ひかるくんには何でも見えている
魔のしわざ
……その瞬間、わたしはびっくりして飛び上がりそうになった。
ちゃんと聞こうとした瞬間に、特大の音量がわたしの頭の中を襲う。
無意識にわたしは、両耳をふさいだ。
「何だ! もしかして、また魔か!」
一方、岩戸くんはきょろきょろと周りを見回している。
……って、そりゃそうか。
今の音は明らかに、わたしじゃなくても普通に大きな音として聞こえてるほどの音量だ。
「天野さん! 今の音、どこからした?」
「えっ……体育倉庫のあたり、多分、何かが崩れた音……」
体育館の向こう側には、ボロボロになった木造の体育倉庫が建っている。先輩によると、いつ建てられたかもわからないほど古くからあって、建て直す話も出ているらしい。
音は、その体育倉庫の中からした。何か大きなものが崩れて、落ちる音。
「ごめん天野さん! 詳しい説明は、後で!」
と、岩戸くんはわたしに背を向けて駆け出していった。
体育館の入口側の角を曲がると体育倉庫だ。きっと岩戸くんはそこへ行くんだろう。
わたしも、後を追った。
やっぱり気にならずにはいられない。
***
角を曲がって目に入った体育倉庫は、正面の引き戸が開けっ放しだった。
「あ、危なかった……」
「巻き込まれた人はいないか!」
「どうしたの?」
倉庫の周りにいるのは、昼練をしていたサッカー部員たちだ。
彼らのざわめきをかいくぐって、倉庫の中の様子が目に入る場所まで進む。
「……うわっ」
見えた中の様子に、思わず声が出る。
体育倉庫は天井が吹き抜けになっている建物の中に、はしごで上がれる木の床を後から作った2階建て。
その2階部分の床が、手前半分近く無くなっていた。
地面に散らばった無数の木の板、その上に転がったたくさんのカラーコーン。
さっきの音と合わせて考えれば、2階部分の床が崩れてきたんだ、ということはすぐわかった。
「た……」
え?
わたしはそこで聞こえてきたかすかな声に、思わず周りを見渡す。
明らかに生徒の声じゃない。騒ぎを聞いて来た先生の声でもない。
ちょっと恐ろしさのある声。消え入りそうだけど、確かに聞こえる声。
しかもその声は、崩れた床の中から、聞こえてる、気が……?
「天野さん!」
わたしが倉庫に一歩近づいたその時、岩戸くんの叫び声。
「こっちこっち」
目に入った岩戸くんは、サッカー部員の集まってるところより少し外側で様子を見ていた。
手招きされ、わたしもそこへ。
「大丈夫だろうけど、まだ魔のいた跡が残っているからね。気をつけて」
「魔の、いた跡?」
「うん。オレは見てそれを感じ取れるけど、多分天野さんは音でそれを感じ取れるんじゃないかな。今とか、あるいは今朝トラックを止めて自転車のおばさんを助けたときとか、なにか変な音を聞かなかった?」
そんなこと言われても、変な音って……
あっ、もしかして。
「音というか、声みたいなのは、聞こえたかも。『た……』って、途切れ途切れにつぶやいてたような」
「きっとそれだ。おそらく、今朝の事故が起きそうになったときも、今倉庫の中が崩れたときも、魔が関係している。天野さん、さっき大きな音がしたときの詳しい状況って、サッカー部員の話を聞いててわかる?」
それなら、この騒ぎの中聞こえるたくさんの声から、なんとなくわかっている。
「えっと、カラーコーンを倉庫から出そうとして、部員の何人かで倉庫の中入って、それで1人がはしごで2階に上ったら、急に2階の床が崩れてきたって。確かにボロボロではあったけど、床がゆがんでたり、ひびが入ってたりはしてなかったから、みんなちょっと不思議がってる」
「やっぱり。確証は無いけど、まず間違いなく魔のしわざだ」
魔のしわざ。
つまり、あの声の主が魔、であり、床が抜けた原因である……ということ?
いや、そもそもあの声の主って、何? 人じゃないってこと?
わたしの頭の中で、いくつもの疑問が浮かび続ける。
「ねえ、それって、魔ってのが」
「ごめん、天野さん。もう少しで昼休み終わっちゃう。続きは放課後にしてくれないか」
しかし話しかけたわたしに向かって、岩戸くんは手を合わせて謝るしぐさ。
「天野さんって、部活入ってるの?」
「吹奏楽部よ。今日も練習」
「わかった。じゃあ、部活が終わったら、また話をしよう。上橋神社、わかる?」
***
「お疲れ様です!」
「あれ? 美沙ちゃんって家こっち側なの?」
「ううん、今日は寄るところがあるの」
新歓の期間を終え、コンクールへ向けた練習が本格的に始まった吹奏楽部。
下校する頃には、もう空はオレンジ色だ。
その空の下、わたしは家とは逆方向に歩き、普段とは違う方向から大通りの車の音を聞いていく。
帰りが遅くなるというメッセージを母さんに入れ、目的地の下まで来たときには、すでに太陽が沈んでいた。
わたしの普通の視力でもわかる、鳥居の上に書かれた『上橋神社』の文字。
ここは大きな神社だ。毎年、正月には初詣客でごった返し、夏祭りのときは商店街を抜けて駅の方まで屋台が立ち並ぶ。
この神社の周りに人が集まり、住むようになったのが上橋の街の始まり、という説もあるぐらいだ。
わたしも両親に連れられて行き慣れた場所ではある。
でも、こんな時間に1人で来るのは初めて。
小山の上にある2つ目の鳥居目指して、薄暗い石段を上っていく。
どうして、岩戸くんはここを指定したんだろう。
神社が、わたしや岩戸くんの力と何か関係ある、とか?
「――良かった、天野さん来てくれて。本当は下までお迎えしたかったんだけど、忙しくて時間がなくて」
わたしがちょうど石段を上りきったところで、その声がした。
2つ目の鳥居があって、そこから本殿まで石畳が続いている。
その石畳の奥から、岩戸くんが歩いてきた。
神主さんみたいな、白いはかま姿で。
「岩戸くん……その格好」
「ああ、オレの家は、代々この上橋神社の神主の家系なんだ」
岩戸くんが軽く腕を上げると、はかまの裾がひらひら揺れた。
街灯に照らされながら得意げな顔をする岩戸くんは、すごく絵になっている。
このまま、ドラマの撮影でも始まりそう。
「で、天野さん、時間あるかな? 少し、話長くなっちゃうんだけど」
「うん、わたしは大丈夫」
母さんにもちゃんと連絡したし。
いよいよ、岩戸くんの知ってることを聞かせてもらえるんだ。
ちょっと不安もあるけれど、使命感みたいなのが、わたしの心を支配する。
「じゃあ、ついてきてよ。とりあえず、建物に入ろう」
本殿へ向かって歩き出す岩戸くん。その後に続くわたし。
小山の下を行きかう人や車の音の中、わたしと岩戸くんの足音が響く。
それ以外は、境内を取り囲む木々が風で揺れる音だけ。
――2人以外誰もいない神社は、ちょっと不思議な感じがする。
「……ここ」
岩戸くんは、本殿の横にある2階建ての建物の、裏口の前で立ち止まった。
お守りやおみくじの売り場があって、わたしも初詣のたびにここで買っている。
でも、大きな入口がある表側と違って、裏口は普通の家みたいなドアが付いている。
そのドアを開けて、岩戸くんが叫んだ。
「じいちゃん、天野さん連れてきたよ」
「おー、とりあえず部屋に通しといてくれ」
姿は見えないけど、目の前に続く廊下の向こうから声が聞こえてくる。
いかにもおじいさん、という感じの声だ。
「さあ、天野さん上がって」
「ここは?」
「ああ、裏口だよ。オレ、じいちゃんとここに住んでるんだ」
えっ、じゃあここって、岩戸くんの家?
そう思うと、急にドキドキしてきた。
わたし、男子の家なんて上がったこと無いのだけど!