ふたつの弧が、重なるとき ~六年越しの両片思い。不器用なふたりが、東京で0センチメートルになるまで。~

第44話

 洗面所の鏡に向かい、いつもより少しだけ丁寧にビューラーでまつ毛を上げる。
 ほんのりと色づくコーラルのリップを唇に乗せると、ピーチの甘い香りが鼻先をかすめた。

「よし。こんなもんでいいかな?」
 鏡の中の自分に小さく頷いた、その時。
 洗面台の横に置いていたスマートフォンが、ブブッと短く震えた。

 画面に光る『祥ちゃん』の文字。すぐにスマホを手に取る。

『おはよ。学校着いた』

『おはよう、早いね!私も今から出る。あとで会おうね』
 すぐに返信を送った。

 祥ちゃんは、午前中はクラスのボーリングブースの当番らしい。
 私はいずみ、先輩二人と一緒に、お昼前からサークルの鈴カステラ屋台のシフトに入ることになっている。

 身支度を終え、玄関のドアを開けると、抜けるような青空が広がっていた。
 頬を撫でる風はひんやりとしているけれど、日差しの下に出ると背中がじんわりと温かい。
 絶好の、文化祭日和だ。

 ◇

 大学の講義棟の裏手にあるサークルの部室は、普段の埃っぽい古本の匂いに加え、今日はヘアスプレーの甘い匂いや、真新しい布の匂いが充満していた。

「じゃじゃーん! どう、美絵? おかしくないかな?」
 振り返ったいずみの姿に、私は目を丸くした。
 黄色と青を基調とした、ノースリーブにミニスカートのチアリーディングの衣装。両手にはキラキラと光を反射するポンポンが握られている。

「えっ、めちゃくちゃ可愛い! すごく似合ってる!」
 私が手放しで絶賛すると、いずみは「ほんとー?!」と顔を綻ばせシャカシャカとポンポンを鳴らしながら、チア特有のキレのあるポーズを取ってふざけてみせた。

 けれど、ふいにその動きを止め、大きなポンポンで口元をすっぽりと隠すようにして、上目遣いで私を見た。
「あのさ、美絵。……実はね」

「ん?」
「……バイト先の、二つ上の先輩が気になってて。他大なんだけど。今日、文化祭に遊びに来てくれるらしいんだよね」
「えっ! 気になる人?!」
 予想外の告白に、私は思わず声を張り上げてしまった。
「もっと早く教えてよ〜! どんな人なの?」
 私が身を乗り出すと、いずみはポンポンの陰から照れくさそうに笑った。
「ごめーん! 気になるかもって自覚したの、ここ数日なんだよね。……だからさ、これからたくさん相談させてね、『先輩』?」
 肩にもたれかかりながら甘えてくるいずみに、私は苦笑して胸を張った。
「……恋愛超初心者の私ですが、よかったら喜んで」

 私もつい最近、自分の気持ちに気づいて、オロオロといずみに泣きついていたばかりだ。
 そんな彼女の恋を応援できるのは、素直に嬉しい。

「美絵のそのユニフォームも可愛いっ!」
 いずみの視線につられ、私は自分の服装を見下ろした。

 実家の母に頼んで送ってもらった、中学時代の陸上部のユニフォーム。
 上下ともに深いえんじ色で、白の英字で学校名が書かれている。

 上はノースリーブのタンクトップ。
下はさすがに走り高跳び用のミニ丈のハーフパンツは恥ずかしくて履けないので、冬のランニング練習などで使っていた七分丈のズボンを合わせた。
 素肌に触れるポリエステル特有のサラサラとした軽い生地が、当時の記憶を呼び覚ます。

「……うん。でも、これだけだとさすがに寒くて」
 私はオフホワイトのパーカーをすっぽりと羽織り、前のジッパーを半分まで上げた。

 中学生の頃は、冬の寒空の下でもこの薄着でグラウンドを走り回っていたのに。
 今では、秋風が少し触れただけで肌寒さを感じてしまう。

「今日があたたかくてお互い助かったねー」
 いずみと笑い合いながら、私はパーカーのポケットに両手を突っ込んだ。
< 77 / 121 >

この作品をシェア

pagetop