ふたつの弧が、重なるとき ~六年越しの両片思い。不器用な二人が、東京で0センチメートルになるまで~
ガラリ、とキャリーケースの車輪が玄関のタイルで短い音を立てた。
鍵を閉め、冷房を切ってあるむせ返るような自分の部屋に足を踏み入れる。
窓を閉め切っていたワンルームには、留守の間に溜まった埃の匂いと、茹だるような熱気が充満していた。
窓を開けてその空気を逃しながら、エアコンのリモコンを手に取り、一番強い風量でスイッチを入れる。
冷たい風が吹き出し始めるのを確認するより早く、私は靴下を脱ぎ捨て、薄紫の小花柄のカバーで揃えたベッドへとダイブした。
「っ……」
スプリングが大きく軋む音を聞きながら、数秒間、天井をぼーっと眺める。
合宿のダイジェストが脳内に流れ、最後に浮かんだのは、昨晩から今朝にかけての出来事。
「〜〜〜っ!!」
両手で顔を覆い、バタバタと両足をバタつかせ、ベッドの上で転げ回った。
熱い。
部屋が暑いせいじゃない。私自身の顔から火が出そうなくらい、全身の血が沸騰しているのがわかる。
(やっちゃった……やっちゃったよ……!)
クッションを抱きしめ、ギュッと目を閉じる。
脳裏には数時間前の、あの明け方の光景が鮮明にフラッシュバックしていた。
――今朝、午前四時。
民宿の宴会場は、すっかり青白い夜明けの空気に包まれていた。
開け放たれた窓からは、昼間の騒がしさが嘘のような、静かでひんやりとした潮風が流れ込んできている。
遠くで、名前の知らない海鳥の鳴き声が聞こえた。
「ふぁっ!? ……寝ちゃってた!」
隣で突如、いずみが変な声を上げて跳ね起きた。
その大きな声にビクッと肩が揺れ、私も重いまぶたをこすりながらゆっくりと意識を浮上させた。
「んん……」
首を動かそうとした瞬間、自分の頬が、何か硬くて、けれど温かいものに密着していることに気がついた。
微かに鼻をかすめる、この香りは。
ハッとして視線を上げると、すぐ目の前に、黒いポロシャツの袖口が見えた。
そしてその上には……スウスウと静かな寝息を立てている瀬川くんの整った横顔。
「っ!?」
心臓が、肋骨を突き破るかと思うほど大きく跳ねた。
私、瀬川くんの肩にがっつり寄りかかって、寝てた……!?
勢いよく身体を離した反動で、彼もゆっくりと目を覚ました。
黒いまつ毛が震え、眠たげな黒い瞳が私を映す。
「……ん、起きた?」
「私!よ、寄りかかってた!? ごめん!!」
パニックになって頭を下げると、彼は少しだけ首を回して筋を伸ばし、ふわりと優しく微笑んだ。
「……いーよ。よく寝てたな」
朝靄のように低くて少し掠れた声。
その「いーよ」の響きが甘すぎて、胸の奥がキュンと締め付けられる。
徐々に目と脳が冴えてくると同時に、昨夜の微睡みの中での記憶が、パズルのピースのようにカチカチとはまり始めた。
『私のことも……名前で呼んでよ』
『私は……祥ちゃん、って呼ぶ』
(うそでしょ!? 私、なんであんな大胆なこと言った!?)
夢だったのではないか。
いや、夢だと思いたい。
けれど、右の頬に残る彼の肩の確かな温もりが、シャツの布地の感触が、それが紛れもない現実であることを残酷なまでに突きつけていた。
「あっ……えっと! 私……部屋戻るね!」
顔面から火を噴きそうなのを誤魔化すように立ち上がり、まだ眠そうで状況を飲み込めていないいずみの腕を引っ張っる。
そのまま、私は逃げるように宴会場を後にした。
彼の反応を見る余裕なんて、一ミリもなかった。
――そして、今に至る。
合宿からの帰りのバスでも、その後の解散の時も。
私は恥ずかしさのあまり、瀬川くんとまともに目を合わせることができなかった。
彼が近くを通るたびに、不自然に別の方向を見たり、いずみの後ろに隠れたりしてしまった。
「変に思われてないかな……」
ベッドに仰向けのまま、天井の照明を見つめて独り言をこぼす。
自分から甘えておいて、名前で呼んでなんて言っておいて、いざ翌朝になったら避けるなんて。
いくらなんでも失礼すぎるし、意味のわからないやつだと思われたかもしれない。
嫌われたらどうしよう。
あの優しい『いーよ』が、ただの呆れから来ていたらどうしよう。
後悔と自己嫌悪の波が、寄せては返していく。
冷房が効き始め、部屋の空気が少しずつ冷えてきた。
二泊三日の合宿の疲れと、昨夜の寝不足が、今になって泥のように身体にのしかかってくる。
まぶたが、もう限界を訴えていた。
(ちゃんと謝るメッセージ、しなきゃ……。明日、起きたら……)
薄れゆく意識の中。
サイドテーブルに放り出したスマホの画面が、チカチカと光ったような気がした。
誰かからのメッセージだろうか。
確認しようと腕を動かそうとしたけれど、それよりも早く、私は深い眠りの底へと落ちていった。
鍵を閉め、冷房を切ってあるむせ返るような自分の部屋に足を踏み入れる。
窓を閉め切っていたワンルームには、留守の間に溜まった埃の匂いと、茹だるような熱気が充満していた。
窓を開けてその空気を逃しながら、エアコンのリモコンを手に取り、一番強い風量でスイッチを入れる。
冷たい風が吹き出し始めるのを確認するより早く、私は靴下を脱ぎ捨て、薄紫の小花柄のカバーで揃えたベッドへとダイブした。
「っ……」
スプリングが大きく軋む音を聞きながら、数秒間、天井をぼーっと眺める。
合宿のダイジェストが脳内に流れ、最後に浮かんだのは、昨晩から今朝にかけての出来事。
「〜〜〜っ!!」
両手で顔を覆い、バタバタと両足をバタつかせ、ベッドの上で転げ回った。
熱い。
部屋が暑いせいじゃない。私自身の顔から火が出そうなくらい、全身の血が沸騰しているのがわかる。
(やっちゃった……やっちゃったよ……!)
クッションを抱きしめ、ギュッと目を閉じる。
脳裏には数時間前の、あの明け方の光景が鮮明にフラッシュバックしていた。
――今朝、午前四時。
民宿の宴会場は、すっかり青白い夜明けの空気に包まれていた。
開け放たれた窓からは、昼間の騒がしさが嘘のような、静かでひんやりとした潮風が流れ込んできている。
遠くで、名前の知らない海鳥の鳴き声が聞こえた。
「ふぁっ!? ……寝ちゃってた!」
隣で突如、いずみが変な声を上げて跳ね起きた。
その大きな声にビクッと肩が揺れ、私も重いまぶたをこすりながらゆっくりと意識を浮上させた。
「んん……」
首を動かそうとした瞬間、自分の頬が、何か硬くて、けれど温かいものに密着していることに気がついた。
微かに鼻をかすめる、この香りは。
ハッとして視線を上げると、すぐ目の前に、黒いポロシャツの袖口が見えた。
そしてその上には……スウスウと静かな寝息を立てている瀬川くんの整った横顔。
「っ!?」
心臓が、肋骨を突き破るかと思うほど大きく跳ねた。
私、瀬川くんの肩にがっつり寄りかかって、寝てた……!?
勢いよく身体を離した反動で、彼もゆっくりと目を覚ました。
黒いまつ毛が震え、眠たげな黒い瞳が私を映す。
「……ん、起きた?」
「私!よ、寄りかかってた!? ごめん!!」
パニックになって頭を下げると、彼は少しだけ首を回して筋を伸ばし、ふわりと優しく微笑んだ。
「……いーよ。よく寝てたな」
朝靄のように低くて少し掠れた声。
その「いーよ」の響きが甘すぎて、胸の奥がキュンと締め付けられる。
徐々に目と脳が冴えてくると同時に、昨夜の微睡みの中での記憶が、パズルのピースのようにカチカチとはまり始めた。
『私のことも……名前で呼んでよ』
『私は……祥ちゃん、って呼ぶ』
(うそでしょ!? 私、なんであんな大胆なこと言った!?)
夢だったのではないか。
いや、夢だと思いたい。
けれど、右の頬に残る彼の肩の確かな温もりが、シャツの布地の感触が、それが紛れもない現実であることを残酷なまでに突きつけていた。
「あっ……えっと! 私……部屋戻るね!」
顔面から火を噴きそうなのを誤魔化すように立ち上がり、まだ眠そうで状況を飲み込めていないいずみの腕を引っ張っる。
そのまま、私は逃げるように宴会場を後にした。
彼の反応を見る余裕なんて、一ミリもなかった。
――そして、今に至る。
合宿からの帰りのバスでも、その後の解散の時も。
私は恥ずかしさのあまり、瀬川くんとまともに目を合わせることができなかった。
彼が近くを通るたびに、不自然に別の方向を見たり、いずみの後ろに隠れたりしてしまった。
「変に思われてないかな……」
ベッドに仰向けのまま、天井の照明を見つめて独り言をこぼす。
自分から甘えておいて、名前で呼んでなんて言っておいて、いざ翌朝になったら避けるなんて。
いくらなんでも失礼すぎるし、意味のわからないやつだと思われたかもしれない。
嫌われたらどうしよう。
あの優しい『いーよ』が、ただの呆れから来ていたらどうしよう。
後悔と自己嫌悪の波が、寄せては返していく。
冷房が効き始め、部屋の空気が少しずつ冷えてきた。
二泊三日の合宿の疲れと、昨夜の寝不足が、今になって泥のように身体にのしかかってくる。
まぶたが、もう限界を訴えていた。
(ちゃんと謝るメッセージ、しなきゃ……。明日、起きたら……)
薄れゆく意識の中。
サイドテーブルに放り出したスマホの画面が、チカチカと光ったような気がした。
誰かからのメッセージだろうか。
確認しようと腕を動かそうとしたけれど、それよりも早く、私は深い眠りの底へと落ちていった。