アンケート ― 選ばないという選択 ―
第50話 新しい郵便受け
朝になっていた。
気づいたのは、カーテンの隙間から光が差し込んできたときだった。工場の灯りとは違う、白い光だった。夜が終わっていた。
四人は眠っていなかった。設計図の解析が終わったのが四時過ぎで、それから少し話して、気がつくと窓が明るくなっていた。翔はPCの前に座ったまま目を閉じていた。眠っているのか考えているのか分からなかった。
朝倉は壁に背をもたれて床に座っていた。有栖川だけが姿勢を崩さずに椅子に座っていた。
美佳はミオの問いを印刷したページを、ずっと手に持っていた。
座標は、工業地帯からさらに外れた場所にあった。
翔が地図で確認した。電車とバスを乗り継いで一時間半、そこから徒歩で二十分。古い港湾施設の跡地に近い、倉庫が並ぶ一角だった。
「今日行くなら」と翔は言った。「昼過ぎが妥当です。全員で行きますか」
美佳は少し考えた。
「私と有栖川さんで行く」と美佳は言った。
翔が美佳を見た。
「理由は」
「ミオは久坂さんを怖がっていた」と美佳は言った。「久坂さんに近い人間が大勢で行くと、閉じるかもしれない」
「俺と翔は久坂さんに近くないけど」と朝倉が言った。
「人数の問題もある」と美佳は言った。「初めて会う人間に、四人で向かうのは──」
美佳は言葉を止めた。
本当の理由は少し違った。ミオの問いを読んだとき、美佳は一人で行きたいと思った。有栖川を連れていくのは、有栖川がミオと直接の接点を持っているからだった。でも、できれば一人で会いたかった。
その感覚を正直に言うかどうか、少し迷った。
「正確には」と美佳は言った。「できれば一人で会いたい。でもそれは現実的じゃないから、有栖川さんと二人で行く」
翔が少し笑った。笑うような場面ではなかったが、翔らしかった。
「分かった」と翔は言った。「俺と朝倉はここに残ります。サーバーのログを引き続き見る。何かあればすぐ連絡を」
朝倉は何も言わなかった。ただ頷いた。
一度カフェのアパートに戻った。
シャワーを浴びて、着替えた。コーヒーを飲みながら窓の外を見た。朝の商店街が動き始めていた。
ポスターが見えた。
「問いは、答えを必要としません」という一行が加わったポスターが、まだそこにあった。今朝は差し替えられていなかった。
美佳はそのポスターを見ながら、ミオの問いを思った。
わたしが選んだことは、わたしが選んだことになりますか。
答えを必要としない問いと、答えを必要とする問いがある。ミオの問いは、後者だった。答えが出ない限り、前に進めない種類の問いだった。だから十二年、ループの中にいた。
美佳自身の問いは、どちらだったか。
終わったはずなのに、終われていない──
以前から抱えていた感覚が、今朝は少し形が変わっていた。終われていないのではなく、まだ途中だった。終わりに向かっている途中だった。
それは答えではなかった。でも、答えを必要としない問いに近づいていた。
昼前に有栖川と合流した。
駅のホームで待っていた有栖川は、昨夜と同じ服を着ていた。
「眠れましたか」と美佳は言った。
「少し」と有栖川は言った。「美佳さんは」
「眠れなかったけど、疲れていない」
有栖川は頷いた。それ以上聞かなかった。
電車が来た。二人で乗った。座席に並んで座った。窓の外を街が流れていった。
しばらくして、有栖川が口を開いた。
「ミオから、有栖川に連絡が来たのは二年前です」と有栖川は言った。「LAPISのことを調べていた私に、直接メッセージが届いた。会いたいと」
「会いましたか」と美佳は言った。
「会いました。一度だけ」と有栖川は言った。「そのときミオは、久坂さんのことを怖い人だと言っていた。今思えば──」
「久坂さんが止めようとしていたから」と美佳は言った。
「ええ」と有栖川は言った。「私はミオの言葉を信じた。久坂さんが悪い側にいると思っていた。ずっと」
「昨夜まで」
「昨夜まで」と有栖川は繰り返した。「私の調査には、最初からミオの意図が入っていた可能性があります」
美佳は有栖川を見た。
有栖川の横顔は静かだった。動揺を押さえているのではなく、動揺を整理し終えた顔だった。一晩で整理したのだと美佳は思った。
「有栖川さんが調べてくれたことは」と美佳は言った。「意図が入っていても、事実だった部分がある。全部が使えなくなるわけじゃない」
「そう思います」と有栖川は言った。「ただ、ミオに会ったとき、私は自分の調査を全部持っていく必要がある」
「ぶつけるために?」
「確認するために」と有栖川は言った。「どこが事実で、どこに意図が入っていたか」
美佳は頷いた。
バスを降りると、潮の匂いがした。
工業地帯より強かった。港が近かった。倉庫が並ぶ道を、二人で歩いた。人が少なかった。稼働していない倉庫が多かった。
座標の場所は、一番端の倉庫だった。
シャッターが下りていた。錆が出ていた。しかし郵便受けが一つ、扉の横にあった。新しかった。最近取り付けられたものだった。
美佳はシャッターを見た。
内側から音はしなかった。気配があるかどうか、分からなかった。
美佳はシャッターを三回叩いた。
間があった。
長い間だった。
美佳はもう一度叩こうとした。
その前に、シャッターの内側で音がした。
錠が外れる音だった。
シャッターが、内側からゆっくりと上がり始めた。
腰の高さまで上がったところで、止まった。
中は暗かった。
暗がりの中に、人影があった。床に座っていた。膝を抱えていた。顔が見えなかった。
声が聞こえた。
小さく、かすれていた。でも確かに聞こえた。
「来ると思っていました」
気づいたのは、カーテンの隙間から光が差し込んできたときだった。工場の灯りとは違う、白い光だった。夜が終わっていた。
四人は眠っていなかった。設計図の解析が終わったのが四時過ぎで、それから少し話して、気がつくと窓が明るくなっていた。翔はPCの前に座ったまま目を閉じていた。眠っているのか考えているのか分からなかった。
朝倉は壁に背をもたれて床に座っていた。有栖川だけが姿勢を崩さずに椅子に座っていた。
美佳はミオの問いを印刷したページを、ずっと手に持っていた。
座標は、工業地帯からさらに外れた場所にあった。
翔が地図で確認した。電車とバスを乗り継いで一時間半、そこから徒歩で二十分。古い港湾施設の跡地に近い、倉庫が並ぶ一角だった。
「今日行くなら」と翔は言った。「昼過ぎが妥当です。全員で行きますか」
美佳は少し考えた。
「私と有栖川さんで行く」と美佳は言った。
翔が美佳を見た。
「理由は」
「ミオは久坂さんを怖がっていた」と美佳は言った。「久坂さんに近い人間が大勢で行くと、閉じるかもしれない」
「俺と翔は久坂さんに近くないけど」と朝倉が言った。
「人数の問題もある」と美佳は言った。「初めて会う人間に、四人で向かうのは──」
美佳は言葉を止めた。
本当の理由は少し違った。ミオの問いを読んだとき、美佳は一人で行きたいと思った。有栖川を連れていくのは、有栖川がミオと直接の接点を持っているからだった。でも、できれば一人で会いたかった。
その感覚を正直に言うかどうか、少し迷った。
「正確には」と美佳は言った。「できれば一人で会いたい。でもそれは現実的じゃないから、有栖川さんと二人で行く」
翔が少し笑った。笑うような場面ではなかったが、翔らしかった。
「分かった」と翔は言った。「俺と朝倉はここに残ります。サーバーのログを引き続き見る。何かあればすぐ連絡を」
朝倉は何も言わなかった。ただ頷いた。
一度カフェのアパートに戻った。
シャワーを浴びて、着替えた。コーヒーを飲みながら窓の外を見た。朝の商店街が動き始めていた。
ポスターが見えた。
「問いは、答えを必要としません」という一行が加わったポスターが、まだそこにあった。今朝は差し替えられていなかった。
美佳はそのポスターを見ながら、ミオの問いを思った。
わたしが選んだことは、わたしが選んだことになりますか。
答えを必要としない問いと、答えを必要とする問いがある。ミオの問いは、後者だった。答えが出ない限り、前に進めない種類の問いだった。だから十二年、ループの中にいた。
美佳自身の問いは、どちらだったか。
終わったはずなのに、終われていない──
以前から抱えていた感覚が、今朝は少し形が変わっていた。終われていないのではなく、まだ途中だった。終わりに向かっている途中だった。
それは答えではなかった。でも、答えを必要としない問いに近づいていた。
昼前に有栖川と合流した。
駅のホームで待っていた有栖川は、昨夜と同じ服を着ていた。
「眠れましたか」と美佳は言った。
「少し」と有栖川は言った。「美佳さんは」
「眠れなかったけど、疲れていない」
有栖川は頷いた。それ以上聞かなかった。
電車が来た。二人で乗った。座席に並んで座った。窓の外を街が流れていった。
しばらくして、有栖川が口を開いた。
「ミオから、有栖川に連絡が来たのは二年前です」と有栖川は言った。「LAPISのことを調べていた私に、直接メッセージが届いた。会いたいと」
「会いましたか」と美佳は言った。
「会いました。一度だけ」と有栖川は言った。「そのときミオは、久坂さんのことを怖い人だと言っていた。今思えば──」
「久坂さんが止めようとしていたから」と美佳は言った。
「ええ」と有栖川は言った。「私はミオの言葉を信じた。久坂さんが悪い側にいると思っていた。ずっと」
「昨夜まで」
「昨夜まで」と有栖川は繰り返した。「私の調査には、最初からミオの意図が入っていた可能性があります」
美佳は有栖川を見た。
有栖川の横顔は静かだった。動揺を押さえているのではなく、動揺を整理し終えた顔だった。一晩で整理したのだと美佳は思った。
「有栖川さんが調べてくれたことは」と美佳は言った。「意図が入っていても、事実だった部分がある。全部が使えなくなるわけじゃない」
「そう思います」と有栖川は言った。「ただ、ミオに会ったとき、私は自分の調査を全部持っていく必要がある」
「ぶつけるために?」
「確認するために」と有栖川は言った。「どこが事実で、どこに意図が入っていたか」
美佳は頷いた。
バスを降りると、潮の匂いがした。
工業地帯より強かった。港が近かった。倉庫が並ぶ道を、二人で歩いた。人が少なかった。稼働していない倉庫が多かった。
座標の場所は、一番端の倉庫だった。
シャッターが下りていた。錆が出ていた。しかし郵便受けが一つ、扉の横にあった。新しかった。最近取り付けられたものだった。
美佳はシャッターを見た。
内側から音はしなかった。気配があるかどうか、分からなかった。
美佳はシャッターを三回叩いた。
間があった。
長い間だった。
美佳はもう一度叩こうとした。
その前に、シャッターの内側で音がした。
錠が外れる音だった。
シャッターが、内側からゆっくりと上がり始めた。
腰の高さまで上がったところで、止まった。
中は暗かった。
暗がりの中に、人影があった。床に座っていた。膝を抱えていた。顔が見えなかった。
声が聞こえた。
小さく、かすれていた。でも確かに聞こえた。
「来ると思っていました」