側妃マリアの謀
第5章
「孤児院の子供から、マリア様にお手紙だそうです」
「……孤児院の?」
私は、ペンを止めてダリアに聞き返す。ちょうど、知り合いの夫人から受けたお茶会の誘いの返事を書いている途中だったのだ。ライティングデスクの前に座っていた私は、体の向きを変え、ダリアを見る。
彼女から手紙を受け取り、ペーパーナイフで封を切る。孤児院の子供たちから、私宛に手紙、と言われても心当たりがない。
便箋には、名前が記されていなかった。院長が子供にお使いをさせたのかしら?
首を傾げながら便箋から手紙を取る。一枚の手紙が、ふたつに折りたたまれて入れられていた。
手紙を広げ、私は、推測したどれもが誤っていたことを知る。
「あら……」
「マリア様?」
素早く、紙面に視線を走らせる。
手紙の送り主は──
「アルヴィン卿からだわ」
「へ?」
私の言葉に、ダリアも驚いたようだ。目を見開いて彼女が、私の気持ちを代弁するように、声を出した。
【お伝えしたいことがあります。
お時間ある時に、会いに来てください
A・L・E】
広い手紙に書かれていたのは、たったそれだけだった。A・L・Eというのは彼の名前の頭文字だろう。アルヴィン卿のフルネームは、アルヴィン・ルア・エリセリュン。
私から手紙を受け取り、紙面に視線を走らせたダリアが唸る。
「なるほどー。繋がりがバレたらまずいから、孤児院の子供にお使いを頼んだわけですね!」
「私とアルヴィン卿が繋がっていると貴族に知られたら、あることないこと吹聴される。今、社交界の話題をさらう訳にはいかない」
「だけど、その危険性を理解した上で手紙を出した、ということは……アルヴィン卿はなにか手がかりを得た、ということでしょうか?」
ダリアの言葉に私は頷いて答えた。
「そうね。急いで支度をしましょう。幸い、明日はエリセリュン王国で定められている休養日。侍女長には、体調不良になったと報告をしておいて」
「承知しました」
今すぐ出発すれば、日付が変わる前に研究棟に着くはず。アルヴィン卿は、基本的に研究棟で寝泊まりしているらしい。遅い時間の訪問は失礼に当たるが、急ぎの要件なら仕方ない。
ふたたびダリアに化粧を施してもらい、彼女のお下がりの服を借りて用意を進めた。
☆
ジェイムズは、既にアルヴィン卿から連絡を受けていたらしい。彼を訪ねると、ジェイムズの支度は終わっていた。
離宮の前まできたことで、私はルンハルト殿下のことを思い出す。
「ルンハルト殿下は、どうされていますか?」
ジェイムズに尋ねると、彼は笑みをうかべた。
「今はお眠りになられています。最近のルンハルト殿下は、とても楽しそうですよ。マリア妃、あなたがよく会いに来てくださるからです」
「……ほんとうは、もっと会えたらいいのですが」
ルンハルト殿下を訪ねても、滞在時間は一時間ほど。お別れする時のルンハルト殿下はいつも寂しげだ。だけど、それを懸命に堪えて、口に出さないようにしている。それが分かるから、苦しくなる。
「マリア妃がお忙しいことは、ルンハルト殿下もご存知です。ご多忙の中、訪ねてくださることをルンハルト殿下はお喜びですよ」
「……ルンハルト殿下は」
あまり、子供らしい我儘を口にしたことがない。聞き分けがいい、といえば聞こえは言いけれど。それは、彼が抑圧された環境で育ってきたことを意味するのではないだろうか。
もっと、我儘を言うべきだ。
まだ、ルンハルト殿下は四歳なのだから。
もっと、甘えるべきだ。……そう思うけれど、しかし今の私では彼の我儘を叶えられない。今はまだ。もっと一緒にいて、とお願いされたとして、私には次の予定がある。
セラフィーナ様と陛下の目がある以上、彼らに批判される隙を与えてはいけない。
(でも、これは大人の事情。ルンハルト殿下には関係がない)
急がないと。ルンハルト殿下の幼少期は、まさに今なのだ。
失われた時間は、戻らないのだから。
私がそう思ったところで、遠くから「ルンハルト殿下! お待ちください!」という聞き覚えのある声が聞こえてきた。ダリアと顔を見合わせる。
ジェイムズが振り返り、その後ろから現れたのは──
「ルンハルト殿下……!」
「マリア! きてくれたの?」
こちらに向かって一直線に走ってくる、ルンハルト殿下だった。彼はドンッと私にぶつかると、ぎゅう、と抱きついてくる。
「あのね、あのね。アルヴィンにあえない? もうずっと、きてないの。あえてないの」
「アルヴィン卿に?」
尋ねると、ルンハルト殿下が頷いた。
「アルヴィン、なんでこないの? ぼくのこと、きらいになった……きらいになっちゃった?」
「そんなことはありません。アルヴィン卿は、ルンハルト殿下のことが大好きですよ」
「でも……」
ルンハルト殿下は、顔をあげない。
エラが、ルンハルト殿下に声をかけた。
「ルンハルト殿下、今日は……」
恐らく、ルンハルト殿下が急に走り出したため、慌ててついてきたのだろう。エラの呼吸は上がっていた。
「ルンハルト殿下。一緒にアルヴィン卿に会いに行きますか?」
尋ねると、ジェイムズとエラが、驚いたように顔を上げた。
「ええ!?」
「ほ、本気ですか!? マリア様」
私は屈み込むと、ルンハルト殿下の足をしっかり持って、彼を抱き上げた。四歳というのは思った以上に重くて、思わずふらついてしまう。長時間は難しい。よろけると、ジェイムズがルンハルト殿下を受け取ろうと手を伸ばしたけれど、それを断った。なぜなら、ルンハルト殿下が私にしっかり抱きついていたからだ。
その代わり、離宮の壁に寄りかかって、重みを逃がす。
私は、何度もルンハルト殿下を抱え直しなが、ジェイムズに尋ねた。
「……なにか、大きな鞄はありませんか?」
「で、殿下を鞄に入れると!?」
目を見開く彼に、私は苦笑する。
「研究棟には兵がいますし……顔を見られたら、ルンハルト殿下だとすぐに気付かれてしまいます。ですから、鞄の中に入ってもらって、連れていきます」
「ですが……」
「ルンハルト殿下。アルヴィン卿に会いたいのでしょう? なにかあれば、私が責任を持ちます」
私の言葉に、ジェイムズが困惑したように口を噤んだ。ルンハルト殿下が、目を輝かせて顔を上げる。
「アルヴィンにあえるの!?」
「ええ」
答えると、ルンハルト殿下は何度も頷いた。
「うんうんっ……! いきたい! でも……」
それから、眉を下げてジェイムズを見る。
「……だめ? ぼく……ここから、でちゃだめって。アルヴィン……言ってた」
「それは……」
「ジェイムズ……おねがい」
ジェイムズが困り顔で答える。
アルヴィン卿の気持ちもよくわかる。
安全面から、ルンハルト殿下はここにいた方がいい。だけど、この子は本来、好奇心旺盛な子供なのだと思う。ルンハルト殿下には、よく庭園で「このおはな、なに?」と尋ねられることが多い。
だからきっと、ルンハルト殿下は外の世界を知りたいのだと思う。
「アルヴィン卿のお叱りは私が受けます。ですから、どうか、お願いできませんか?」
さらに尋ねれば、もう却下することはできなかったのだろう。何より、ルンハルト殿下からきらきらとした、期待を帯びた目を向けられたのだ。
いつも大人しく、聞き分けのいいルンハルト殿下が、珍しく【お願い】をした。却下できるはずがない。
「仕方ありませんね」
ため息を吐いたジェイムズに、ぱぁっとルンハルト殿下が嬉しそうな顔をする。
「マリア!」
すかさずこちらを見るので、私も笑みを返す。
「ですが、マリア妃。道中、私は御者席におります。……ルンハルト殿下のことを、どうぞよろしくお願いします」
ジェイムズは深く頭を下げた。ルンハルト殿下のことが心配なのだろう。彼の気持ちがわかったから、私も頷いて答えた。
「私の命に変えても、この子はお守りします」
「……力強いお言葉ですね。ですがどうか、マリア妃ご自身の御身もお大事になさってください。マリア妃も、ルンハルト殿下も、大切なお方には違いありませんから」
「それを言うなら、あなたも同じだわ。ジェイムズ。ダリア、エラも」
呼びかけられたダリアとエラがこちらを向く。
そこで、私の腕の限界が来た。ピリピリと痺れて、もはや腕の感覚がない。筋力がなさすぎるために、ルンハルト殿下を抱えた腕が震えてきたのだ。
仕方なく、私はルンハルト殿下を下ろした。
腕から重みが消えて、静かに息を吐いた。
(子供って、思った以上に重いのね……)
未だにピリピリとした腕をさりげなく擦りながら、私はダリアとエラ、そしてジェイムズに言った。
「あなたたちも、自分の体を大切にして」
「……は」
「ま、マリア様ああああ!」
はい、というエラの言葉に被せるようにダリアが両手のひらを合わせて涙ぐんだ。ダリアに声をかき消されたエラが、じとっとダリアを睨むが、彼女は気付かない。それに苦笑して、私はジェイムズに言った。
「では、行きましょうか。ジェイムズ、お願い出来る?」
「え? あ、はい。……すみません、少し驚いてしまって」
「何に?」
「自分の体を大切に、なんて……。両親以外に言われた記憶がなくて、少し驚いてしまいました」
「あら、そう? でも、大切なことでしょう。あなたたちは、いついかなる時も主君を優先する。その忠誠心は立派だと思うし、感謝もしている。けれどそれは、あなたたちの体をぞんざいに扱っていいということではないのよ」
私は、ルンハルト殿下の頭を撫でた。アルヴィン卿に会えるのが嬉しいのか、ルンハルト殿下はにこにこと笑っている。可愛らしい。
「ルンハルト殿下を大切に思うのと同じように、あなたも、あなた自身を大切にしてあげなければいけないわ」
「……ありがとうございます、マリア妃」
ジェイムズは、少し照れたように笑った。