ふたつの弧が、重なるとき ――元エースピッチャーの彼と、走り高跳びの彼女。熱を持った六年越しの初恋を、不器用に重ね合わせていく。
 ◇

「ありがとうございました!」

 元気な挨拶が響き渡り、今日の練習が終了した。

 道具の片付けを終え、監督や保護者に挨拶をして回った後、急いで水道で顔と手を洗い、森さんの待つ木陰へと向かった。

「……ごめん! お待たせ。暑かったよな」

 タオルで首の汗を拭いながら声をかけると、彼女はパッと花が咲いたような笑顔になった。

「ううん! すっごく楽しかった! みんな一生懸命で……感動した」

 その言葉に嘘はないようで、彼女の瞳はキラキラと輝いている。

「瀬川くんのコーチ姿も、ほんとすごいなって思ったし……それに、少しだけど、ボール投げてる姿、また見られた」

「……っ」

 ストレートな言葉に、さっき水で冷やしたはずの顔がカッと熱くなる。

「あ、いや……昔みたいには投げられないから。あのくらい緩くしかできないんだけどね」

 小さく笑いながら言う。
 すると、彼女は首を横に振った。

「ううん……すごく、か、カッコよかったよ」

 蝉の鳴き声すら耳に入らなくなるほどの破壊力。

 この子は、自分がどれだけ僕の心臓に悪いことを言っているのか、自覚があるのだろうか。

「……ありがとう」

 ◇

 土手を下り、駅へと向かう道。
 日は少し傾き始め、彼女のワンピースと同じオレンジ色を帯びた光が住宅街を照らしている。
 暑さはまだ残っているけれど、時折吹き抜ける風には、夕暮れ特有の涼しさが混じっていた。

 どこかの家から、夕ご飯の匂いが漂ってくる。
 並んで歩く僕たちの間には、絶えず心地よい沈黙と、ぽつりぽつりとした会話が続いていた。

「……そういえば」

 駅が見えてきた頃、ずっと胸につかえていたことを口に出す決心をした。

「うん?」

「合宿の……最後の夜のことなんだけど」

 彼女の肩が、ビクッと跳ねたのがわかった。
 歩調が少し遅くなる。

「あの時……『名前で呼んで』って言ってたの、覚えてる? もしかしたら、寝ぼけてたのかなって思って……」

 名前で呼べたら嬉しいけれど、夢現での言葉なら、忘れてと言われるかもしれない。
 彼女は立ち止まり、俯いたまま日傘の柄を両手でぎゅっと握りしめた。
 頬が赤く染まっているのが、横顔からもわかる。

「……お、覚えてるよ」

 消え入りそうな声。

「あの時はなんか……馴れ馴れしくて、ごめん」

「いや、全然そんなことないよ」

 慌てて否定した。

「長年『森さん』呼びだったから、時々間違えちゃうかもしれないけど……じゃあ『美絵』でいい?」

 彼女はゆっくりと顔を上げ、丸い瞳で僕を見つめ返した。

「……うん」

 静かに、けれどはっきりと頷いてくれた。

 ヒグラシの鳴き声が、遠くの神社から聞こえてくる。

「……私も」

 足元に視線を落としながら、彼女が口を開いた。

「私も、『祥ちゃん』……でいいかな」

「……っ!」

 顔にブワッと血がのぼる。
 咄嗟に、彼女の反対側を見る。

(やっぱり、ダメだ。なぜか『祥ちゃん』は……)

 僕の顔面は今、間違いなく、呆れるほどだらしない顔になっているはずだ。
 こんなの、彼女本人にもそうだが、サークルの連中にも、絶対に見せられない。

「……『くん』とかの方がいいかも」

「えっ? ……『祥くん』?」

 不思議そうに聞き返される。

「うん……『ちゃん』付けは……他に誰もいない時ならいいよってことで……」

「……?」

 彼女は『何が違うんだろう?』と言いたげな顔で、少しキョトンとしていたが。
 深追いはせず「うん、わかった」と了承してくれた。
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