恋は手のひらの上で
─────あ、たぶん今、私も同じ顔してる。


心臓が一回、大きく鳴った。

「お待たせしました」

そう言われて、私は慌てて立ち上がる。

「いえ、大丈夫です」

なるべく普通に答えた。
普通に、普通に。言い聞かせる。

でもたぶん、少しだけ顔が熱い。


椎名さんは入館証を軽く見てから「こちらです」と言った。

でも、すぐには歩き出さない。
ほんの一瞬だけ、私の顔を見る。

目が合う。
まるで、体調を確かめるみたいに。

その視線が少しだけやわらぐ。

…ああ。

なんとなく、彼の視線の意味を察する。
大丈夫そう、って思われたのかもしれない。


それから椎名さんは小さくうなずいて、歩き出した。
私は急いでその後を追う。

廊下に出ると、自然と少しだけ距離ができた。

ここは椎名さんの会社だ。
私は取引先の人間。

だから、なんとなく半歩だけ、後ろを歩く。

すると、ふと椎名さんが立ち止まって、こちらを見ていた。

「どうぞ」

ひとことだけ言って、ほんの少し歩く位置を空ける。
まるで最初から、そこが私の場所だったみたいに。


私は少しだけ戸惑いながら、その横に並んだ。

─────嬉しい。

理由はよく分からないけど。
胸の奥が、少しだけあたたかくなる。

この会社では、この人がいないと私は迷子になる。

…たぶん、会社じゃなくても。



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