破断直後のEt cetera

 部長に会釈をしてエレベーターに向かえば、一緒のエレベーターに乗ることになった。

 なぜだか部長は、私の後ろで異様なほど深いタメ息を吐いている。

 この狭い空間で私は、人として、この可哀想な部長の手助けができるかもしれないと、勝手に自負していた。


 私が先に降りようとすれば、部長がまたしても私を引き留めた。


「おい。」

「はい?」


 エレベーターの扉を、まさかの手動で抑える部長が、前のめりの体勢で言った。


「お前からのも貰ってやってもいい。」

「……わた、私?」

「むしろお前はもう少し俺への『忖度』を気にしろ。」  


 片手で腕を引かれて、身体ごと引き寄せられる。

 もうこの強引さには慣れた。一度この力強さを知ってしまえば、もう抗うことはできないのだ。

 エレベーターの扉も、きっと何度も強引に手で抑えつけられてきたのだろう。恐らくうんざりしているはず。
 
 ふわりと、コーヒーの香りが間近に香る。

 唇に唇が触れた。リップが取れていて、乾燥気味のこの唇に。

 その瞬間に、彼の舌で唇を舐められた。

 舐められている側なのに、チョコキャラメルのフレーバーを感じて。引き寄せられた腕は、しっかりと握られていた。


「もう少し、甘い方がいい。」


 部長の顔が離れていくと、エレベーターの扉が急ぐように閉まっていく。

 私は閉まってもまだ、その場に呆然と突っ立ったままだった。 

 脳内が堕落する。

(いま、今のって。私、部長にチョコを要求されたってこと??)

 指で唇に触れてみる。

 あの日、ラブホテルでキスされた光景が蘇る。

 身体が熱くなって、自分の唇も身体も自分のものじゃないように思えた。 

(部長の唇、すっごい甘かった……。)

 今のは、生易しいキスだった。ホテルの時とは違う。強引なのに、とにかく蕩けるような甘さだった。

 舌で舐められて、彼の糖度が私の唇に纏りつく。

(好き……。今だけ。あと5分だけでいいから。好きでいさせて。)  

 胸の奥が震えて震えて、怖くなる。『好き』の強さに耐えきれず、涙が生理的に流れていく。

 最低だ。最悪だ。最強で最高のキスをいとも簡単にされてしまったのだから。

(好き……好きです。助けて――)

 初めてだ。詩太さんが私に何かを要求してきたのは。
 
 婚約解消してからのこの数日間。日々、詩太さんとの距離が縮まっている。いや、どう考えても詩太さんから縮めてきている。

(詩太さん、なんで今さら私にキスするんですか?)

 もしかして、詩太さんは結婚を望んでいないから? 結婚しなければいいってこと?

 私は元婚約者でいる方が幸せなのかもしれない。

 その場にうずくまりたい気持ちになる。

 でも私にはやるべきことがあるのだ。立ち上がらないと。

 手の甲で濡れた頬を拭い、気を奮い立たせる。

 グローバル部に配属された以上は、恋愛ごとにうつつを抜かしている暇はない。一つでも多くの業務を吸収しないと。




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