野いちご源氏物語 五一 浮舟(うきふね)
三月二十日過ぎになった。
(かおる)(きみ)別邸(べってい)女君(おんなぎみ)が引っ越すのは来月十日。
匂宮(におうのみや)様は、二十八日の夜、ご自分の用意なさった家に女君を連れてこようとお決めになった。
その家は宮様の乳母(めのと)の夫の家よ。
地方に赴任(ふにん)して()()になるから、宮様が浮舟(うきふね)(きみ)のためにお借りになったの。

「必ず迎えにいきます。この計画は、右近(うこん)侍従(じじゅう)以外には気づかれないように。こちらから秘密が()れることはありません。ご安心なさい」
というお手紙が届いた。
<この山荘(さんそう)警備(けいび)が近ごろ急に厳しくなったことを、宮様はご存じないのだ。いつものように粗末(そまつ)な格好でお越しになったら、きっと男たちが追い返してしまう。私を(うら)みながらとぼとぼとお帰りになるだろう>
そのご様子を想像すると、宮様の面影(おもかげ)が頭から離れない。
どうにも悲しくて、お手紙を顔に押し当てる。
しばらくは我慢(がまん)していたけれど、ついに激しく泣きだしてしまった。

「姫様、そんなご様子では他の女房(にょうぼう)たちが気づきます。だんだん(あや)しみはじめた人もいるようです。思いつめなさらず、宮様をお待ちしていますとお返事なされませ。この右近がついておりますから、なんとでもしてさしあげます。それに宮様も、こんなお小さいお体ひとつ、空からだって連れ去ってくださいますよ」

そうではない、と女君(おんなぎみ)は苦しい。
泣きじゃくるのを抑えて言う。
「そうやって決めつけないでちょうだい。宮様についていけるわけがないでしょう。それが悪いことだと私は十分わかっている。なのに、宮様は私が宮様を頼りにしていると思いこんでいらっしゃる。私のためにどんな危険を(おか)されるかと思うと、もう自分の存在が嫌になるのよ」
女君は宮様へのお返事も書かない。
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