ふたつの弧が、重なるとき ――元エースピッチャーの彼と、走り高跳びの彼女。熱を持った六年越しの初恋を、不器用に重ね合わせていく。

第41話

 軽やかな雀の鳴き声が窓ガラス越しに優しく届き、目が覚める。
 ゆっくりと重い瞼を持ち上げると、カーテンの隙間から細く差し込む朝の光が、シーツの上に金色の線を引いていた。

 ベランダの窓を開けると、ひんやりとした空気が私の頬を撫でながら部屋に入り込み、カーテンがふわりと踊る。
 大きく深呼吸すると、秋の香りが全身に染み渡っていくような気がした。

 これまでと変わらないはずの景色が、私の瞳にはすべて別物かのように映る。

「……ふふ」

 昨日初めて見せてくれた、彼の表情や声。
 そして恋人としての、大きな手のひらや腕の力強さ。
 それらを思い出すと朝から幸せいっぱいで、思わず笑みがこぼれてしまった。

 ◇

 身支度を整え、爽やかな風が流れる外へ出た。

 大学の最寄り駅の改札を抜けると、秋晴れの高い空の下、すでに多くの学生たちが足早にキャンパスへと向かっている。

 コンコースのタイルの上を歩いていると、少し離れたところから聞き慣れた高い声が響いた。

「よ、し、えーー!」

 人波を縫うようにして駆け寄ってくるのは、いずみだ。
 私も「いずみっ!」と弾んだ声で応えて小走りで駆け寄り、二人で勢いよく抱き合った。

「改めて……おめでとうっ! ほんと、よかったねえ〜っ……!」

 私の背中に回した手で、ポンポンと撫でてくれるいずみ。

 実は、昨日の夜、祥ちゃんをマンションの下で見送ったあと家に帰ってスマホを見ると、いずみからメッセージが入っていることに気がついた。

『部屋出て行ったときなんか様子が変だったけど、具合とか悪かった?! 祥太郎くんがついて行ったっぽいから、大丈夫かな……?』

 必死に涙を堪えながら作業部屋を飛び出した私を見ていて、案じてくれていたのだ。

 私はすぐに返信した。

『抜けちゃってごめんね。ありがとう、具合は大丈夫。時間あるとき、ちょっと電話できる?』

 すると、まだ大学に残っていたいずみからすぐに着信があり、私は裏庭での出来事――告白したこと、両思いだったこと、そして付き合うことになったこと――を、つっかえつっかえしながら報告した。

『えええええーっ! 本当に!! 絶対両思いだと思ってはいたけど、超嬉しいっ!!』

 電話口で、まるで自分のことのように喜んでくれた彼女と、そのまま三十分近くも話し込んでしまった。


 今日は、朝からサークルの文化祭準備がある。
 昨日の電話だけでは到底話し足りなかった私たちは、指定された集合時間よりだいぶ早く待ち合わせて、お喋りしながらゆっくりと向かうことにしたのだ。

 銀杏並木を歩きながら、いずみがぷくっと頬を膨らませた。

「まさとんも昨日作業部屋にいたからさあ、一緒に喜びたかったけど……祥太郎くんから言うのかなあ、そのほうがいいかなあとか色々気になって、一旦我慢したんだけどさ。もう、まさとんと喋るたびに言いたすぎてムズムズしたよ……」

「ごめんね、気を遣わせちゃって」

「ううん! でも、まさとんには絶対『こいつ挙動不審だな』と思われてると思う……」

 いずみの気遣いに感謝しつつ、彼女が口をモゴモゴさせながら必死に秘密を守ろうとしている姿を想像して、私は「ふふっ」と吹き出してしまった。

「男の子同士って、仲良くてもそういう『付き合った報告』とかするのかなあ?」

 落ち葉を踏むカサッという音を聞きながら、私が呟く。

「まさとんなら絶対大騒ぎするだろうけど、祥太郎くんはどうだろうね? クールだからサラッと言いそう」

 いずみはそう言って笑った。


 盛り上がってはしゃいでいるうちに、作業部屋に到着した。

 まだ誰もいない、静かな空間。
 段ボールや絵の具に、木板や接着剤など、色んな匂いが混ざり合って残っている。

 二人で窓を開け、換気をしながら準備を始める。

「そういえば、今日は祥太郎くんたちはいつ来るの?」

 段ボールを組み立てながらいずみが聞いてきた。

「祥ちゃんと正人くんは、午前中はクラスの出し物の準備をして、午後にこっちへ来るらしいよ」

 私はそう答え、さらに「夕方からはファミレスのバイトだって」と付け加えた。

「おお〜。せっかく付き合った翌日なのに忙しいですねえ。来週から後期の授業も始まっちゃうし、どっかのタイミングでデート行けるといいねえ!」

『デート』――。

 いずみから出たその三文字がストンと落ちてきて、私に甘い期待を抱かせる。

 彼と二人で外を歩いたことは、何度かある。
 けれど、「付き合った後」に、改まって一緒に出かけるというのは、今までとはまったく違うものになるはずだ。
 そう考えると、段ボールを持つ手に思わず力が入るくらい、ワクワクとドキドキが止まらなくなってしまった。

 中学時代の、あの曖昧な彼氏との二度の「デート」らしきものを思い出す。
 映画館のロビーで集合して、映画を観て、終わった後は三十分くらい街を散歩した。
 その間も特にこれといった会話はなく、ただ隣を歩いただけ。
 映画の内容すら、あまり記憶にないのだ。

 でも、祥ちゃんとだったら。
 ただ並んで歩くだけで、どんな景色も特別に色づいて見える気がした。
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