Nocturne(ノクターン)ー美しさは静かに交差する
あの夜の対峙も、個展での再会も、
嵐みたいだった時間は嘘のように過ぎ去り、
旬と希の暮らしはまた穏やかさを取り戻していた。

キッチンに立つ希が、ふと思い出したように言う。

「ねぇ」

リビングで書類を見ていた旬が顔を上げる。

「どうしよう。旬の元カノが現れてさ、また私たちパニック起こしたら…」

半分冗談。
半分、ほんの少しの不安。

旬は即答する。

「大丈夫。その心配はない」

希が振り向く。

「なんで?そんなこと分かるの?」

旬はコーヒーを一口飲んでから、さらっと言う。

「だって、全員俺の後に付き合った奴と結婚した」

一瞬、沈黙。

「え?」

希の手が止まる。

「嘘でしょ?そんなことある?」

旬は肩をすくめる。

「ある。三人中三人」

「うそでしょ?」

思わず笑ってしまう希。

「なんでよそれ」

旬は少しだけ考えて、静かに言う。

「多分さ」

希のほうを見る。

「俺といると、ちゃんと自分が欲しいもの分かるようになるんじゃない?」

ドヤ顔でもなく、冗談でもない。

ただ、事実を述べるみたいに。

「俺はさ、最初から本気だから。中途半端に付き合わないし、未来見ない相手と一緒にいない」

希の胸が少し熱くなる。

「で、俺が違うなって思ったら、ちゃんと別れる」

淡々と。

「だから次の人と結婚する覚悟もできてる状態なんじゃない?」

「なにそれ。結婚前の通過儀礼みたいじゃん」

「まぁな」

そして少し間を置いて、続ける。

「でもさ」

旬が立ち上がり、希の前に来る。

「俺が本気で“隣にいてほしい”って思ったのは、希が初めてだけど」

呼吸が止まる。

「え…」

旬は希の額に軽く触れる。

「だから安心して。元カノが現れる確率より、希が俺の名字になる確率のほうが圧倒的に高い」

希、固まる。

「それプロポーズの再確認?」

「確認」

さらっと。

「俺、待つの嫌いなんだよ」

ずるい。

希は笑いながら、でも目が少し潤む。

「…統計、私で止まるんだね?」

旬は即答。

「当たり前だろ」

その言葉に、もう迷いはなかった。

穏やかな夜。

嵐も、過去も、嫉妬も越えて。

ふたりはもう、未来の話を冗談みたいにできるところまで来ていた。

「もしかしたらさ」

希が真顔で言う。

「私も旬の次の人と結婚するかも?ってこと?」

一瞬の静止。

旬、固まる。

「は?」

「だって三人中三人なんでしょ?」

希、わざと真剣な顔。

「つまりあなたはいい人に出会う前の…踏み台?」

「違うわ!」

珍しく声が大きい。

「希は例外」

「例外ってなにそれ」

「最終形」

即答。

沈黙。

次の瞬間、希が吹き出す。

「最終形って何よ、進化系みたいに言わないで!」

旬もつられて笑う。

肩が触れる距離で、声を出して笑うふたり。

嵐のあとだからこそ、こんな笑いが愛おしい。

笑いながら、旬が小さく言う。

「俺の“次”はないよ」

「え?」

「あるとしたら、ずっと“今”の続き」

希の笑いが少し静まる。

でも重くならない。

ただ、あったかい。

「ねぇ」

「ん?」

「統計更新しとくね」

「どうやって」

「旬の最初で最後の人ってことで」

旬、ほんの少しだけ目を細める。

「それ、悪くない」

またふたりで笑う。

未来の話が怖くない。

過去の名前も、もう痛くない。

ただ一緒にいる時間が楽しい。
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