灰色のあたし

2話 愛しのパンケーキ

スマホのアラームが、暗闇を切り裂いた。
布団の中で未央は小さくうめく。

未央「……んー……」
 
枕元を手探りで探し当て、画面を叩く。
「6:40」
カーテンの隙間から、朝の光が細く差し込んでいた。
部屋は相変わらず散らかっている。昨日脱いだ服、洗っていないコップ、開きっぱなしのバッグ。
けれど未央は、それを見ないふりをするのが得意だった。
のろのろと起き上がり、洗面所へ。歯ブラシをくわえたままリビングに戻り、テレビをつける。

『今SNSでバズっている、ふわっふわの幸せパンケーキをご紹介します!』

画面いっぱいに映る、分厚く焼き上がった
パンケーキ。
 湯気。
 とろけるバター。
 流れ落ちるシロップ。
未央は、歯ブラシをくわえたまま固まった。

未央(……はぁべはい)

泡まじりの声が漏れる。
気づけば、キッチンに立っていた。
エプロンを身につけ、ボウルで生地を混ぜる。ぐるぐる、ぐるぐる。
炊飯器の表示は「保温10時間」。
昨日の名残。
未央は鼻歌をうたっていた。
フライパンに生地を流し込む。
厚みを持たせる。
じっと待つ。
焦らない。
今日は、うまくいく気がする。
皿に盛り、粉砂糖を振りかけた。

未央「できた!」

小さくガッツポーズ。
ふわふわ。完璧。幸せのかたまり。
そのとき、壁の時計が目に入った。
 「7:34」

未央「ひぃーー! えっ……やばっ!」

エプロンを放り投げ、片足でジーンズを履きながら洗面所へ戻る。
歯ブラシをくわえ直し、片手で化粧水をぱんぱんと叩く。
スマホが震えた。
画面には「佳奈」
通話ボタンを押す。

未央「ん〜? おはよ……今むり〜」

佳奈『歯ブラシくわえたまま出るなって』

未央「だって急だったんだもん」

佳奈『また寝坊?』

未央「ちがうって〜。今日はパンケーキ焼い   
   てただけ」

電話の向こうで、深いため息が聞こえる。

佳奈『はぁ? 朝からスイーツ女子気取り?   
   まず鏡で髪の毛見ろ』

未央は鏡をちらっと見る。
爆発していた。

未央「えへへ。ふわっふわ成功したんよ。
   今度持っていこっか?」

佳奈『いらん。就活の履歴書でもふわふわに
   仕上げなさい』

未央「それ焦げるやつ〜」

沈黙。
――佳奈の声色が少し低くなる。説教モード突入。

佳奈『それだからダメなんだって。
   あんた昔からそう。
   学生のときも“まぁいっか”で色んなこと
   後回しにして、結局ギリギリになって
   慌ててたじゃん』

未央「いや、間に合ってたし」
 
佳奈『その考えがダメなの!』
 
未央「別に被害出してないし」
 
佳奈『出てるっての。周りに
   迷惑かけてるの気づいてないだけ』
 
未央「そんな大げさな…」
 
佳奈『ほらまたそうやって軽く流す!
   就活だって途中で面倒になって
   放り投げたでしょ?』
 
未央「……それはタイミングが悪かっただけ」
 
佳奈『ほら言い訳! いつもそう』

未央『…………』

佳奈『今日、面接でしょ? 遅れんなよ』

未央「分かってるって。ちゃんと行くし」

佳奈『この前も“時間ある”って動画見てて
   遅れそうになったじゃん』

未央「……あれはアルゴリズムの罠だから」

佳奈『はい言い訳。 ふざけてたら絶対後悔
   するからね』

未央 「うんうん。」

佳奈『うんうんじゃない! ほんと心配して
   るの!』

未央は靴下を引っ張りながら笑う。

未央「ありがとう。大丈夫、大丈夫」

佳奈『“大丈夫”って、全然大丈夫な
   声じゃないんだよ』
 
一瞬、言葉が止まる。
未央はパンケーキを見た。
湯気はもう消えている。

未央「……電話越しに顔見えないくせに」

佳奈『声で分かるの。
   夜の飲み会の時教えて』

未央「はいはい〜。じゃ、行ってきまー  
   す!」
 
通話を切る。
静かになった部屋。
机の上の履歴書の封筒が目に入る。
白くて、重たい。
未央はパンケーキを一口だけ食べた。
甘い。
けど、どこか少しだけ焦げていた。

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