第3部 夜明けが世界を染めるころ、悪意の見える伯爵令嬢は王子の執着から逃れられない
……それなのに。

「セナ、その手」

弱々しい声で、そう言われた。

「……豆、潰れてる」

なぜ、そんなところに気づくのだろう。

自分の方が、熱も出して辛いはずなのに。
どうして、他人の手の傷なんて――

「これくらい、大丈夫です」

そう答えると、少しだけ困ったように眉を下げられた。

「だめだよ。大事な手だよ」

胸の奥が、静かに締めつけられた。

数日後。
少し元気を取り戻したお嬢様が、訓練場まで足を運んできた。

「セナの剣、きれいだね」

その一言が、思いのほか深く胸に残った。

技でも、強さでもない。
ただ“きれいだ”と言ってくれたことが、ひどく嬉しかった。

しばらく話しているうちに、顔色少し悪くなってきて。

帰り道、ふらついたお嬢様を背負った。

……軽すぎた。

思わず息を呑むほど、驚くほどに。

これほど細い身体で、
あれほどの力を使ったのかと思うと、胸が痛んだ。

途中でディランと合流し、交代することになった。

当然の判断だ。

ディランのほうが、立場も、責任もある。

それでも――
背中から伝わっていた温もりが離れた瞬間、
言葉にできない無力感が胸を満たした。

守りたいと思っても、
最後にその役目を担うのは自分ではない。

その事実を、静かに突きつけられた気がした。

けれど。

お嬢様は、少しずつ元気を取り戻している。

それだけで――
今は、十分だ。
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