灰色のあたし

3話 素敵なお客様

朝の商店街は、まだ半分眠っている。
パン屋のシャッターが上がる音。
魚屋の水の匂い。
通勤の足音がまばらに交差する。
未央は小走りだった。

未央「やば、やば、やば……」

角を曲がった瞬間、誰かとぶつかりそうになる。
固い胸板。
制服のブレザーの感触。

未央「あ、ごめんなさい!」

見上げると、若い男の子が立っていた。
黒いブレザー。
きちんと結ばれたネクタイ。
まだ少しだけあどけなさの残る顔立ち。
けれど、目だけはやけに落ち着いている。

涼「……いえ」

小さく会釈。
未央もぺこりと頭を下げる。
すれ違いざま、未央は勢いで言った。

未央「すみません!あたし、そこのコンビニの
   店員なんで!もし今日なんかあったら
   言ってください!」

自分でもよく分からないフォローだった。
涼は一瞬だけ目を丸くし、
それからほんの少しだけ口元を緩めた。

涼「……分かりました」

未央はまた走り出す。
涼は、少しのあいだその背中を見ていた。
やたらと明るい声。
けれど、どこか焦っている背中。
ネクタイを直しながら、涼も歩き出す。
進む方向は、同じコンビニだった。

______自動ドアが開く。

未央「おはようございまーす!」

息を切らしてバックヤードに飛び込む。

古川「おっそい!」

未央「電車が……」

古川「はいはい、電車のせいね。
明日から一本早く」

未央「……はい」

古川「まぁ今日は顔出したからよしとする」

未央「それ褒めてます?」

古川「褒めてんの!さっさとエプロン着なさ     
   い」

未央「はいっ! 今日も頑張りまーす!」

未央はロッカーに荷物を押し込み、エプロンを身につける。

 

 鏡の前で、にっと笑う。
 よし。
 今日もいける……と思う。


店内に出ると、明るいBGMが流れていた。

未央「おはよー、五十嵐くん」

五十嵐「……はい」

未央「今日も忙しそうだね」

五十嵐「……はい」

未央「私は今日もミスしそうでドキドキしてる  
   けど、まあやるしかないよね!」
 
五十嵐は少し目を伏せる。

五十嵐「……はい」
 
未央は笑う。
笑えば、なんとかなる気がする。
 
______レジに立つ。

未央「温めますか?」
 
言ったつもりだった。
けれど袋に詰めてしまっていた。

客「温めてって言ったでしょ!」

未央「あっ! すみません!」
 
レンジへ。
チン。
扉を開けた瞬間――
ぱん、と小さな破裂音。
ソースが、弁当のふたとレンジの内側に
飛び散った。

未央「……あっ……!」
 
客と目が合う。
一瞬、ふたり同時に笑ってしまう。

未央「あははは……やっちゃいましたね……」
 
けれど次の瞬間、客の表情が消えた。

客「……で? 俺の昼飯どうすんの?」
 
背中に汗が流れる。

未央「す、すみません! すぐ新しいの!」
 
棚へ走る。
頭の中が真っ白になる。
 
 なんで。
 なんでこうなるの。

客「……時間ないんだけど」
 
五十嵐が横に立つ。

五十嵐「僕、手伝います」

未央「助かるー、ありがとう!」
 
新しい弁当を渡し、深々と頭を下げる。

未央「本当にすみませんでした!」
 
客は渋々受け取り、去っていく。
未央はしばらくその背中を見送っていた。

そして――
その様子を、入口付近から見ていた人がいた。
朝ぶつかりかけた、制服姿の少年。
長谷川涼。
片手にペットボトル。
もう片方には、おにぎりをひとつ。
まだ始業前の時間。
登校途中らしい。
静かにレジへ並ぶ。
未央は一瞬で気づいた。

未央「あ、朝の!」

ぱっと明るくなる。

未央「学校前?」

涼「……はい」

未央はレジを打ちながら、少し早口になる。

未央「えっと、温めますか? あ、もし言い忘
れてたらちゃんと言ってくださいね! 
あたし、忘れがちなんで!」

涼はおにぎりを見る。
それから未央を見る。

涼「……温めるの、ないですよ」

一拍。
未央は手元を見る。
おにぎり。
ペットボトル。
レンジいらない。

未央「あっ……」

耳まで赤くなる。

未央「すみません……自動で聞いちゃって……」

涼はほんの少しだけ口元を緩める。

涼「大丈夫です」

レシートを渡しながら、未央は言う。

未央「何年生?」

涼「3年です」

未央「そっか、受験生だ」

涼「……はい」

未央はふと壁の時計を見る。

未央「って、もうこんな時間」

9時を少し回っている。

未央「学校、遅れるよ?」

涼は一瞬だけ視線を上げる。

涼「……大丈夫です」

未央「ほんと? ちゃんと走りなよ?」

涼「……はい」

わずかに笑みを浮かべうなずく。

涼「行きます」

未央「いってらっしゃい」

自動ドアが開き、朝の光が差し込む。
外へ出たあと、涼はほんの少しだけ振り返る。
未央はもう次の客に向かって、笑顔を作っていた。

______バックヤード。

古川「まったく」

古川がため息をつく。
未央がうつむいて椅子に座っている。
古川がタバコの箱をポケットに入れながら、ふと声をかける。

古川「……で今日、早上がりでしょ。
会社の面接?」

未央「えっ……あ、はい」


古川「事務職だっけ。ちゃんと笑っときなさ  
いよ。アンタの取り柄、それでしょ」

 未央は一瞬だけ言葉に詰まる。

未央「……はいっ!」

五十嵐「未央さん……面接、頑張ってくださ
い」

未央「ありがとね、五十嵐くん!」

古川は小さく笑って、未央の背中をポンと叩く。

古川「緊張しても死ぬわけじゃないんだから。
   行っといで」

未央「ありがとうございます!」

 退勤。

ロッカー前でエプロンを畳む。
扉裏の小さな鏡に、自分の顔が映る。
にっと笑う。
数秒後。
笑顔が固まる。
目だけが、笑っていない。

未央(なんでだろ……頑張ってるのに)

胸の奥が、じわっと痛む。

未央(なんでできないんだろ)

小さく息を吐く。
スマホが光る。

「会社面接 17:00」
 時刻は15:30。
 時間は、ある。
 あるはずなのに。
胸の奥だけが、なぜかざわついていた。
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