ひかるくんには何でも見えている

地獄耳の美沙




 わたしは耳が良いんだ、という自覚は幼稚園の頃からあった。


 遠くで大きな音がしたのに、自分以外の誰も反応してなかったり。
 テレビから急にキーンという音がして(モスキート音というらしい)、自分だけびっくりしたり。


 そういうことが何度もあって、それを話すたびに『美沙ちゃんは耳が良いのね』と周りから言われると、いつしか自分からそれを得意げになって言うようになっていった。
 実際、他に特技があるわけでもないわたしにとって、耳の良さは自慢だった。



 でも。


 普通の人は聞こえないようなひそひそ話でも聞こえてしまうということは、他人が隠しておきたいことも勝手に知ってしまうということで。



「えー全然聞こえなかったなー……あ、おばさん、血大丈夫? ハンカチ貸すよ?」


 例えばこの無邪気な七海ちゃんが、ぶつぶつと店のお客さんへの不満をつぶやいてるのも聞いちゃったし。
 その七海ちゃんに手当てされてる肉屋のおばさんも、最近旦那さんとけんか中らしい。


 2人とも、表ではそんなことまるで態度に出さないのに、だ。



 まあ当たり前だ。誰しも人に隠しておきたいことはある。
 けど幼い頃のわたしは、そのへんの区別がついていなかった。



「美沙ちゃん……知ってたのなら、どうしてそのこと話しちゃったの?」
「ねえ、お願い! 美沙ちゃん、絶対に黙ってて!」


 そう言って泣く友だちの顔が頭をよぎる。



 だから、今みたいに絶対に他人の役に立つときにだけ、自分の聴力を使って行動する。
 耳の良さも、変に隠すようなことはしないけど、自分から自慢するようなこともしない。


 と、決めたのだ。
 ……まあ、小学校から一緒だった子は、とっくにわたしのことは知ってるのだけど。



 それに、よく聞こえるというのも良いことばかりじゃない。



「あら、事故?」
「大丈夫かしら」
「七海ちゃん! どうしたの?」
「やっぱり、彼女が……」
 ピーポーピーポー…………



 こんな感じに、今もいろんな音が勝手に入ってくる。
 わたしの頭は、休まるヒマがないのだ。


 おっと、今聞こえてきた音は。
「七海ちゃん、救急車来たよ」
「え? まだ全然見えないけど? ……あっ、もしかして、また音が聞こえたんだ!」
「ああ……そうね」
「本当に、あなた耳が良いのね。ありがとう」


 と、壁にもたれかかったおばさんから軽く頭を下げられた。



 良いことばかりじゃないけど、この能力で人の役に立てるのなら、悪い気はしない。



「なるほど、彼女の名前は……」
 ……ところで。

 さっきから、おばさんや七海ちゃんの心配をするでもなく、遠くから聞こえ続けているこの声は、いったい誰なの……?



 ***



「それでね! 美沙ちゃんがバッとトラックの前に飛び出してね!」
 教室でも、七海ちゃんは無邪気でおしゃべりだ。


 授業と授業の間の少しの休み時間で、今朝の一部始終をクラスメイトの女子たちにしゃべってる。



「うんうん。美沙ちゃんが自転車の音も救急車の音も全部聞いてわかったんだって!」
「あー、美沙ちゃん、本当になんでも聞いちゃうから」
「そうそう。『地獄耳の美沙』」


 得意げに答えてるのは、わたしと同じ小学校の子。
 もう、その呼び名はやめてほしいのに。


「だから七海ちゃんも気をつけたほうが良いよ。美沙ちゃんには秘密は通じないから」
「店の秘伝のメニューとかも、うっかりしゃべらないほうが良いね」

「いやそんな大げさな秘伝なんかうちの店には無いよ!」


 窓ぎわのわたしの席から教科書越しに見える七海ちゃんは、冗談みたいに笑い飛ばしている。
 でも、内心ではわたしのことをどう思ってるのかな。



 本当はわたしも、少し思っているのだ。
 いくらなんでもわたしの耳、聞こえすぎじゃないか、と。


 本気で耳を澄ませば、遠くの音が聞こえるのはもちろん、近くならどれぐらいの距離感で、どの方向から聞こえたのか、かなり正確にわかる。さっき自転車のブレーキ音と、後ろからのトラックの走行音を聞いて、距離感がわかったように。
 それこそ歩き慣れた道……家から学校までとか、最寄りの上橋駅までなら、目をつむってても音だけで歩けるんじゃないかな。


 さすがに、ちょっと耳が良いってレベルを超えてる気がする。



 だから時々、わたしの聴力は特殊能力みたいなものなんじゃないか、と考えてみたり――



「――天野 美沙。天野 美沙」



 ……ん? わたしを呼んでる?


 声のする先は窓の外だ。
 わたしが今いるのは、自分のクラス、1年5組の教室の自分の席。左側の窓の向こうはベランダになっていて、両隣の教室とベランダを通って行き来できるようになっている。
 声がしたのは、隣の教室のベランダのあたり……いや違う、もっと奥だ。4組、3組……とにかく、わたしからは左斜め後ろ。



 振り返ると、またすぐさま声がした。


「本当に、この距離で聞こえるのか。……やはり間違いないな」


 男子の声。先生とかじゃない、同じ学年ぐらいの声……



 誰?
 わたしは立ち上がる。


「ああ、大丈夫。もうすぐ次の授業だろう」


 ……わたしのこと、見られてる?
 わたしは窓を開け、顔を出して4組の方向を見る。その先には3組、2組、1組と教室が続くが、さすがに1組のところまで行くと遠くてよく見えない。


「詳しい話は、直接会ってしたい。昼休みになったら、体育館裏の桜の木の下に来てくれ」


 そんな急に……と言いかけて口を閉じる。
 わたしは向こうの声が聞こえるけど、向こうにわたしの声が聞こえるわけない。



「急に言われても困るよね。でも、君の聴力にも関わることなんだ。気にならない?」



 ***



「美沙ちゃん、お昼食べるー?」
「ううん、今日はちょっと用事があるの」


 七海ちゃんが喫茶店の残り食材で作る、絶品お弁当を味見できないのは悔しい。
 が、やっぱり自分の聴力の話を持ち出されては、気にならずにはいられない。


 昼休みになり、わたしは昇降口から体育館裏へ回る。



 ここは裏の道との間に桜の木が数本植えられており、入学式のときは桜吹雪が開いた窓から体育館の中にまで入り込んでいた。
 5月の連休明けの今は桜が散り、たくさんの葉っぱでちょっと薄暗い。


「天野 美沙、君だね?」
 と、体育館の角から顔を出した瞬間に声が聞こえてきた。


 さっきわたしを呼んだのと同じ声。方向は植えられた木々の中だけど……
「オレからそっちは見えるけど、そっちからオレを見るのは難しい。オレの声はそっちに聞こえるけど、そっちが何かしゃべってもオレには聞こえない。一方通行だな」


 ほんと、いったいどこから……あ。



 思いっきり目を凝らすと、奥の方の木の根元に誰かいるのがわかった。
 わたしはあわてて駆け寄っていく。



「えっと……わたしを呼んだのは、あなたですか?」
「うん、はじめまして。オレは1組の岩戸(いわと) ひかる」


 そこには、わたしより少し背の高い男子生徒がいた。
 わたしと同じ、1年生であることを示す緑のバッジに、まだ新しそうなブレザー。
 細身の体で木にもたれかかりながら、キラキラした切れ長の目をまっすぐこちらに向けてくる。



 ……思わず見とれてしまった。イケメンだ。



「で、君は5組の天野 美沙……で良かった?」
「はい、そうですが」


 わたしは今、岩戸くんと初めて顔を合わせた。
 1学年5クラスもあると、1ヶ月ぐらいじゃまだまだ名前も聞いたことのない子がたくさんいる。まして1組と5組、教室も端と端同士では絡むことも無い。


 なのに、岩戸くんはどうやってわたしのことを知ったんだ?



「あの……」
「天野さん。オレからお願いがある」


 わたしが疑問を言うより早く、岩戸くんが動いた。
 身体を起こして、わたしの前に向き直る。



 そして、頭を下げた。



「オレと一緒に、『守り手』として戦ってほしいんだ」


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