鷹宮先輩、ズルいです 〜泣き顔を拾われたら、極甘上司に溺愛されました〜

第12話 無自覚な囲い込みの理由

あれから暫くして、鷹宮先輩はプロジェクトの関係もあり、残業の日々。
 
あたしもプロジェクトのサポートと年末進行で、少し残業が増えていた。

「葵ちゃん、ありがとう」

「ううん、あたしで良ければ、役に立ててよかったよ」

あたしのデスクにやってきた南実くんが、資料を差し出す。

「真鍋さんが、会議中だから……ほんと助かった」

南実くんは、営業部で真鍋さんの後輩。
 
(……南実くんも、モテるんだろうけど)

チラッと、南実くんの想い人が、いつも座って仕事をしている机へ視線を移す。
 
「雪乃先輩も、真鍋さんと同じ会議だもんね」
 
「……んんっ……違うからね?葵ちゃんっ」

咳払いで誤魔化しながら、視線が泳ぐ。
 
「まだ何も言ってないよ」
 
少し動揺を見せるも、なんとか平静を取り繕うとする南実くん。
あたしは、そんなかわいい同期の一面に癒されながら、ふと思う。

(鷹宮先輩……休憩出来てるかな)

無用の心配とは分かっていても、休めているか気になってしまった。  

*** 

会議室を出た瞬間、張り詰めていた空気がふっと緩んだ。
  
「はぁ〜、さすがに頭使ったわね。お疲れ、璋」
 
俺に続いて、雪乃が肩を回しながら出てきた。 
続いて和巳もポキッと、首を揺らす。

「二人に確認したいことがあるから、向こうに移動しよう」

休憩室を経由して、小ブースに移動する。  
その視界の先で、ちょうどこちらに向かって歩いてくる影があった。
 
松原南実。
その隣に――葵。
無意識に、歩く速度が落ちた。
 
「……あ」
 
先に気づいたんは、葵。
小さく息を飲んで、立ち止まる。
 
「お疲れさまです、鷹宮主任。雪乃先輩に、真鍋さんも」
 
「お疲れ」
 
短く返す。
それ以上、何も言わんつもりやった。
 
「お疲れさまです」
 
葵に続いて松原が、少し緊張した面持ちで頭を下げた。

「松原ー、鷹宮と八千草とで少し話すから、もうちょい離席中な」
 
「わかりました、じゃ、戻り次第ペンディングの件、確認お願いします」
 
和巳が「了解」と言い、葵と松原は軽く会釈して立ち去る。
それで終わるはずやった。
 
二人の会話が飛び込んでくるまでは。
  
「葵ちゃん、さっきのお礼、コーヒーでいいの?」
 
「うん、大丈夫だよ、ありがとう」
 
――その距離。
――その声の柔らかさ。
 
胸の奥で、何かが小さく引っかかった。
 
(……仕事や)
 
自分に言い聞かせる。
葵にも「仕事中は、仕事中」て言うたくせに。
ここは会社、私情を挟む場所やない。
 
特別、何かあったわけでもない。
……はずやのに。 

(げっ………………)
 
後ろから、何か言いたげな視線を感じて、我にかえる。
雪乃が怖いくらいの笑みで言う。
  
「鷹宮主任、小ブースへ参りましょう?」

「……あぁ」
 
小ブースに入って、テーブルの上に資料を広げる。
とにかく、仕事や。
余計なことを突っ込まれる前に。
 
「で、さっき言ってた確認って?」
 
和巳が椅子に腰掛けながら聞いてくる。
 
「ああ。次の会議用の資料だけど、数字の整合性が気になって……」

次回用の資料を二冊出して、ページをめくりながら説明を続ける。
 
「……あ、これか」
 
雪乃が、ふと指を止めた。
和巳も気づいたようで、修正箇所に赤ペンで印をつけていく。

内容の擦り合わせも終わったところで、和巳が資料を軽快にめくる。

「この資料、なかなかの出来だな」
  
何も考えずに、口が動く。
 
「それ、葵がやってる」
 
「……へぇ」

和巳の答えに、雪乃が資料を軽く叩く。
 
「あたしの、可愛いくて優秀な自慢の後輩、だからね、ほーりーは」

雪乃の主張が何となく気に食わない。
俺も、葵の頑張り屋なとこは知ってるしな。
もちろん、優秀さも。 
   
「数字のまとめ方、前よりずっと良くなってるし」
 
「「うん」」
 
「営業側の意図もちゃんと汲んでるし、無理ない構成や」

「「うん」」

「正直、葵もサポート入って助かってる」
 
言い切ってから、
ブースの中が、しんと静まった。
 
和巳が、ゆっくりペンを置く。
雪乃は、資料から顔を上げずに言った。
 
「主任」
 
やけに丁寧な呼び方。
 
「今、名前呼び……しかも連呼してたの気付いてます?」

「……は?」
 
思わず、間の抜けた声が出た。
 
「お前、堀川のこと、葵って名前で呼んでるぞ」
 
和巳が、淡々と事実だけを投げてくる。
 
「……いや、それは」
 
咄嗟に否定しようとして、言葉に詰まる。
  
雪乃が、やっと資料から顔を上げた。
表情は、今日イチで笑いを堪えて……いや堪えきれてへん。
口が小刻みに震えてるし。
 
「あはははっ、璋、無自覚こわっ!」
 
「……」
 
「主任が、後輩の下の名前を、しかも自然に呼ぶ」
 
一拍置いて、続ける。
 
「しかも「今さら気づいてない顔」!」
 
和巳が、くっと口角を上げた。
 
「これ、初回じゃないだろ」
 
「……」
 
今までの自分の行動を、振り返ってみる。

(は?……俺……葵ゆうてる?)
 
和巳は肩をすくめる。
 
「無意識って、一番タチ悪いんだよな」
 
雪乃が、「そうそう」とふっと小さく息を吐いた。
 
「……気付かんかった」

「「んな訳あるか」」
 
二人から直ぐ様、突っ込まれた。
ほんま、こいつら息ピッタリすぎて嫌んなるわ。 
雪乃が、真面目な顔で言う。

「璋の中で、ほーりーはただの後輩?それとも部下?」
 
「しかも」
 
和巳が、淡々と追撃する。
 
「成果じゃなくて『過程』を褒めてる。……それ、一挙手一投足、愛でてるって言うんだぞ」
 
「……」
 
「それ、完全に「よく見てる側」の評価な」
 
胸の奥が、じわっと熱くなる。
 
「……見てるに決まってるやろ」
 
雪乃が少しだけ声を落として、にやりとする。
 
「でも“葵だけ”温度高いのよ」
 
正直、雪乃の言葉が、耳に入らなかった。

(会社で呼んでるとか、気ぃ揺るんでるで俺……)
 
雪乃は、小さくニヤついた声で言う。
 
「はい、自爆」
 
和巳も、短く頷く。
 
「無自覚囲い込み、確定」
 
「待て」
 
思わず言う。
 
「……何やねん、その物騒な認定」

「いろいろあって、放っとかれへんやろ」
   
雪乃が、資料を閉じて、にっこり笑う。
 
「璋」
 
「会社では我慢してるだけ、って顔してるわよ」
  
その一言が、妙に胸の奥に刺さった。
 
(我慢……?何のやねん)
 
瞬間、頭を過るのは、さっき見た、
松原と並んで歩く葵の後ろ姿。
  
「お前、堀川が他の男と喋ってる時、無意識に額にシワ寄せ過ぎてるぞ」
 
和巳が、静かに言った。
続けて雪乃が、最後に一言。
 
「もう遅いけどね~」
 
そう言って、二人は立ち上がった。
 
「さ、コーヒー飲みに行こ。今度は「仕事の顔」でね、主任」
 
残された俺は、資料を見つめたまま、動かれへんかった。
いろんな想いが感情を刺激して、思考が追い付かへん。 

(上司と部下……もしくは、先輩と後輩やろ)

それ以上、何があるねん。
   
でも。
 
――ほっとかれへんし、甘やかしたい
という感情だけは、
もう、はっきりしていた。

***

キッチンから、湯の沸く音がしている。
ソファでは、葵がクッションを抱えてスマホを見ていた。
 
「……葵」
 
――あ。
口に出した瞬間、
俺の中で、何かが引っかかった。
 
(あかん)
 
昼間の和巳と雪乃の声が、脳内でリフレインする。
 
『はい、自爆』
 
『無自覚囲い込み、確定』
 
『会社では我慢してるだけって顔してるわよ』
 
俺は、雑念を振り払うように、一度咳払いをした。 
葵が不思議そうに顔を上げる。
 
「?」
 
「えーと……」
 
一瞬、言葉を探す沈黙。
 
「……堀川……」
 
言えた。
――はずやのに。
 
葵が、ほんの少しだけ目を瞬かせた。
 
「はい、どうかしましたか?」
 
たったそれだけなのに。
胸の奥が、妙にざわついた。
 
(……なんやこれ)
 
自分で距離を取ったはずなのに、
急に、遠くなった気がする。

耐えきれなくなって、俺はローテーブルにマグカップを置いた。
 
「……やっぱ、ちゃうわ」
 
「え?」
 
「呼びにくい」
 
「は?」
 
混乱する葵を前に、俺は少しだけ眉を寄せる。
 
「今さら「堀川ちゃん」は、変やろ」
 
「そ、そうですか……?」
 
葵はどう返答したらええか、困ったように笑う。
その顔を見た瞬間、なんか完全に負けた。
 
「……葵」
  
その名前を呼んだ瞬間、
やけに、しっくりきた。
 
――前から、そう呼んでたみたいに。
 
​「……呼び方、変えなくていいですよ?」
 
​葵が、きょとんとした瞳から、ふっと柔らかく笑った。

(……ああ、もう降参や)
   
トドメの一撃とはこのことやな。
俺は溜息をつき、逃げるように髪をぐしゃりとかき混ぜた。
 
​「……せやな」
 
認めたくない。
でも、認めざるを得なかった。
おかしくなってきたこの距離感を、もう誤魔化せへん。
  
「今さら……やな」

気を取り直して、もう一度「葵」と呼ぶ。

「今度の日曜日、買い物付き合って」

「いいんですかっ!?」

「葵チャン、いいんですか?やなくて俺が連れて行きたいねん」

遠慮がちやけど、「はい」と頷いた葵の瞳には、期待の色が滲んでいた。
 
「素直でよろしい、ほな決定」

嬉しそうにきゅっと小さく笑う葵。       

「……ほんま、なんやねん」 
 
葵のあの顔見てたら、葛藤していたことがどうでも良くなった。

――呼び捨てをやめようとして、
逆に、その名前を呼ぶたびに喉の奥が熱くなる地獄。
この夜、俺は、はっきり理解する。
 
呼び方ひとつで、甘やかしたい距離はごまかせへん。
そして何より。
自分が、それを守っていたいことを。

***

約束の日曜日。
あたしは洗面所の鏡と、にらめっこ中。
セミロングの髪を、どうアレンジしようか。 

(ハーフアップにしたけど……ポニテかな……それともおだんご?)

「何おもろい顔してんねん」

「ひゃぁっ……!」
 
ダークグレーのタートルネックにあわせたジーンズ。 
鷹宮先輩がラフな格好で、いつものように腕を組みながら寄りかかっていた。

「俺は、今のやつに1票」

ニヤリと笑いながら、去っていった。

(……っ!違うから、鷹宮先輩に言われたとかじゃないから!)
 
なのに、胸の奥が少しだけ色めき立つ。
火照る顔を抑えつつ、少しだけ嬉しくなったあたしがいた。
   
***

ショッピングモールの入口を抜けた瞬間、ざわりとした熱気と声の波に包まれる。
カートを押している家族。
腕を組んで歩くカップル。 
  
「……多いな」
 
鷹宮先輩が小さく呟く。
あたしはその背中を見上げて、頷いた。
 
「日曜日ですもんね」
 
言い終わる前に、人の流れがぐっと押し寄せてきた。
 
「あっ……」
 
足を止める間もなく、次の瞬間。
 
「こっち」
 
短い声と一緒に、手首を引かれた。
 
驚くより先に大きな手が、あたしの手を包む。
指先じゃない。
手首でもない。
手のひらごと、当たり前みたいに。

からかいの色を浮かべた瞳が、一瞬だけあたしを捉える。
  
「迷子になったら困るやろ」
 
「……俺が」
 
至極当然のように、指のすき間から鷹宮先輩の指が滑り込んでくる。  
いつもなら反論できる唇も、今は動かせない。
 
人混みを縫うように進む背中。
でも、あたしのことを考えてる歩調。 
そして、離れる気配がない繋がれた手。
 
(……これ)
 
心臓が、変な跳ね方をする。
彼女じゃない。
デートとも言われてない。
 
なのに。
 
(……完全に、彼氏みたいな距離)
 
気づけば、引かれるまま歩くのが、少しだけ心地良くなっていた。
 
「……あ、あの」
 
勇気を出して声をかけると、鷹宮先輩がちらりと振り返る。
 
「もう……大丈夫です、迷子になりませんし」
 
そう言っても、手は離れない。
 
「せやな」
 
あっさり言ったくせに。
 
「ほっとかれへんちゃう。……離したくないねん」
 
そのまま、自然にエスカレーターへ乗る。
手を繋いだまま。
 
降りた先で、ようやく人の流れが落ち着いた。
鷹宮先輩は、何事もなかったように手を離す。
 
――離す、のに。
さっきより、近い。
離れたはずの手の熱が、指に残っていた。
あたしは、空いた手を握りしめてしまう。 
  
「次、あっちな」
 
指差した方向を見ると、今度は、肩に軽く手を置かれた。
距離は、変わってない。
 
(……どうかしてる)
 
胸の奥が、じわっと熱い。
きっと鷹宮先輩にとっては、何でもない事なのかもしれない。
 
でもあたしにとっては、この甘さから、もう逃げられない気がした。

――そしてこのあと、
あたしは、もう戻れなくなる。
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