子はその後ろに控えるように滑り込んで私を背に庇った。
「叔父上、ウェーバー女公爵に対して無礼が過ぎます。お控えください」
アレックスは酔っているようで、「うるさい」と言いながらエリアス王子を押しのけて私に手を伸ばしてきた。
『頭頂部の風が吹けばめくれる悪あがきを暴いてやりたい! 扇子が届かないのが悔しいわ!』
そう魂の声で叫んだと同時に、バルテス公子が長身を生かしてアレックスの頭上に息を吹きかけた。突然の突風に、脊髄反射のごとく素早い動きで頭頂部を抑えて怯んだアレックスは後ずさりをしている。
『グッジョブだわ!』
魂の声で歓喜の声を上げてバルテス公子を見上げると、目を見開いて私を見ているのでにっこり笑顔を返しておいた。
そこへ、騒ぎを聞きつけて慌ててやって来たヘンリクがアレックスの前に立ちはだかった。
「ダレル伯爵家アレックス殿、貴殿には女伯宛てに抗議の文書を送らせてもらう!」
『アナタは何もしていないでしょ? 遅まきにやってきて、何を正義漢ぶってるのかしら?』
ハンナをぶら下げたままのヘンリクにため息を漏らし、何やら喚きながら去っていくアレックスの背を見送った。
『扇子の祟りを思い知ったか、元クソ王子!』
魂の声で呟くと、側に立っていたバルテス公子が、小さな声で呟いた。
「……扇子の祟り……?」
『あら、声に出ていたかしらね。気を付けなくては』
私は優雅なカーテシーでエリアス王子とバルテス公子に庇ってくれたお礼を述べ、バルテス公子にはにっこり笑顔を向けておいた。
なんだか疲れた一日だった。
頭の中に、古代文学の物語の中で、異世界からやって来た聖女様が放った言葉が浮かんだので言ってみた。
『あー、ダルい』
使い方、これで合ってるかしら?