追う恋はもうしたくない恋愛弱者の私、釣り合うはずのない敏腕ハイスペ社長に追われています
「うん、いいな。可愛い」

 試着室を出るなり、鵜ノ崎さんが笑ってそう口にする。
 店員さんが隣にいるのに、遠慮も悪びれる様子も一切ない。たちまち強烈な照れが襲ってくる。

「あ、ありがと、ございます……」

 細い声で、それもたどたどしく返す。
 隣まで歩み寄ってきた鵜ノ崎さんは、私の耳元へ唇を寄せてそっと囁いた。

「もう少し自然にできるといいかも」
「す、すみません。緊張してしまって」

 他人の目がある場所ではもう少し自然に、という意味なのだろう。
 でも私は、自然ってどんな感じだったっけ、と完全に自分のペースを見失っていた。

 なぜなら、今日のこれは明らかに仕事ではないからだ。

 恋人を演じたお礼で貸切クルーズ船デート……庶民とは発想もやることもまるで違う。
 祖父の代からオーナーと懇意にしていて、などといろいろ詳しく教えてもらった事情も、なかなか頭に入ってこなかった。

 十月初旬、残暑もようやく鳴りを潜めてきて、今日は朝からまばゆいばかりに晴れた空が広がっていた。
 ワンピースの試着をしていたクルーズウエディング用のサロンを後にして、船着き場へ移動し、チャーターされていた船に乗り込んだ。エスコートされ、履き慣れない靴でタラップを渡り、船内へ進んでいく。
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