第5部 夜明けが世界を染めるころ、悪意の見える伯爵令嬢は王子の執着から逃れられない
「お嬢様、なにを……」
困惑した声を上げるセナの背中に、ぎゅっとしがみつく。
「私が後ろ向きたいときは、前に立つって言ったでしょ」
「……言いましたけども」
「いまが、そのとき!」
「絶対、今ではないですよ」
そう言いながらも、セナを逃がさないように両腕に力を込める。
がっちりと背中にしがみついたまま、顔を伏せた。
――ディランの顔が、見られない。
「ティアナ、怪我はないか?」
柔らかく、気遣う声が落ちてくる。
「……大丈夫です」
「そうか。無事で、本当によかった」
少しの沈黙。
そのあと、静かに続いた。
「そばにいられず、すまなかった」
「いえ……ディランのせいでは……」
背中越しに、セナが小さくため息をつくのがわかる。
「……顔を見たいんだが」
一歩、近づく気配。
「だめか?」
「え……?」
「無理もないな」
自嘲を含んだ声が、ほんの少しだけ落ちる。
「俺の顔なんて、見たくもないか」
その響きが、胸に深く刺さった。
「無事が確認できてよかった」
ディランは一歩、距離を取る。
「俺は帰るとしよう。邪魔したな」
そう言って、踵を返した。
その背中が、ゆっくりと遠ざかっていく。
「……お嬢様、いいんですか?」
振り返ったセナが、静かに問いかける。
「よ、よくない」
胸の奥で何かがはじけて、声が震えた。
「……行ってくる」
一歩踏み出そうとした私の背中に、セナの手がそっと触れる。
押すでもなく、ただ支えるように。
「いってらっしゃい」
一拍置いて、いつもの声音で。
「お嬢様」
その一言に背中を押されて、私は走り出した。