野いちご源氏物語 五一 浮舟(うきふね)
薫の君のお手紙は、浮舟の君の心にずしりと重くのしかかる。
<もうおしまいかもしれない>
ますます沈みこんでいるところに、右近がやって来た。
「薫の君からのお手紙をそのまま返してしまわれたのですね。どうしてそんなことをなさったのですか。失礼でございますよ」
「よく分からないことをお書きになっていたのだもの。宛先違いかと思って」
女君はぐったりと言う。
実は右近は、薫の君のお手紙の内容を知っている。
女君が薫の君からのお手紙をそのまま右近に渡したから、変だと思ったの。
それで、お使者に渡す前にこっそり中を拝見した。
いけない女房だこと。
「どなたにとってもお苦しい状態でしょう。薫の君はすでにお気づきになったようです」
と言うと、女君の顔が赤くなる。
まさか右近が手紙を盗み見たとは思わない。
<お手紙を持ってきたお使者が言っていたのだろうか>
とぞっとする。
「誰から聞いたの」とも尋ねられず、女房たちがどう思っているだろうかと恥ずかしくなる。
<私の意思で宮様との関係が始まったわけではないけれど、結果としては同じことだ>
運命を恨みながら横になっていると、侍従もやって来た。
右近は女君を見かねて、侍従に聞かせるようにして自分の姉の話をする。
「姫様とご一緒に常陸の国におりましたころ、私の姉にも二人の恋人ができてしまったのです。姉はどちらも選べず悩んでおりましたが、新しい恋人の方に少し強く惹かれているようでした。すると、それを憎んだ昔からの恋人が、新しい恋人を殺したのです。立派な若者が亡くなり、殺した方も普段はきちんとした人でしたが、常陸の国から追放されてしまいました。
姉は、二人の男の将来を奪った悪女ということになりました。常陸の守様のお屋敷を追い出され、一緒に都に戻ってくることもできませんでした。母は今も姉を恋しがって泣いております。親不孝の罪まで姉は背負ったのです」
そこまで話すと、女君の方を向いて言う。
「そんな不吉な話と一緒にするなと思われるかもしれませんが、姫様、身分が低かろうが高かろうが、男が女を取り合うのは危険です。命にかかわるような物騒な事件にはならなくても、何かしらの問題が起こりますよ。ご身分の高い方たちにとっては、世間の噂になって恥をかくことが死よりも苦しいということもありましょう。
どちらかにお決めなされませ。宮様の方が深く愛してくださるとお思いになるなら、それでようございます。宮様に決めて、もうこれ以上お悩みになってはいけません。おひとりで苦しんでやせてしまわれたところで何になりましょう。お母君もあれほど心配そうにしていらっしゃいましたのに。
お決めになりにくいのも当然とは存じますけれど。こちらでは乳母殿がお引越しの準備に大騒ぎして、一方で宮様は『それより先に私の用意した家へ』とせっつかれるのですから」
匂宮様びいきの侍従は反論する。
「姫様を怖がらせるようなことをおっしゃいますな。どうなるかなんて運命 次第、ただ姫様のお心のなかで、少しだけ上だと思われる方をお選びになればよいのでございます。お引越しに気乗りがなさらないのは、ご立派な宮様をご覧になってしまったからではありませんか。しばらくどこかにお隠れになってでも、本当に好きな男君をお選びになった方がよいと存じます」
「今大切なのはどちらをお選びになるかではありません。とにかく大事にならないことを私は願っているのです。この山荘には薫の君が警備の男たちをお遣わしくださっています。近くのご領地の男たちだそうですけれど、荒々しい田舎者でございますよ。その者たちが宮様に何かしてしまったらどうするのです。とても宮様とは分からないような格好で、お供もろくに連れずにお越しになるのですもの」
ふたりがああだこうだと言いあうそばで、女君は取り残されてしまう。
<ふたりとも私が匂宮様に心変わりしたと思っているのだ。私には薫の君と宮様を比べることなどできないのに。それができればどれほど楽か。たしかに宮様からは身に余るご愛情をいただいている。しかしだからといって薫の君から離れようとも思えない。もう半年も夫君として頼りにしてきた人なのだから。それでこれほど悩んでいる。でも、私が悩んでいる間に、もし右近の言うような大きな問題が起きてしまったら>
思いつめた女君は、いつもの結論に至る。
<早く死んでしまいたい。苦しいことばかりの人生ではないか>
とうつ伏してしまった。
侍従は驚いて言う。
「まぁ、姫様。そんなふうにお苦しみなさいますな。ご安心していただきたくていろいろと申し上げただけでございますよ」
「もともとはおっとりしすぎなほどでいらしたのに、宮様がお越しになってから神経質になってしまわれて」
右近も一緒になっておろおろと騒ぐ。
一方乳母は、張り切ってお引越しの準備をしている。
女君の具合が悪いことはもちろん心配よ。
でもまさかそんな理由だとは知らないから、新しく入った女童を女君のところに連れていった。
「この子をお話し相手になさればご気分も変わるのではありませんか。かわいらしい子ですよ。どこがお悪いわけでもないのにそんな調子でいらっしゃるのは、きっと妖怪がお引越しの邪魔をたくらんでいるのです」
まったく見当違いな嘆き方をしているわ。
<もうおしまいかもしれない>
ますます沈みこんでいるところに、右近がやって来た。
「薫の君からのお手紙をそのまま返してしまわれたのですね。どうしてそんなことをなさったのですか。失礼でございますよ」
「よく分からないことをお書きになっていたのだもの。宛先違いかと思って」
女君はぐったりと言う。
実は右近は、薫の君のお手紙の内容を知っている。
女君が薫の君からのお手紙をそのまま右近に渡したから、変だと思ったの。
それで、お使者に渡す前にこっそり中を拝見した。
いけない女房だこと。
「どなたにとってもお苦しい状態でしょう。薫の君はすでにお気づきになったようです」
と言うと、女君の顔が赤くなる。
まさか右近が手紙を盗み見たとは思わない。
<お手紙を持ってきたお使者が言っていたのだろうか>
とぞっとする。
「誰から聞いたの」とも尋ねられず、女房たちがどう思っているだろうかと恥ずかしくなる。
<私の意思で宮様との関係が始まったわけではないけれど、結果としては同じことだ>
運命を恨みながら横になっていると、侍従もやって来た。
右近は女君を見かねて、侍従に聞かせるようにして自分の姉の話をする。
「姫様とご一緒に常陸の国におりましたころ、私の姉にも二人の恋人ができてしまったのです。姉はどちらも選べず悩んでおりましたが、新しい恋人の方に少し強く惹かれているようでした。すると、それを憎んだ昔からの恋人が、新しい恋人を殺したのです。立派な若者が亡くなり、殺した方も普段はきちんとした人でしたが、常陸の国から追放されてしまいました。
姉は、二人の男の将来を奪った悪女ということになりました。常陸の守様のお屋敷を追い出され、一緒に都に戻ってくることもできませんでした。母は今も姉を恋しがって泣いております。親不孝の罪まで姉は背負ったのです」
そこまで話すと、女君の方を向いて言う。
「そんな不吉な話と一緒にするなと思われるかもしれませんが、姫様、身分が低かろうが高かろうが、男が女を取り合うのは危険です。命にかかわるような物騒な事件にはならなくても、何かしらの問題が起こりますよ。ご身分の高い方たちにとっては、世間の噂になって恥をかくことが死よりも苦しいということもありましょう。
どちらかにお決めなされませ。宮様の方が深く愛してくださるとお思いになるなら、それでようございます。宮様に決めて、もうこれ以上お悩みになってはいけません。おひとりで苦しんでやせてしまわれたところで何になりましょう。お母君もあれほど心配そうにしていらっしゃいましたのに。
お決めになりにくいのも当然とは存じますけれど。こちらでは乳母殿がお引越しの準備に大騒ぎして、一方で宮様は『それより先に私の用意した家へ』とせっつかれるのですから」
匂宮様びいきの侍従は反論する。
「姫様を怖がらせるようなことをおっしゃいますな。どうなるかなんて運命 次第、ただ姫様のお心のなかで、少しだけ上だと思われる方をお選びになればよいのでございます。お引越しに気乗りがなさらないのは、ご立派な宮様をご覧になってしまったからではありませんか。しばらくどこかにお隠れになってでも、本当に好きな男君をお選びになった方がよいと存じます」
「今大切なのはどちらをお選びになるかではありません。とにかく大事にならないことを私は願っているのです。この山荘には薫の君が警備の男たちをお遣わしくださっています。近くのご領地の男たちだそうですけれど、荒々しい田舎者でございますよ。その者たちが宮様に何かしてしまったらどうするのです。とても宮様とは分からないような格好で、お供もろくに連れずにお越しになるのですもの」
ふたりがああだこうだと言いあうそばで、女君は取り残されてしまう。
<ふたりとも私が匂宮様に心変わりしたと思っているのだ。私には薫の君と宮様を比べることなどできないのに。それができればどれほど楽か。たしかに宮様からは身に余るご愛情をいただいている。しかしだからといって薫の君から離れようとも思えない。もう半年も夫君として頼りにしてきた人なのだから。それでこれほど悩んでいる。でも、私が悩んでいる間に、もし右近の言うような大きな問題が起きてしまったら>
思いつめた女君は、いつもの結論に至る。
<早く死んでしまいたい。苦しいことばかりの人生ではないか>
とうつ伏してしまった。
侍従は驚いて言う。
「まぁ、姫様。そんなふうにお苦しみなさいますな。ご安心していただきたくていろいろと申し上げただけでございますよ」
「もともとはおっとりしすぎなほどでいらしたのに、宮様がお越しになってから神経質になってしまわれて」
右近も一緒になっておろおろと騒ぐ。
一方乳母は、張り切ってお引越しの準備をしている。
女君の具合が悪いことはもちろん心配よ。
でもまさかそんな理由だとは知らないから、新しく入った女童を女君のところに連れていった。
「この子をお話し相手になさればご気分も変わるのではありませんか。かわいらしい子ですよ。どこがお悪いわけでもないのにそんな調子でいらっしゃるのは、きっと妖怪がお引越しの邪魔をたくらんでいるのです」
まったく見当違いな嘆き方をしているわ。