ふたつの弧が、重なるとき ~六年越しの両片思い。不器用な二人が、東京で0センチメートルになるまで~
「ふう……雨、強くなってきたね」
正人くんが、バイトの時間だと言って先にお店を出た後、店内もディナータイムに差し掛かるところか、混み始めてきた。
私といずみもファミレス出ることにしたが、雨は先ほどより強さを増して、ザーッという音をたてながら、地面に打ちつけられている。
瀬川くんはキッチンのフォローもしているのか、あちらこちらで忙しそうにしていたので、残念ながら、別れの挨拶はできず仕舞いだった。
扉の前で先に傘を開いたいずみが振り返る。
「ねえ美絵。もし時間あれば、駅前のカフェに寄っていかない?」

いずみの誘いを二つ返事で了承し、足を踏み入れた店内は、雨宿りのためか、いつもより少し混んでいる。
若干の喧騒の中で、静かに流れるジャズ。
私たちは、運良く二つ空いていた窓側のカウンター席を、やや急ぎ足で獲得した。

私はミルクティー、いずみはカフェラテを選んだ。
窓の外は薄暗く、雨粒がガラスを斜めに滑り落ちていく。
「……で、美絵」
カフェラテのカップを両手で包みながら、いずみが真っ直ぐな瞳で私を見た。
「ん?」
「さっき、元気なかったでしょ。瀬川くんが他の女の子と話してたから?」
ドキリとした。
隠せていたと思っていたのに。
「そ、そんなことないよ……ただ、お腹が!そう。いっぱいになっちゃって……」
「うっそだあ」
優しいけれど鋭いいずみ。
彼女は少し身を乗り出して、声を潜めた。
「美絵さ。もしかして、瀬川くんのこと好きなの?」
「…………え」
好き。
その二文字が、頭の中で反響する。
瀬川くんの顔が浮かぶ。
中学時代に、ピッチャーを頑張っていた背中。
筆箱の中身を拾ってくれた大きな手。
「いいよ」と言ってくれたメッセージ。
さっきの、エプロン姿も、かっこよかった。
でも……
「……わかんない」
私は正直に答えた。
「わかんないの?」
「うん……。中学の頃から知ってるし、尊敬できるところがたくさんあるし、一緒にいると安心する。でも……これが『好き』なのか、昔から知っている人への『親しみ』なのか、自分でもよくわからなくて」
恋という感情が、私にはまだよくわからない。
物語の中の、キラキラしたもの?ドラマチックなもの?
「美絵はさ、誰かと付き合ったことある?」
いずみの質問に、私は記憶の奥底にある、あの冬のことを思い出した。
「……一回だけ。カウントしていいのかわからないくらい、曖昧だけど…あるよ」
「曖昧? どういうこと?」
「うん。……中学二年の時」
私は、まだ湯気の立つミルクティーを見つめながら、ポツリポツリと話し始めた。
「親同士が知り合いで、近所に住んでた3つ上の人。その人、大学がエスカレーター式で決まって暇だったから、私の家庭教師をしてくれてたの」
「へえ、家庭教師かあ。漫画みたい」
「そんなロマンチックなものじゃないよ。……かっこいいなとは、思ってたけど。いつも『お前ってドジだな』とか『トロい』とか、意地悪ばっかり言われてて」
思い出すのは、私が数学のテストで間違えたところをペンで叩きながら溜息をつく彼の顔。
言い返せるわけなんてなくて、唇を噛んでいた日々。
「でも、最後の授業の日に、急に『付き合う?』って聞かれたの」
「えっ、急展開!」
「私もびっくりして。……でも、断る理由もわからなくて、なんとなく『はい』って」
好きだったのか、と聞かれたら、わからない。
ただ、年上の、少し意地悪でかっこいいお兄さんにそう言ってもらえたのが、ちょっと誇らしかっただけかもしれない。
「で、どうなったの?」
「映画に二回行って、一度だけ手を繋いだ。……それだけ」
「え?」
「向こうが大学に入学したら、忙しくなったのか、全然連絡取れなくなって。……そのまま、自然消滅」
「ええっ?なにそれ!」
いずみが眉をひそめる。
「お母さん伝いに、『元気に大学通ってるらしいよ』って聞いて、ああ、大学生ってそういう軽いノリで付き合ったり、終わったりするものなのかなって。……だから、結局私が彼を好きだったのかも、彼が私を好きだったのかも、わからないまま終わっちゃった」
その時の記憶は、言葉通り、まるで夢だったかのように現実感がない。
手を繋いだ時の体温も、思い出せない。
胸が苦しくなることも、泣きたい夜も、なにもなかった。
ただ「付き合っている」という事実のラベルが貼られて、いつの間にか剥がれ落ちていただけ。
「だからね、いずみ。私、恋愛に関する自分の気持ちが本当にわからなくて」
窓の外の雨脚が、また更に強くなる。
瀬川くんを見た時の、あの胸のざわめき。
他の女の子と話している時の、苦しいような痛み。
これは、前の「なんとなく」とは違う気がする。
でも、もしこれも私の勘違いだったら?
尊敬や親しみを、恋と間違えているだけだったら?
また、あんな風に、温度のないまま終わってしまうのが不安なのかもしれない。
いずみは、話してくれてありがと。とポツリと言って、ただ温かい目で、微笑んでくれた。
雨の音だけが、静かに二人の時間を埋めていた。
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