Nocturne(ノクターン)ー美しさは静かに交差する

エピローグ

ロンドン。

灰色の空と、石畳。

Royal College of Artのスタジオで、
三浦歩は何度も図面を書き直していた。

建築デザイン専攻。

空間をつくりたかった。
人が立ったとき、呼吸が変わる場所を。

けれど評価されたのは、
壁に無造作に掛けていた一枚の絵だった。

「君は空間より、感情を描く方が鋭い」

教授はそう言った。

歩は笑った。

嬉しくないわけじゃない。
でも、違う。

欲しかったのは、
キャンバスじゃない。

空間だった。


数年後。

東京・青山。

再開発が発表されたとき、
業界はざわついた。

《青山不動産 本社ビル再開発プロジェクト》

コンペを勝ち抜いた建築家の名は――

ayumu miura。

「建築家としての再挑戦」

世界的ニュースになった。

画家として世界的に評価されている歩が
巨大な空間を設計する。

歩は会見で淡々と言った。

「やっと、始められる」


プロジェクトの追加発表。

空間デザイン監修として指名されたのは、希。

理由。

《彼女の作る空間には“余白”がある。
 人の感情が呼吸できる》

コメントは歩本人からだった。

完全に理解者の言葉。

希はその記事を読んで、
しばらく黙った。

嬉しい。
自分の作る空間を評価して貰えた。


なぜか、旬と歩の距離は以前より近い。

あのバーの夜以降、
互いに踏み越えない線を知ったから。

歩は潔く負けを認めた。
旬はそれを尊重した。

男同士の、妙な敬意。

希だけが本気で首を傾げる。

「なんで仲良いの?」

二人は目を合わせない。

「別に」

同時に言う。

意味は分からないけど、
空気は悪くない。


数年後…

完成間近のビル最上階。

全面ガラス越しに広がる東京の夜景。

まだ家具の入っていない、
静かな空間。

歩が窓辺に立つ。

「俺、ようやく建築家として旬と仕事できた」

声は穏やかだった。

旬は少し離れた場所から景色を眺める。

「初めは建築家だなんて知らなかったし」

歩が小さく笑う。

「全然認めてもらえなかったからね」

「世界中のコンペ挑戦しまくって、やっと青山で勝ち取った」

風の音。

「やっと旬と仕事仲間になれた。あと、ちょっと友達」

旬が鼻で笑う。

「ちょっとかよ」

低く笑い声が重なる。

そこへ、ヒールの音。

希が上がってくる。

「ねぇ、なんでそんなに楽しそうなの?」

二人同時に。

「別に」

完全に通じ合っている。

希は呆れた顔で笑う。

でも、どこか誇らしい。


この建物には、余白がある。

歩が描いた骨格。
旬が動かした資本。
希が整えた空気。

恋の勝ち負けは、ここにはない。

歩は建築家として世界を取った。

旬は希を得た。
そして歩と対等に立った。

希は二人の才能を繋いだ。

三人の物語。

夜景の前で、
希が旬の隣に並ぶ。

その背後に広がる空間は、
かつて彼女を失った男が設計したもの。

負けたはずの男が作った場所で、
勝った男が未来を築く。

けれど。

それは敗北じゃない。

歩は静かに空間を見渡す。

人が立ち、
笑い、
迷い、
また選び直せる場所。

ようやく作れた。

キャンバスじゃない。

本当の“帰る場所”。

ガラスに映る三人の影が、
同じ高さで並んでいた。

この仕事で建築家として高い評価を受けた歩は世界中からオファーが殺到している。
取材で歩は
「絵はもう趣味でいいかな」
本気とも冗談とも取れる顔で軽く笑って世間を賑わしている。
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