追う恋はもうしたくない恋愛弱者の私、釣り合うはずのない敏腕ハイスペ社長に追われています
 気が緩めば、次に緩むのは口だ。
 妙に浮かれた意識が、勝手に私の唇を開かせる。

「新婚、っぽくないですか。こういうの」

 最後の一枚、皿の泡を流していた鵜ノ崎さんの手が、ひたりと動きを止めた。
 ぴくりとも動かなくなった大きな手と、すでに泡の残っていない皿を、水がびしゃびしゃと打ち続ける。

 そのときになってから、私はようやく自分が零したひと言が失言だった可能性に思い至った。

「あの、今の、やっぱりなしで、」

 たどたどしく切り出したそのとき、鵜ノ崎さんがやっと水を止めた。
 皿を水切り台に置いた後、タオルで手を拭いてから私に向き直った彼が、心なしか怖い顔に見えたせいで、ぎょっとする。

「あのな、柊木」

 はい、と返事をするよりも早く、ひと息に距離を詰められる。
 間仕切りのないキッチンを、短い廊下の側から覗き込んでいた私は、圧に負けて数歩後ずさった。背はすぐさま壁に当たり、その瞬間、頭を囲うようにして鵜ノ崎さんの両腕が壁を突く。

 見下ろしてくる視線が、直に肌を撫でている。そういう錯覚に囚われる。
 先日、玄関で向けられた目と同じだ。喉を鳴らしながら、私はなんとか返事を口にする。
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