【野暮令嬢】と侮った皆様、覚悟はよろしいかしら?
ドレスと古代契約
「奥様の本が出版される!」
契約が成立した日、ヴィッセル侯爵家では、侍女たちから広まったその話題でもちきりだった。
しかしその日の古代文学サロンで、私はみんなにあるお願いをした。
「みんなが私の出版を喜んでくれてとても嬉しいわ。でも、知っての通り私の社交界の評判は最悪の状態なの。そんな私が出版をしたとしても、きっと誰も見向きもしてくれないどころか、ひどい批判にさらされてしまうと思うの。私自身が批判されたり酷評されたりするのは、もう慣れっこだから良いのだけれど、私のせいで、この素晴らしい古代文学や物語が色眼鏡で見られて貶められるのはどうしても我慢ならないし、許せないわ。だから、私が作者だという事は秘密にして欲しいの」
その言葉に、サロンはしんと静まり返った。
ほんの半月ほど前の結婚式の日まで、自分たちも耳にし、信じていたウェーバー女公爵の噂を思い出した。そして、まだ屋敷内の人間だけしか私の本当の姿を知らないのだ。
沈んでしまったサロンの空気を引き立てるように、私は明るく続けた。
「でもね、前にも言った通り、これからあなたたちが自慢できる女主人になるために努力するわ。だから、少しの間だけ、私の名前を出すのを我慢してね。出来るだけ早く、みんなが大手を振って宣伝できるように頑張るわ!」
そう言うと皆の笑顔が戻って来た。そして、みんなで名前を出さずに広める方法を話し合ってくれている。本当に私は人に恵まれているわね。主人はともかく。
次の日から、出勤するセーラと共にセインもやってきて、夜の仕事終わりに一緒に帰宅するまでずっとヴィッセル邸に詰めている。ヴィクトリアも空き時間を全て使って彼に付き合い、それから一月足らずで、既に翻訳が終っていた三本の物語の準備が整った。これから順次出版されていく予定だ。
セインから最初の本の試し刷りを数冊渡されたヴィクトリアは、感慨も一入だった。
美しい装丁にも感動したが、大好きな物語をこうしてみんなに伝えられる喜びの方が大きい。みんなで読んでねと渡した数冊を、侍女やメイドたちがリストを作って、読む順番を競い合っているのをとても嬉しく眺めていた。
タイトルと、その下に控えめに記された「V」の飾り文字を手でなぞり、この世界に導いてくれた祖父母に心から感謝した。
「身に付けた知識と教養は、誰にも奪われる事のないあなたの宝物なのよ」
そう言った祖母の言葉を思い出し、魂の言葉で呟いた。
『お祖母様の言葉は正しいわ。私の宝物は、こんなに見せびらかしても誰にも奪えないもの』
それから数日、ヘンリクの帰宅予定日を数日後に控え、王宮から夜会の招待状が届いた。
「侯爵夫人として最低限の待遇を約束する」
苦し紛れとはいえそう言われた手前、何も仕事をしないわけにはいかないと考えた私は、侯爵夫人の執務をきちんと引き受けていた。
新婚休暇は広く知られているらしく、今まで招待状などが届く事はなかったが、今後は新婚のお披露目を兼ねた招待が増える事は予想される。
どれを受けるかはヘンリクの判断を仰がねばならないが、王宮の招待は断れない。そうなると、問題はドレスだ。今から作れば何とか間に合うと思い、急いで執事長に相談に行った。
王宮の夜会用のドレスが必要だと相談すると、さっと顔色を変えた執事長から、衝撃の事実を告げられた。
「侯爵夫人の予算は…… 今期はもうほとんど残っておりません。ドレスを新調するのはとても……」
お金の行く先については大方の予想は付く。
『結婚に当たって新たな予算を組まなかったということは、侯爵は私を飼い殺しにするつもりだったということだ。そして、夜会から一ヶ月を切ったこの時期の招待状を考え合わせると、恐らく国王は私の欠席を容認している。「侯爵夫人の最低限の待遇」が聞いてあきれる』
執事長のせいではないので、労わるように声を掛けた。
「そうなのね、分かりました。その招待状には、私からすぐに出席の返事を出します」
通常であれば、主人宛てに届いた招待状に夫人が返信をすることは問題ないが、今は新婚休暇中で、夫人は不在のはずなのだ。それについて口を開きかけた執事長を笑顔で制して告げた。
「大丈夫よ。不在のヴィッセル侯爵夫人の署名はしないから。でも、王家は今ここにウェーバー女公爵がいることはご存知のはず。そちらの署名でお送りするわ」
貴族家にはそれぞれの伝統色があり、爵位に合わせた格式も決められている。今回、ウェーバー女公爵を名乗ったからには、ヴィッセル侯爵家お抱えのドレスメーカーを使ってウェーバー公爵家のドレスを作らせることができない。
しかし、社交界から締め出されている私の名前では、どこのドレスメーカーも応じてくれないだろう。
一枚だけ持っている夜会用のドレスは祖母の残してくれたものなので、色も格式も敵っている。しかし、私が使うとすれば手直しが必要なのだ。しかし、それを貴族家に繋がりのあるドレスメーカーに依頼してしまうと、ドレス一枚新調出来ないと取りざたされ、瞬く間に噂が広がり嘲笑の的になる。
私が嘲笑の的になるのはいつものことだから構わない。
しかし、かつてウェーバー公爵家に仕えてくれていた使用人たちを解雇しなければならなくなった時、公爵家の紹介状はおろか、働いていたことが足枷になって仕事を得られないと分かった彼らの絶望した顔が脳裏に焼き付いて離れないのだ。
今回は、ヴィッセル侯爵家の後ろ盾があり、そんなことにならないと分かってはいても、他人に蔑まれる主人に仕える彼らの心情を思うと、何としても避けたい。
私は、後ろに控えるクロエを振り返ってお願いをした。
「クロエのお父様は服飾を扱う商会をお持ちでしょう? 貴方のお家で、ドレスの手直しを内密にお願い出来ないかしら。以前のバーナム子爵の独り言を覚えている? 守秘義務と共に引き受けてもらえるなら、私の専属ドレスメーカーのお墨付きと近隣国への足掛かりを約束するわ」
クロエの家は、国内有数の豪商でありながら爵位は持っていない。この提案は賭けだった。
もしも引き受けてもらえなければ、一ヶ月引きこもり、数年間実践で鍛えた裁縫の腕を駆使して、生地とレースを取り寄せて自分で縫う覚悟を決めた。
しかし、クロエから発せられた言葉に、私の心は震えた。
「奥様、我が家は見返りがなければ動かない家ではありません。敬愛する奥様のために、もちろん喜んでお手伝いさせて頂きます!」
そう言うと、執事長に許可を取り、すぐに父の商会長と共にウェーバー公爵家の伝統色である、ターコイズブルーに合わせた沢山の生地やレースを抱えたお針子たちを連れて来てくれた。色とりどりの生地やレースが部屋中に広げられ、クロエの指揮で、祖母のドレスをベースにした素晴らしいデザインのアレンジ案が次々と出来上がっていく。
その間に、私はクロエの父、ネルソン商会の会長に、古代契約書を作成して渡した。
その契約書を捧げ持つようにしたネルソン会長は、感嘆の声を漏らしながら言った。
「この契約書は我が家の家宝です」
そう言って大切に鞄に入れると、私に深々と頭を下げた。
「遅ればせながら、この度は私どもの商会をご指名頂き、誠にありがとうございます。クロエも申し上げました通り、私どもは見返りを求めてお手伝いさせて頂く訳ではありません。娘共々、誠心誠意お仕えさせて頂きます」
私はネルソン会長の手を取り、感謝を述べた。
「ありがとう。その言葉、本当に心強いわ。でも、私は甘えるだけで済ませる人間ではない事は覚えて置いてちょうだい。必ずクロエと会長の恩には報います」
元々シンプルだったドレスは、アレンジを加える事でまるで別のドレスの様に仕上げることができるのだと豪語するクロエの言葉通りだった。その中から厳選し、まったく違う印象に仕上がる三パターンのアレンジを注文した。出来上がりがとても楽しみだ。
支払いについて、執事長から、これなら今ある侯爵夫人の予算の範囲内で賄えると伝えられたがそれは断った。私の資産状況を心配してくれたようだ。
実は、父が国を離れる時、持参金としても恥ずかしくない金額をと、領地のカントリーハウスを手放したほぼすべてのお金を渡されている。
嫁ぐ相手がまともな人物で、その家に根付く事が出来るようなら、その中から必要な金額を提示すれば良いと言われていた。
しかし、王命で突然決まった婚姻まで一週間、その間の交流さえ拒絶された私に、その提案をする時間はなかったし、求められもしなかった。
その事を話し、今後も、ウェーバー女公爵として行動するものについては、侯爵家からの予算は不要だと伝えてもらうことにした。
それから二日目の午後、ヴィッセル侯爵の帰宅を知らせる先触れがもたらされた。
私は、わくわくしながら、あの契約書の小細工がきちんと発動するように、準備を万端に整えることに専念した
契約が成立した日、ヴィッセル侯爵家では、侍女たちから広まったその話題でもちきりだった。
しかしその日の古代文学サロンで、私はみんなにあるお願いをした。
「みんなが私の出版を喜んでくれてとても嬉しいわ。でも、知っての通り私の社交界の評判は最悪の状態なの。そんな私が出版をしたとしても、きっと誰も見向きもしてくれないどころか、ひどい批判にさらされてしまうと思うの。私自身が批判されたり酷評されたりするのは、もう慣れっこだから良いのだけれど、私のせいで、この素晴らしい古代文学や物語が色眼鏡で見られて貶められるのはどうしても我慢ならないし、許せないわ。だから、私が作者だという事は秘密にして欲しいの」
その言葉に、サロンはしんと静まり返った。
ほんの半月ほど前の結婚式の日まで、自分たちも耳にし、信じていたウェーバー女公爵の噂を思い出した。そして、まだ屋敷内の人間だけしか私の本当の姿を知らないのだ。
沈んでしまったサロンの空気を引き立てるように、私は明るく続けた。
「でもね、前にも言った通り、これからあなたたちが自慢できる女主人になるために努力するわ。だから、少しの間だけ、私の名前を出すのを我慢してね。出来るだけ早く、みんなが大手を振って宣伝できるように頑張るわ!」
そう言うと皆の笑顔が戻って来た。そして、みんなで名前を出さずに広める方法を話し合ってくれている。本当に私は人に恵まれているわね。主人はともかく。
次の日から、出勤するセーラと共にセインもやってきて、夜の仕事終わりに一緒に帰宅するまでずっとヴィッセル邸に詰めている。ヴィクトリアも空き時間を全て使って彼に付き合い、それから一月足らずで、既に翻訳が終っていた三本の物語の準備が整った。これから順次出版されていく予定だ。
セインから最初の本の試し刷りを数冊渡されたヴィクトリアは、感慨も一入だった。
美しい装丁にも感動したが、大好きな物語をこうしてみんなに伝えられる喜びの方が大きい。みんなで読んでねと渡した数冊を、侍女やメイドたちがリストを作って、読む順番を競い合っているのをとても嬉しく眺めていた。
タイトルと、その下に控えめに記された「V」の飾り文字を手でなぞり、この世界に導いてくれた祖父母に心から感謝した。
「身に付けた知識と教養は、誰にも奪われる事のないあなたの宝物なのよ」
そう言った祖母の言葉を思い出し、魂の言葉で呟いた。
『お祖母様の言葉は正しいわ。私の宝物は、こんなに見せびらかしても誰にも奪えないもの』
それから数日、ヘンリクの帰宅予定日を数日後に控え、王宮から夜会の招待状が届いた。
「侯爵夫人として最低限の待遇を約束する」
苦し紛れとはいえそう言われた手前、何も仕事をしないわけにはいかないと考えた私は、侯爵夫人の執務をきちんと引き受けていた。
新婚休暇は広く知られているらしく、今まで招待状などが届く事はなかったが、今後は新婚のお披露目を兼ねた招待が増える事は予想される。
どれを受けるかはヘンリクの判断を仰がねばならないが、王宮の招待は断れない。そうなると、問題はドレスだ。今から作れば何とか間に合うと思い、急いで執事長に相談に行った。
王宮の夜会用のドレスが必要だと相談すると、さっと顔色を変えた執事長から、衝撃の事実を告げられた。
「侯爵夫人の予算は…… 今期はもうほとんど残っておりません。ドレスを新調するのはとても……」
お金の行く先については大方の予想は付く。
『結婚に当たって新たな予算を組まなかったということは、侯爵は私を飼い殺しにするつもりだったということだ。そして、夜会から一ヶ月を切ったこの時期の招待状を考え合わせると、恐らく国王は私の欠席を容認している。「侯爵夫人の最低限の待遇」が聞いてあきれる』
執事長のせいではないので、労わるように声を掛けた。
「そうなのね、分かりました。その招待状には、私からすぐに出席の返事を出します」
通常であれば、主人宛てに届いた招待状に夫人が返信をすることは問題ないが、今は新婚休暇中で、夫人は不在のはずなのだ。それについて口を開きかけた執事長を笑顔で制して告げた。
「大丈夫よ。不在のヴィッセル侯爵夫人の署名はしないから。でも、王家は今ここにウェーバー女公爵がいることはご存知のはず。そちらの署名でお送りするわ」
貴族家にはそれぞれの伝統色があり、爵位に合わせた格式も決められている。今回、ウェーバー女公爵を名乗ったからには、ヴィッセル侯爵家お抱えのドレスメーカーを使ってウェーバー公爵家のドレスを作らせることができない。
しかし、社交界から締め出されている私の名前では、どこのドレスメーカーも応じてくれないだろう。
一枚だけ持っている夜会用のドレスは祖母の残してくれたものなので、色も格式も敵っている。しかし、私が使うとすれば手直しが必要なのだ。しかし、それを貴族家に繋がりのあるドレスメーカーに依頼してしまうと、ドレス一枚新調出来ないと取りざたされ、瞬く間に噂が広がり嘲笑の的になる。
私が嘲笑の的になるのはいつものことだから構わない。
しかし、かつてウェーバー公爵家に仕えてくれていた使用人たちを解雇しなければならなくなった時、公爵家の紹介状はおろか、働いていたことが足枷になって仕事を得られないと分かった彼らの絶望した顔が脳裏に焼き付いて離れないのだ。
今回は、ヴィッセル侯爵家の後ろ盾があり、そんなことにならないと分かってはいても、他人に蔑まれる主人に仕える彼らの心情を思うと、何としても避けたい。
私は、後ろに控えるクロエを振り返ってお願いをした。
「クロエのお父様は服飾を扱う商会をお持ちでしょう? 貴方のお家で、ドレスの手直しを内密にお願い出来ないかしら。以前のバーナム子爵の独り言を覚えている? 守秘義務と共に引き受けてもらえるなら、私の専属ドレスメーカーのお墨付きと近隣国への足掛かりを約束するわ」
クロエの家は、国内有数の豪商でありながら爵位は持っていない。この提案は賭けだった。
もしも引き受けてもらえなければ、一ヶ月引きこもり、数年間実践で鍛えた裁縫の腕を駆使して、生地とレースを取り寄せて自分で縫う覚悟を決めた。
しかし、クロエから発せられた言葉に、私の心は震えた。
「奥様、我が家は見返りがなければ動かない家ではありません。敬愛する奥様のために、もちろん喜んでお手伝いさせて頂きます!」
そう言うと、執事長に許可を取り、すぐに父の商会長と共にウェーバー公爵家の伝統色である、ターコイズブルーに合わせた沢山の生地やレースを抱えたお針子たちを連れて来てくれた。色とりどりの生地やレースが部屋中に広げられ、クロエの指揮で、祖母のドレスをベースにした素晴らしいデザインのアレンジ案が次々と出来上がっていく。
その間に、私はクロエの父、ネルソン商会の会長に、古代契約書を作成して渡した。
その契約書を捧げ持つようにしたネルソン会長は、感嘆の声を漏らしながら言った。
「この契約書は我が家の家宝です」
そう言って大切に鞄に入れると、私に深々と頭を下げた。
「遅ればせながら、この度は私どもの商会をご指名頂き、誠にありがとうございます。クロエも申し上げました通り、私どもは見返りを求めてお手伝いさせて頂く訳ではありません。娘共々、誠心誠意お仕えさせて頂きます」
私はネルソン会長の手を取り、感謝を述べた。
「ありがとう。その言葉、本当に心強いわ。でも、私は甘えるだけで済ませる人間ではない事は覚えて置いてちょうだい。必ずクロエと会長の恩には報います」
元々シンプルだったドレスは、アレンジを加える事でまるで別のドレスの様に仕上げることができるのだと豪語するクロエの言葉通りだった。その中から厳選し、まったく違う印象に仕上がる三パターンのアレンジを注文した。出来上がりがとても楽しみだ。
支払いについて、執事長から、これなら今ある侯爵夫人の予算の範囲内で賄えると伝えられたがそれは断った。私の資産状況を心配してくれたようだ。
実は、父が国を離れる時、持参金としても恥ずかしくない金額をと、領地のカントリーハウスを手放したほぼすべてのお金を渡されている。
嫁ぐ相手がまともな人物で、その家に根付く事が出来るようなら、その中から必要な金額を提示すれば良いと言われていた。
しかし、王命で突然決まった婚姻まで一週間、その間の交流さえ拒絶された私に、その提案をする時間はなかったし、求められもしなかった。
その事を話し、今後も、ウェーバー女公爵として行動するものについては、侯爵家からの予算は不要だと伝えてもらうことにした。
それから二日目の午後、ヴィッセル侯爵の帰宅を知らせる先触れがもたらされた。
私は、わくわくしながら、あの契約書の小細工がきちんと発動するように、準備を万端に整えることに専念した