ふたつの弧が、重なるとき ――元エースピッチャーの彼と、走り高跳びの彼女。熱を持った六年越しの初恋を、不器用に重ね合わせていく。
文化祭の夜、六年越しの軌跡が交わるとき
第43話
乾燥したビル風が、コンクリートの谷間を縫って吹き付ける。
厚手のカーディガンを羽織っていても、首元や袖口から容赦なく入り込んでくる冷気に、思わず肩がすくむ夜。
「うう……東京の秋って、こんな寒いの? 今からこんなんじゃ、私、冬になったら凍っちゃうよ……」
南国育ちのいずみが、もこもこしたパーカーのフードを被りながら、弱音を吐く。
いよいよ明日から文化祭。
キャンパスで最終日の準備を終えた私たちは、近くの居酒屋へ向かっている。
サークルでの決起会が予定されているのだ。
私の前にはいずみと正人くん、そして隣には祥ちゃんがいる。
「今年の秋は、例年より寒いんだとさー」
正人くんが、自分のベージュのキャップを指でくるくると回しながら「今朝、テレビで言ってた」と教えてくれた。
「北国育ちの美絵と祥太郎くんは、全然へっちゃらな感じ?」
いずみが身震いしながら振り向いた。
東京の寒さは、体の芯からじんわり冷える地元とは違い、肌の表面が直接刺激されるように感じる。
唇や手の甲がすぐにカサカサして痛くなるので、クリームを常に持ち歩いている。
「うーん。福島と東京の寒さって、また違った厳しさがある気がしない? 祥ちゃん」
「あ、わかる」
『祥ちゃん』
これは、私だけの特別な呼び名。
付き合う前は、彼の希望で『祥くん』にしていた。
後から理由を聞いたら、『祥ちゃん』はどうしても顔が緩むから……ということだったらしい。
恋人になった今は、照れながらも受け入れてくれていて、彼に甘えるようにそう呼びかけるのが心地いい。
◇
お店に着き、狭くて急な階段を上りきる。
和風の重たい引き戸を開けた瞬間、風で冷えた体が急激に温まった。
「いやー! 準備お疲れー!」
「買い出し忘れ、なさそう!?」
サークルのメンバーがわらわらと集まってきて、乾杯の時を今か今かと待ちわびていた。
店内はすでに、イベント前特有の興奮と期待で満ちている。
香ばしく焦げた焼き鳥のタレの匂いと、お酒の甘苦い香り。
おそらく同じ大学の、別のサークルと思われる人たちも何組かおり、数十人の学生が発する熱がもわっと頬を撫でた。
「いやー、無事に準備終わってよかったねー!」
いずみがホッとしたように言いながら、奥の座敷席へと進んでいく。
私たちは、すでに着席している先輩や同期たちと挨拶を交わしながら、空いていた四人分のスペースへと腰を下ろした。
「美絵、荷物こっちに置く?」
隣に座った祥ちゃんが、私の抱えていた少し大きめのトートバッグを見て、座布団の脇のスペースを指差した。
「うん、ありがと。祥ちゃんの上着も重ねちゃっていいから」
「ん、わかった」
やりとり自体はごく自然で、何気ないものだったと思う。
けれど、ふと視線を感じて顔を上げると、向かいに座る三年生の先輩たちが、あからさまにニヤニヤしながら怪しむような目でこちらを見ている。
そして、先に配膳されたお通しの小鉢を手に持ちながら、「ねえねえねえ」と身を乗り出してきた。
「最近ずっと気になってたんだけどさ……祥太郎と美絵ちゃん、もしかして付き合ってたり?」
ピタリ、と。
私たちの周りだけ、音が止まったような気がした。
いずみと正人くんが「あっ」と息を呑む姿を、視界の端に感じる。
隠すつもりはなかったけれど、こんなに唐突に、しかも大勢のいる前で聞かれるとは思っていなかった。
何て答えよう……と、膝の上に置いた手に緊張が走った時。
「……はい。付き合ってます」
隣から、控えめだけれど迷いのない声がまっすぐに落ちた。
祥ちゃんは、照れくさそうにしながらも、しっかりと頷いていた。
「うおおおおおっ!! マジか!!」
「やっぱりなあ?!」
「おめでとうーーっ!!」
先輩の歓声を皮切りに、周囲のメンバーがドッと沸いた。
囃し立てる声と、バンバンとテーブルを叩く音で、座敷のボルテージが一気に跳ね上がる。
恥ずかしくて小さくなる私に向かって、いずみが「いえ〜い!これで公式〜!」と言いながらピースサインを見せる。
お祭り騒ぎの中、熱くなった頬を両手で冷ます。
ふと視線を上げたら、数席奥でこちらの盛り上がりに目を丸くしている真希さんに気づいた。
「なになに? 何の話ー?」
不思議そうに、隣にいる同期の先輩に尋ねている。
「祥くんと美絵ちゃん、付き合ったんだって!」
それを聞いた瞬間。
真希さんの明るい笑顔が、ほんのわずかに凍りついたように見えた。
「……え! そうなんだ……!」
すぐにいつものようにカラッと笑って、こちらに向かって「おめでとー!」と手を振ってくれたけれど。
その瞳の奥に、隠しきれない動揺が滲んでいるのを、私は見逃さなかった。
胸の奥が、チクリと痛む。
(……やっぱり、真希さんは祥ちゃんのことを……)
彼女の想いを確信してしまい、目を伏せた。
厚手のカーディガンを羽織っていても、首元や袖口から容赦なく入り込んでくる冷気に、思わず肩がすくむ夜。
「うう……東京の秋って、こんな寒いの? 今からこんなんじゃ、私、冬になったら凍っちゃうよ……」
南国育ちのいずみが、もこもこしたパーカーのフードを被りながら、弱音を吐く。
いよいよ明日から文化祭。
キャンパスで最終日の準備を終えた私たちは、近くの居酒屋へ向かっている。
サークルでの決起会が予定されているのだ。
私の前にはいずみと正人くん、そして隣には祥ちゃんがいる。
「今年の秋は、例年より寒いんだとさー」
正人くんが、自分のベージュのキャップを指でくるくると回しながら「今朝、テレビで言ってた」と教えてくれた。
「北国育ちの美絵と祥太郎くんは、全然へっちゃらな感じ?」
いずみが身震いしながら振り向いた。
東京の寒さは、体の芯からじんわり冷える地元とは違い、肌の表面が直接刺激されるように感じる。
唇や手の甲がすぐにカサカサして痛くなるので、クリームを常に持ち歩いている。
「うーん。福島と東京の寒さって、また違った厳しさがある気がしない? 祥ちゃん」
「あ、わかる」
『祥ちゃん』
これは、私だけの特別な呼び名。
付き合う前は、彼の希望で『祥くん』にしていた。
後から理由を聞いたら、『祥ちゃん』はどうしても顔が緩むから……ということだったらしい。
恋人になった今は、照れながらも受け入れてくれていて、彼に甘えるようにそう呼びかけるのが心地いい。
◇
お店に着き、狭くて急な階段を上りきる。
和風の重たい引き戸を開けた瞬間、風で冷えた体が急激に温まった。
「いやー! 準備お疲れー!」
「買い出し忘れ、なさそう!?」
サークルのメンバーがわらわらと集まってきて、乾杯の時を今か今かと待ちわびていた。
店内はすでに、イベント前特有の興奮と期待で満ちている。
香ばしく焦げた焼き鳥のタレの匂いと、お酒の甘苦い香り。
おそらく同じ大学の、別のサークルと思われる人たちも何組かおり、数十人の学生が発する熱がもわっと頬を撫でた。
「いやー、無事に準備終わってよかったねー!」
いずみがホッとしたように言いながら、奥の座敷席へと進んでいく。
私たちは、すでに着席している先輩や同期たちと挨拶を交わしながら、空いていた四人分のスペースへと腰を下ろした。
「美絵、荷物こっちに置く?」
隣に座った祥ちゃんが、私の抱えていた少し大きめのトートバッグを見て、座布団の脇のスペースを指差した。
「うん、ありがと。祥ちゃんの上着も重ねちゃっていいから」
「ん、わかった」
やりとり自体はごく自然で、何気ないものだったと思う。
けれど、ふと視線を感じて顔を上げると、向かいに座る三年生の先輩たちが、あからさまにニヤニヤしながら怪しむような目でこちらを見ている。
そして、先に配膳されたお通しの小鉢を手に持ちながら、「ねえねえねえ」と身を乗り出してきた。
「最近ずっと気になってたんだけどさ……祥太郎と美絵ちゃん、もしかして付き合ってたり?」
ピタリ、と。
私たちの周りだけ、音が止まったような気がした。
いずみと正人くんが「あっ」と息を呑む姿を、視界の端に感じる。
隠すつもりはなかったけれど、こんなに唐突に、しかも大勢のいる前で聞かれるとは思っていなかった。
何て答えよう……と、膝の上に置いた手に緊張が走った時。
「……はい。付き合ってます」
隣から、控えめだけれど迷いのない声がまっすぐに落ちた。
祥ちゃんは、照れくさそうにしながらも、しっかりと頷いていた。
「うおおおおおっ!! マジか!!」
「やっぱりなあ?!」
「おめでとうーーっ!!」
先輩の歓声を皮切りに、周囲のメンバーがドッと沸いた。
囃し立てる声と、バンバンとテーブルを叩く音で、座敷のボルテージが一気に跳ね上がる。
恥ずかしくて小さくなる私に向かって、いずみが「いえ〜い!これで公式〜!」と言いながらピースサインを見せる。
お祭り騒ぎの中、熱くなった頬を両手で冷ます。
ふと視線を上げたら、数席奥でこちらの盛り上がりに目を丸くしている真希さんに気づいた。
「なになに? 何の話ー?」
不思議そうに、隣にいる同期の先輩に尋ねている。
「祥くんと美絵ちゃん、付き合ったんだって!」
それを聞いた瞬間。
真希さんの明るい笑顔が、ほんのわずかに凍りついたように見えた。
「……え! そうなんだ……!」
すぐにいつものようにカラッと笑って、こちらに向かって「おめでとー!」と手を振ってくれたけれど。
その瞳の奥に、隠しきれない動揺が滲んでいるのを、私は見逃さなかった。
胸の奥が、チクリと痛む。
(……やっぱり、真希さんは祥ちゃんのことを……)
彼女の想いを確信してしまい、目を伏せた。