ふたつの弧が、重なるとき ~元エースピッチャーの彼と、走り高跳びの彼女。熱を持った六年越しの初恋を、不器用に重ね合わせていく~【完結】
第21話
翌朝、合宿二日目。
普段より一時間遅く目が覚めた。
昨日は、東京からの長距離移動に加え、真夏の太陽が照りつける海で体力を使い果たしていたようだ。
日焼け止めも塗り、ラッシュガードも着ていたけれど、覆われていなかった頬、手の甲や足が、少しだけ赤くなってヒリヒリしている。
同室の子たちとのお喋りもそこそこに、吸い込まれるように早めに就寝したはずなのに、瞼の裏にはまだ重い眠気が居座っている。
民宿の薄いカーテンを透かして、容赦のない夏の日差しが畳の目を焼き付けていた。
窓をぐっと開け放つと、耳鳴りのように響く蝉の大合唱と、昨日よりもさらに重く湿った熱気が、暴力的なまでの勢いで部屋になだれ込んでくる。
大きなあくびをしたら、それらが体の中に染み込んでいく感じがした。
◇
朝食の席で、幹事の先輩から「海で泳ぎたい派」と「体育館でスポーツしたい派」に分かれて行動することが発表された。
私は、体育館でのスポーツを選んだ。
海遊びも楽しかったけど、せっかくスポーツ観戦サークルに入ったのだから、みんなとスポーツを楽しんでみたかったからだ。
朝食を終え、家から持ってきたレモンイエローのTシャツと、ネイビーのジャージという軽装に着替える。
「おまたせっ!」
「美絵! 行こ〜!」
いずみは「海で泳ぎたい派」に行ったため、他の同期の女の子たちと三人で向かう。
日傘を差して、陽炎の立つ民家沿いの細い道を歩き続けること二十分。
借りている町民体育館の重たい鉄の扉を押し開けると、有り難いことに冷房がついており、ひんやりとした冷気が一気に肌を撫でた。
ワックスと古い木材が混じり合った独特の匂いがする。
「うおー! 懐かしい匂い!」
入り口で準備していた男子たちが、ボールを持ってコートへ駆け出していく。
ダム、ダム、ダム。
ボールが床を叩く重低音と、シューズが床を擦るキュッ、キュッという甲高い音が、高い天井に反響している。
その音を聞いてハッとする。
(体育館のスポーツってなると、やっぱり球技かな……?)
走るのや跳ぶのは得意な一方で、ボールの扱いはてんで苦手な私。
楽しめればいいやと思って来たものの、足を引っ張らないだろうかと不安になりながら、みんなの輪に入ろうとフロアへ足を踏み入れたとき、ゴール下でシュート練習をしている背中を見つけた。
黒いTシャツの背中が、しなやかに反る。
放たれたボールは綺麗な放物線を描き、リングに触れることなく「スパッ」と小気味良い音を立ててネットを揺らした。
「っしゃ」
小さくガッツポーズをする瀬川くん。
その姿を見た瞬間、体育館の威圧感がスッと消えて、代わりに胸の奥が温かくなるのを感じた。
振り返って目が合うと、小さく手を上げてくれた。
(よかった。瀬川くんも、こっちを選んでたんだ)
◇
最初はバスケをやることになった。
チーム分けの結果、瀬川くん、真希さんと同じチームになった。
「よーし! 祥くん、センターお願いね! 美絵ちゃんは前の方でボール待ってていいから!」
「了解です」
「あっ、はい!」
鋭い笛の音が鳴り響き、試合が始まった。
案の定、コートの中を行ったり来たりするだけで精一杯になる私。
一方で、中学時代はバスケ部だったという真希さんの動きは、水を得た魚のようだった。
長いポニーテールを揺らし、男子顔負けのドリブルで切り込んでいく。
「祥くん、そこ!」
真希さんの鋭い声と同時に、ボールが瀬川くんへ飛ぶ。
ノールックでそれを受け取った彼は、絶妙なタイミングのパスを戻した。
「ナイスパス!」
二人の間に、それ以上の言葉はいらなかった。
アイコンタクトひとつ、呼吸ひとつで通じ合っている。
まるで、見えない糸で繋がっているかのような、完璧な連携プレー。
ゴールが決まり、走りながらハイタッチを交わしていた。
「イエーイ!」
パンッ! と、手のひらを合わせた音。
それは私の心をチクリと、毒針のように刺した。
(……いいなあ)
羨ましい。
あんな風に、彼の隣を走れたら。言葉がなくても通じ合えたら。
せっかくみんなで遊んでいるんだからと、顔を曇らせないように気を張る。
「――森さん」
名前を呼ばれ、ハッとして顔を上げる。
瀬川くんが目の前でボールを持っていた。
ゴールまではまだ距離がある。
彼はフリーだったけれど、わざわざ自分の動きを止めて待ってくれた。
そして私に向かって、壊れ物を扱うようにゆっくりと、ふわりとした山なりのパスを放った。
鋭い回転も、速さもなく。
誰にでも受け取れる、ちょっと過保護なくらい優しいボール。
「今、チャンス。シュートお願い!」
明るい声に促され、慌ててボールを抱え込み、両手で不格好にゴールへ放り投げた。
ボールは思いきりボードに当たり、ゴトゴトと不安定にリングの上を転がって、運良く吸い込まれるようにネットの中へ落ちた。
「入った! ナイスシュート!」
瀬川くんが弾んだ足取りで駆け寄ってきて、太陽のように眩しく笑いながら、両手を出してハイタッチを求めた。
「……あ、ありがとうっ」
私は精一杯笑い返しながら、ぎこちなく手を合わせた。
さっきの真希さんとの、対等な連携プレーとは、ちょっと違う。
私へのパスは、瀬川くんが少年たちに野球を教えているのと近い感じ。
子供の歩幅に合わせて投げるような、慎重で、慈愛に満ちたパスだった。
その優しさはもちろん嬉しかったのだけれど、やっぱり真希さんが羨ましく思えてしまった。
普段より一時間遅く目が覚めた。
昨日は、東京からの長距離移動に加え、真夏の太陽が照りつける海で体力を使い果たしていたようだ。
日焼け止めも塗り、ラッシュガードも着ていたけれど、覆われていなかった頬、手の甲や足が、少しだけ赤くなってヒリヒリしている。
同室の子たちとのお喋りもそこそこに、吸い込まれるように早めに就寝したはずなのに、瞼の裏にはまだ重い眠気が居座っている。
民宿の薄いカーテンを透かして、容赦のない夏の日差しが畳の目を焼き付けていた。
窓をぐっと開け放つと、耳鳴りのように響く蝉の大合唱と、昨日よりもさらに重く湿った熱気が、暴力的なまでの勢いで部屋になだれ込んでくる。
大きなあくびをしたら、それらが体の中に染み込んでいく感じがした。
◇
朝食の席で、幹事の先輩から「海で泳ぎたい派」と「体育館でスポーツしたい派」に分かれて行動することが発表された。
私は、体育館でのスポーツを選んだ。
海遊びも楽しかったけど、せっかくスポーツ観戦サークルに入ったのだから、みんなとスポーツを楽しんでみたかったからだ。
朝食を終え、家から持ってきたレモンイエローのTシャツと、ネイビーのジャージという軽装に着替える。
「おまたせっ!」
「美絵! 行こ〜!」
いずみは「海で泳ぎたい派」に行ったため、他の同期の女の子たちと三人で向かう。
日傘を差して、陽炎の立つ民家沿いの細い道を歩き続けること二十分。
借りている町民体育館の重たい鉄の扉を押し開けると、有り難いことに冷房がついており、ひんやりとした冷気が一気に肌を撫でた。
ワックスと古い木材が混じり合った独特の匂いがする。
「うおー! 懐かしい匂い!」
入り口で準備していた男子たちが、ボールを持ってコートへ駆け出していく。
ダム、ダム、ダム。
ボールが床を叩く重低音と、シューズが床を擦るキュッ、キュッという甲高い音が、高い天井に反響している。
その音を聞いてハッとする。
(体育館のスポーツってなると、やっぱり球技かな……?)
走るのや跳ぶのは得意な一方で、ボールの扱いはてんで苦手な私。
楽しめればいいやと思って来たものの、足を引っ張らないだろうかと不安になりながら、みんなの輪に入ろうとフロアへ足を踏み入れたとき、ゴール下でシュート練習をしている背中を見つけた。
黒いTシャツの背中が、しなやかに反る。
放たれたボールは綺麗な放物線を描き、リングに触れることなく「スパッ」と小気味良い音を立ててネットを揺らした。
「っしゃ」
小さくガッツポーズをする瀬川くん。
その姿を見た瞬間、体育館の威圧感がスッと消えて、代わりに胸の奥が温かくなるのを感じた。
振り返って目が合うと、小さく手を上げてくれた。
(よかった。瀬川くんも、こっちを選んでたんだ)
◇
最初はバスケをやることになった。
チーム分けの結果、瀬川くん、真希さんと同じチームになった。
「よーし! 祥くん、センターお願いね! 美絵ちゃんは前の方でボール待ってていいから!」
「了解です」
「あっ、はい!」
鋭い笛の音が鳴り響き、試合が始まった。
案の定、コートの中を行ったり来たりするだけで精一杯になる私。
一方で、中学時代はバスケ部だったという真希さんの動きは、水を得た魚のようだった。
長いポニーテールを揺らし、男子顔負けのドリブルで切り込んでいく。
「祥くん、そこ!」
真希さんの鋭い声と同時に、ボールが瀬川くんへ飛ぶ。
ノールックでそれを受け取った彼は、絶妙なタイミングのパスを戻した。
「ナイスパス!」
二人の間に、それ以上の言葉はいらなかった。
アイコンタクトひとつ、呼吸ひとつで通じ合っている。
まるで、見えない糸で繋がっているかのような、完璧な連携プレー。
ゴールが決まり、走りながらハイタッチを交わしていた。
「イエーイ!」
パンッ! と、手のひらを合わせた音。
それは私の心をチクリと、毒針のように刺した。
(……いいなあ)
羨ましい。
あんな風に、彼の隣を走れたら。言葉がなくても通じ合えたら。
せっかくみんなで遊んでいるんだからと、顔を曇らせないように気を張る。
「――森さん」
名前を呼ばれ、ハッとして顔を上げる。
瀬川くんが目の前でボールを持っていた。
ゴールまではまだ距離がある。
彼はフリーだったけれど、わざわざ自分の動きを止めて待ってくれた。
そして私に向かって、壊れ物を扱うようにゆっくりと、ふわりとした山なりのパスを放った。
鋭い回転も、速さもなく。
誰にでも受け取れる、ちょっと過保護なくらい優しいボール。
「今、チャンス。シュートお願い!」
明るい声に促され、慌ててボールを抱え込み、両手で不格好にゴールへ放り投げた。
ボールは思いきりボードに当たり、ゴトゴトと不安定にリングの上を転がって、運良く吸い込まれるようにネットの中へ落ちた。
「入った! ナイスシュート!」
瀬川くんが弾んだ足取りで駆け寄ってきて、太陽のように眩しく笑いながら、両手を出してハイタッチを求めた。
「……あ、ありがとうっ」
私は精一杯笑い返しながら、ぎこちなく手を合わせた。
さっきの真希さんとの、対等な連携プレーとは、ちょっと違う。
私へのパスは、瀬川くんが少年たちに野球を教えているのと近い感じ。
子供の歩幅に合わせて投げるような、慎重で、慈愛に満ちたパスだった。
その優しさはもちろん嬉しかったのだけれど、やっぱり真希さんが羨ましく思えてしまった。