ふたつの弧が、重なるとき ~六年越しの両片思い。不器用なふたりが、東京で0センチメートルになるまで。~
 ◇

「え、ちょっと待って。整理させて」

 正人がジョッキをテーブルにドン、と音を立てて置いた。

 その勢いで中身が少しこぼれたが、彼は気にする様子もなく、僕と、目の前の彼女――森さんを交互に指差した。

「つまり、祥太郎と森さんは、福島の同じ中学出身。お互い同じ大学に入ったことも知らなかったのに、今日この東京のど真ん中、しかも同じサークルの新歓で再会したってこと?」

 彼女が小さく頷く。
 僕も烏龍茶を飲みながら答えた。
「……そうだな」

「すっげー! なにそれ! ドラマじゃん!」
 正人の大声に、隣のテーブルの学生たちが何事かとこちらを向く。
 森さんは少し居心地が悪そうに、手元のアイスティーのストローを触っている。

 もしかして、こういう場は、苦手なのかもしれない。
 それか、人見知り?
 いや、正人の声がでかすぎて驚いているのかも……。
「正人、声でかいぞ」

「すごーい! それって運命じゃない?」
 近くで話を聞いていた先輩たちの冷やかしに、森さんが慌てて手を振る。
「あ、本当に偶然で……!」
 その否定の仕方がやけに一生懸命で、僕は少しだけ胸がチクリとした。

 わかってる。彼女にとって僕は、ただの同級生Aに過ぎない。
 そこは、きちんとわきまえている。

「二人は接点あったの?」
 周囲の問いに、僕は喉の渇きを覚悟して口を開いた。
「いや、ほとんどなくて。森さんはなんていうか……有名だったから、俺は知ってたけど」

『ずっと目で追っていたから知っていた』という事実は、手元にあったキンキンに冷えた水と一緒に飲み込んだ。

 焦って汗をかいているのか、やけに喉が渇く。

 すると、森さんが顔を上げて僕を見た。
 透き通った瞳が、居酒屋の薄暗い照明の中で揺れている。

「……瀬川くんも、有名だったよ」
 予想外の言葉に、心臓が跳ねる。
「え?」
「地元でも話題になるくらい、すごいピッチャーだったし。……私、瀬川くんの練習、友達とよく見てたから」

 ドクン、と脈が耳の奥で鳴った。
(……本当に、見ていてくれたんだ)

 二度目に彼女と話したあの日。
 夕暮れの公園で、怪我をして絶望していた僕に、彼女は似たような言葉をかけてくれた。
 けれど、当時の僕はそれを「自分を励ますための彼女なりの精一杯の優しさ」、あるいは「ただの気休め」だと思い込もうとしていた。

 でも、今。彼女の言葉に宿る確かな実感に、僕は息を呑んだ。
 本当に、あの「高嶺の花」の視線の先に、泥だらけの僕がいたのか……。
 その事実に、今更ながら激しい動揺が押し寄せる。

「マジかよ祥太郎! お前、隅に置けねーな!」
 正人がニヤニヤしながら僕の肩をバシバシと叩く。痛い。
 けど、今はその痛みがありがたかった。
 でなければ、顔が熱くなっているのを悟られてしまいそうだったから。

「あ、でも!」
 森さんが慌てて付け加える。
「そういうんじゃなくて、なんていうか、尊敬……みたいな? ひとりで投げててすごいなって。……あ、ごめん、変なこと言っちゃった」
 シュン、と小さくなる彼女。

「ハハ! いずれにせよかっけーな祥太郎! あ、森さん。枝豆食べたら?」
 正人はカラッと笑いながら、さりげなく枝豆に話題をすり替えた。
「……うん。ありがとう」
 差し出された枝豆を、森さんがリスのように小さく口に運ぶ。

 その姿を見て、僕は改めてこの現実が信じられなかった。

 中学時代の彼女は、僕の中で「聖域」にいる存在だった。
 汗をかいても爽やか、笑顔は太陽、完璧な美少女。

 でも今、目の前にいる彼女は、人見知りで、焦ったりして、枝豆をもぐもぐと食べている。

(なんだか……)

 高嶺の花が、急に地面に降りてきたような。

 いや、違う。
 僕が勝手に偶像化していただけで、彼女も普通の女の子だったんだ。

 その事実に気づいた瞬間、緊張の糸がほんの少しだけ緩んだ。

 同時に、かつてとは違う種類の、もっと温かくて柔らかい感情が、胸の奥で芽吹き始めるのを感じた。

「……あ、俺も枝豆もらっていい?」
「あ、どうぞ。……美味しいよ、これ」
 森さんが皿を少しこちらへ押し出してくれる。

 一体これは、どういう状況なんだ。
 枝豆を噛みながら、混乱した頭を落ち着かせようと試みる。

 僕の人生に、突然、再び、彼女という光が現れた夜だった。
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